2011年12月31日土曜日

俳句 2011 12月 冬6

1. 初夢や なぜ三茄子 娘問う
2. 初春や アメリカおせち ジャンクフード
3. 三が日 おせちあきあき 焼き肉に
4. ふぐの肝 食べたし恐し 猫にやる
5. 江美子さん 竜の落とし子 年女
6. あら環に 顔をそむけし 初日の出
7. 門松や 年を取ります 公平に
8. 水炊きに 名古屋コーチン 年の暮
9. ぬく鮨や 故郷(ふるさと)の味 除夜の鐘

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2011年12月30日金曜日

安くてうまい『福すし』

旨い、安い、安心のキッチフレーズは、大阪の『福すし』。握りすし20貫食べて最安値1,000円。ホームページの、おしながきを見ての通り。

酒の肴も豊富、新鮮なお造りもこれがまた旨い、安い。いやはや、たまらんなぁ~~ まぁ、一度行ってみなはれ。

梅田の地下街、泉の広場にもおまっせ~




2011年12月29日木曜日

三重婚

僕の友達で、アメリカに妻子がいるのに、タイランドでタイの女性と正式に結婚をして、早々と子供を作った男がいる。

粗方4年ぶりに、彼とサウスベイのスターバックスで邂逅した。僕たちは話が弾んだ。彼は1年前にもベトナムで、ベトナム人の女性と結婚をして、双子の赤ちゃんがいると言う。

彼の享楽ぶりには真に恐れ入る。彼は華僑のぼんぼんである。何の苦労も知らずに育ってきた。国が違うから重婚罪に問われないのか?

数年後にまた彼と出くわしたなら、何処かの国の女性と、性懲りも無く結婚しているかもしれない。彼のことだ、その可能性は十分あると僕は思った。

2011年12月28日水曜日

俳句 2011 12月 冬7

1. 寒の入り ジョイの好物 シャブシャブに
2. 静かなり 心落ち着く 山眠る
3. 懐かしむ 難波(なにわ)の風花 立ち呑みに
4. 元旦に 白みそ仕立て 雑煮かな
5. 関東は 雑煮食うとき すまし汁
6. 冬の夜 河豚に鮟鱇 鍋旨し
7. 静寂の ホリディーシーズン 聖きかな
8. 僕一人 あなたも一人 冬の薔薇
9. 逆輸入 日本に送る お節かな

2011年12月27日火曜日

日本人もビックリ

サンタモニカにあるインド料理のレストラン、『Akbar』(アクバル)。

場所は以前に紹介したイタリア料理の『Drago』向かい。インド人、いや、日本人もビックリの味。

辛さを5段階に分けて調整してくれる。コクとまろやかな味が味わいたいなら、辛さを控えめにするとよい。

Chicken Tikka Masala(写真)8.25ドル。








Akbar ホームページ

2011年12月26日月曜日

自 由

何の前触れもなしに 祖国にアタックして来たら
誰かって頭にきまっせ
ペンタゴンまでやられてしもたからなぁ
そら おもろないで

こうなったら大義名分を掲げて報復や
国連を始め各国の首脳は
あぃやぁ またれー 
ちょっと まちなはれ と叫んだけど
とうとう戦争が勃発してもうた
ほんまに 大国はすべてにおいて自由なんやから

その後 新しい国際条約が定まった
いかなる理由において 戦争を始める場合
その国の元首と首脳陣の大半は 最前線で戦わなくてはならない

これで戦争は ほんまに無くなるんやろか
なにせ大国は とにかく自由なんやから
せやさかいにテロリストも 自由にやらせてもらいまっさーって 言うとるで

なんや自由は
自由は人類を束縛するもんやったんか



(2001年11月)

2011年12月24日土曜日

ちらかし

アメリカのちらし鮨は、ほとんどが海鮮ちらし。しゃりの上に刺身が並ぶ、いわいる刺身丼だ。

ロサンゼルス郊外、モントレーパークにある『太平レストラン』は、ちらし鮨が名物だ。この店では、ちらし鮨のことを「ちらかし」と呼んでいる。

ガンコおやじが作る「ちらかし」は、その日の気分によって散らかすものが違ってくる。刺身の厚さが違ってくる。

太平の「ちらかし」を一度食べたら、他の鮨屋の「ちらし」はくえねぇ。今日もオーナー板前の、龍さんこと中村龍一さんは、もくもくと「ちらかし」を作る。

2011年12月23日金曜日

2011 12月 冬 俳句 4

1. 僕ため みんなで祈る ありがとう
2. 晦日蕎麦 とんこつ醤油 ラーメンに
3. 冬の梅 わびの床の間 茶懐石
4. 寂しげに むささび啼く夜 月一人
5. さえずりの おでん食べたし 道急ぐ
6. 宿坊に 泊し夕餉 凍み豆腐
7. たこ梅の おでんは高し まけてんか
8. 天王寺 おでんの屋台 コロ浮かぶ
9. 昔CM おーでんでんでん 口ずさみ

2011年12月22日木曜日

冬 至

12月22日は冬至、一年中で昼が最も短い。したがって夜が一年を通じて一番長い。この日に南瓜や冬至粥を食べたり、柚子湯に入る習慣がある。風流な日本の習慣を体験するには丁度良い機会だ。

芋、蛸、南京(かぼちゃの異称)といえば女性が好む三大食材。僕は薩摩芋と南瓜が至って苦手である。子供の頃に風邪を引き始めると、芋粥が食卓に並んだ。薩摩芋を加えて煮た粥ではなく、山芋を薄く切って甘葛(あまずら)の汁を混ぜて煮たお粥である。

スッポンやてっちり(ふぐ鍋)の最後に食べる雑炊は風味豊かで身体の芯まで温めてくれる。当地ではもっぱら「う」雑炊を賞味している。具となる材料は鰻の蒲焼に卵と三つ葉。これなら容易く手に入る。

一合雑炊、二合粥、三合飯と昔から言われたように、雑炊は一番節米になる食べ方である。同時に栄養価が高くて消化に良いので、経済的なダイエット健康食として重宝がられる。

最近、にわかにはまり込んでいる我が家のお惣菜は、玉葱とニンニクのかき揚げ。ニンニクをスライスして、後はかき揚げをこしらえる時の要領と同じ。衣は薄めに、からっと揚げるのがこつ。食後、デザートにりんごを食べれば、ニンニクを食べた後の口臭が瞬時に消えてしまう。

さて、冬至粥は京の白粥にするか、大和の茶粥にするかは意見の分かれるところであるが、正月の終わりの日として、七日正月には七草粥を食べる習慣がある。正月の遊宴に入る前とその後にお粥を食べる習慣が定着したのは、きっと疲れ果てた胃腸を労わるために、好都合であったのだろう。

2011年12月21日水曜日

寿司 鮨 すしロール ♪ ♬

僕がレインボー・ロールを初めて食べたのは、今から15ほど前。それから13年間ほど食べなかったと言うか、二度と食べたくなかった。

僕は2年前から、レインボー・ロールをよく食べる。かしこまった鮨バーではなく、ファーストフードの鮨屋だ。

理由は手軽、リーズナブル、ヘルシー、美味しいから。まだ、お腹がすいていたらバッテラを追加注文。締めて12~13ドル。価格はハンバーガー・セットの2.5倍する。

カリフォルニア・ロールは、かつてリトル東京にあったレストラン『東京会館』のオーナー、小高大吉郎の提案を受けて寿司職人の真下一郎が考案したそうだ。

僕だって、16年前に野茂が来たときにはトルネード・ロール。イチローが来たときにもイチロールって、新聞のコラムや雑誌のエッセイで提案しましたよ!

2011年12月20日火曜日

鉄火巻ブルース

僕が中学2年の時、上六にある「やまたけ」(肉屋)の隣りあった映画館に、莫逆の友と二人でオールナイトの映画を観に出かけた。先ず、映画館近くの鮨屋で、鉄火巻をテイクアウト。窓口でチケットを購入して、入り口を入った途端に、映画館のおっちゃんに呼び止められた。
「あんたらいくつやねん、あかんあかん!」
入場料は払い戻された。

「チェツ、うまくいったと思ったのに」友がため息交じりに呟いた。エロ映画を観そこなった友と僕は、生國魂(いくたま)神社の境内で裸電球の街頭の明かりで、鉄火巻をぱくついた。

神社の周辺にはラブホテルが密集している。鉄火巻を食べ終わって立ち上がろうとした時、友が、「待て、しーっ」と声を押し殺した。

しばらく二人で耳を澄ましていると、かすかに女の嬌声が聞こえてくる。友と僕は、声の聞こえる方へと近づいて行った。暗くてよく見えない。今度は男の声がした。男女とも鼻息が荒くなってきた。堪えきれなかったのか、女は細くて艶めかしい奇声を闇夜に軋(きし)ませた。

翌日、父が会社の帰りに、お土産を買ってきてくれた。僕の大好物のお鮨だ。折箱の蓋を開けると鉄火巻がぎっしり、正にすし詰め状態。握り鮨を期待していたのに…… んもうー。

僕は鉄火巻を頬張ったあとで、昨晩のことを回想して、即興で作った鉄火巻ブルースを鼻唄で歌った。

2011年12月19日月曜日

かんぴょう巻メモリー

30年前、服部喜美さんと教会で知り合った。服部さん住まいは、教会の近隣のコンドミニアム。よく遊びに行ったものだ。往時の服部さんは68、9歳。服部さんのコンドは、老人たちの憩いの場だ。

そこへ来られていた津田さん(92歳)から、興味深い話を聴いた。津田さんが若かれし頃、物陰に隠れていた長髪の青年が、津田さんに無言で手紙を手渡して、その場から逃げるようにして立ち去った。津田さんに恋文を渡した青年は、なんと芥川龍之介であった。

服部さんとは、色んなところに足を運んだ。さしずめ最も多く訪れたのは、ソーテルの『秀鮨』だ。服部さんはかんぴょう巻しか食べないのに、僕に握り鮨をいつもご馳走してくださる。

服部さんのご主人は、米国トヨタ初代社長、ハーバード大学卒の秀才。後に、白人女性と恋仲になってとは、服部さんから伺ったこと。

今日も服部さんと『秀鮨』に赴く。相変わらず服部さんは、かんぴょう巻しか食べない。そんな彼女を横目に、トロ、甘えび、うに、みるがい、貝柱……僕は機関銃のごとく、次から次へと注文して平らげる。

若いころは、かんぴょう巻に目もくれなかった。ところがどうだろう、50歳を過ぎた頃からかんぴょう巻が好物になった。

かんぴょう巻を食べる度に、今は亡き茶目っ気たっぷりの服部さんのことを思い出す。服部喜美さん、有り難うございました。

2011年12月16日金曜日

2011 12月 冬 俳句2

1. ポインセチア キリストの血と 永遠
2. 朝粥に 梅干しひとつ 年の暮
3. 晴れ渡る 心穏やか 冬の凪
4. 寒鰤や トロも裸足で 逃げにけり
5. 冬の星 的矢の牡蠣は 日本一
6. 暑い午後 南加の冬に 入道雲
7. 朝早く 北加フリーウェーに 雪しまき
8. 寒菊や 父の遺影を とり囲み
9. かっこいい 僕は残すよ 遺言状

2011年12月15日木曜日

NYのチャイナタウン

ニューヨークのチャイナタウンは生気に満ち溢れている。街を行き交う種々雑多な人種の波が、グォー グォー と派手やかな音を立てながら鵜の目鷹の目で移行していく。

僕の眼には、ただ群集の精悍さだけが映って圧倒されるだけだ。だが、チャイナタウン独特の大気の匂いの中で、親切な中国系の人々の人情に触れてほっとしたりする。

新鮮な魚介類と野菜、果物が堆く高く積み上げられた店の前では、衣類を売りさばく露天が立ち並び、極彩色の看板を掲げたおびただしい数の酒家(レストラン)のうねりを見渡しながら、僕はいつの間にか、唐の4代詩人(李、杜、韓、白)が酒食の快楽を吟じていたころの思いに誘(いざな)われていた。

サンフランシスコでも、ここニューヨークのチャイナタウンにおいても、意気軒昂に赴いて困る事が一つある。数多とある大、中、小の飲食店と屋台の中から、目移りする気持ちを抑えて、期待を裏切らない一軒を選び抜くことである。

しかしこの度だけはいつもと少し様子が違っていた。66 Bayard Streetにある上海料理店『Nice Green Bo』の前を通りかかった折りに、目白押しの盛況ぶりに魅せられてしまったので、後でここに入る事を決めておいた。

夕刻になって30分ほど待たされたが、その間にくまなくメニューを吟味した。店内は清潔で値段もリーズナブル。ニューヨーク・タイムスを始めボイス・ザ・ビレッジ、デイリーニュース、世界日報がこぞって絶賛している記事が入り口の壁に貼り付けられてある。

如才無い若いウェイターに相談に乗ってもらって、「蟹粉小龍抱」($6.25)と「蟹と生姜と分葱(わけぎ)の炒め物」($7.25)をオーダーした。味の方は今まで食べた中華料理の内でもトップクラス。艶やかで、芳ばしく、奥ゆかしい風味とコクは、声が出なくなるほどに至福にさせてくれる。誓って誇張などしているのではない。

それからもう一つ感心させられたことは、これだけ忙しく流行っているにも拘わらず、キャッシャーの前に立つ50絡みのオーナーらしき女性を始め、スタッフ全員が謙譲な物腰で客と接している。

お陰でニューヨーク滞在中は、ミッドタウン・ウエストにある宿泊先、アラゴンキン・ホテルから、チャイナタウンまで通食する日課が続いたのである。

『Nice Green Bo』のインフォメーション

2011年12月14日水曜日

2011 12月 冬 俳句5

1. ぼっちゃんと 盃かわす 梅錦
2. 乙女らに 砂糖とミルク 冬苺
3. 末期癌 悪夢が襲う 枯芭蕉
4. 初鰹 皿鉢料理 司牡丹
5. 荒海や 越乃寒梅 一人酒
6. 除夜の鐘 鮒ずし肴 鳰の海(におのうみ・琵琶湖の異称)
7. 夏草に 吾夢中なり 青邨忌
8. 日本酒(にほんさけ) アメリカ教会 クリスマス
9. 新世界 串カツどて焼き 年忘れ

2011年12月13日火曜日

オンドリの鳴き声

日本…… コケコッコー
イギリス…… コックアドゥードゥルドゥー
フランス…… コクリコ
ドイツ…… キケリキ
中国…… ウォーウォー

2011年12月12日月曜日

山羊の鳴き声

日本…… メエー
イギリス…… ブリート
フランス…… ベー
ドイツ…… メー
中国…… ミエ

Islands

ジョイにせがまれて、アイランズへ二日続けて出向いた。

大手チェーン店のコヒーショプより、アイランズの方が旨味は抜きん出ている。ハンバーガーをメインに、サラダ、スープ、サンドイッチ、ソフトタコ、魚料理もある。

10年前に、期待しないでアイランズに飛び込んだら、意外と美味しかったので驚いた。トルティア・スープはレストランによって、当たり外れがあるけれど、アイランズのトルティア・スープは、間違いなく上位にランクされるだろう。

トルティア・スープ、ラージ7.35ドルをオーダーすると、エンドレス(食べ放題)


ホームページ Islands

2011年12月10日土曜日

2012 12月 冬 俳句3

1. 漱石忌詩の講評を終わりけり
2. ジョイフルキリスト生誕クリスマス
3. 南加にて色とりどりの帰り花
4. イエス様信じて信ず信じます
5. イエス様わが救い主癒し主
6. 朝ご膳信楽の里狸汁
7. 丹波にて竹馬の友と牡丹鍋
8. かわはぎの肝に病みつきコップ酒
9. からすみや届いた珍味日本より

click here

2011年12月9日金曜日

静物 2011

林檎はかつて静物ではなかった
育って 年老いて 腐食して ミイラになる
林檎はミイラとなって初めて静物となる
何千年経っても変わらない姿
美術館にある林檎の油彩には
汚れた陰翳(いんえい)が幼く 鈍色(にびいろ)に映えていた

2011年12月8日木曜日

ESSOのガソリンスタンド 小野十三郎

ドラセナの鉢植のそばで
毒液みたいな
コーラを飲んでいた。
ガラス越しに
野末の太陽が見える。
いびつな冬の太陽は
吹きちぎれるような炎を噴いている。
とまったスポーツカーから
パタンと勢よくドアを閉めて
赤ジャケツ、黒眼鏡のあんちゃん一人降りてくる。
世界を背に
肩をゆすって
おれの方にやってきた。
「西の京へはこの道まっすぐか」
うなずくと
「ええんだとよう」
車の女に合図した。
女も黒いサングラスをかけている。
また、パタンと大きな音がした。
太陽もろとも
車は唐招提寺へまっしぐら。

山野辺の道に
ガソリンスタンド一つ。


小野十三郎は「短歌的抒情の否定」によって、現代詩の成立を唱えた詩人として有名である。生前、小野さんは人間を描くのが苦手であると語っておられたが、『ESSOのガソリンスタンド』に登場する「あんちゃん」などは、実にリアルに描かれている。

晩年になって、小野さんは詩を書くこが益々愉しくなってきた。と語っていたが、若い頃からスケッチ風の詩作を試みていたようだ。その代表格として、『ESSOのガソリンスタンド』を取り上げてみた。

平易な詩なので解説は不要である。小野さん独特の詩のリズムが、読む者の心を捉えてはなさない。何の変哲もない一状況のスケッチである。この詩の面白さは作者である「おれ」と、「あんちゃん」との対比にある。「おれ」は詩人であるのだが、無政府主義者の小野さんらしく、文脈には反社会的な「気配」が浮遊している。

最後の二行は落ちがついているみたいで、個人的にはあまり感心しない。だが、これも小野さんの遊び心の表れなのかもしれない。

小野さんと最後に酒を酌み交わしたのは、詩人、池田克己の未亡人が営んでいた天王寺(大阪)の場末にある屋台であった。また、近隣にある飛田遊郭で、小野さんを囲んで座談会をしたことが、ついこないだのように思える。

1996年10月8日、日本詩壇の長老、小野十三郎歿、享年93。

2011年12月7日水曜日

小政

リトル東京の2ndとセントラルの近くに、『小政』鮨がある。オーナーのミノルさんが15年程前に、病気で倒れてからはディナーのみの営業となった。

小さな店だが、週末になると店の外で待つ客が絶えない。回転が速いから、いつ訪れても新鮮なネタが待ち受けている。ミノルさんご夫妻は、無口で口下手。しかしサービスに真心がこもっている。

常連も新鮮なネタと人柄に惹かれて『小政』にやってくる。酒のつまみ、和食のメニューは充実している。


351 E. 2nd St., Los Angeles, CA 90012 TEL: 213-680-1792










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2011年12月6日火曜日

鎮魂歌

あなたは風 平安をもたらしてくれるそよかぜ風
あなたは花 恵みをもたらしてくれるさくらの花びら
あなたの笑顔は向日葵
あなたが教えてくれた信仰に 愛の音色が咲き誇る
ああ あなたは天国へ凱旋してしまったのね
イエス様に抱かれて とても とても幸せそう
稲山昭子さん 永遠の命
稲山昭子さん ありがとう

※ 2011年9月3日 作・新井雅之

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2011年12月5日月曜日

サタンの思う壺

或る統計によると、クリスチャンは肥満が多いそうだ。アメリカ人の6割が過体重か肥満。聖書の九つの御霊の実(ガラテヤ5:22)の最後に「自制」がある。

この自制心が欠けると、サタンの思う壺になってしまう。アメリカの小学校で支給されるランチはファーストフード、即ちジャンクフードだ。

朝食抜きの子供たちが多い中で、朝からピザ、フレンチフライを食べてくる者も。今朝の新聞の記事に、ピザは野菜であると認識しているアメリカ人に驚愕してしまった。

アメリカの家庭の食事に関しても、冷凍食品、缶詰類、加工食品が多い。アメリカ人はファーストフードと炭酸飲料水の中毒だ。炭酸飲料水の1缶の中に、砂糖が大さじで7杯も入っている。

おまけにデザートで出てくるケーキは、日本のケーキよりも10倍甘い。一切れが3倍ほどある。毎日ファーストフードを食べて、炭酸飲料水を飲み、強烈に甘いスイーツを食べる。

アメリカ人の60歳以下者は、上記の食生活を7割方続けているだろう。糖分過多よる落ち着きのない子供たちが後を絶たない。生活習慣病が子供たちに蔓延している。

政府も真剣にこの問題と対峙するが、遅々として改善されてはいない。正にサタンの思う壺だ。













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2011年12月4日日曜日

2011年12月 冬 俳句1

1. 鮨あれば雅之の日と思うべし
2. 真夜中に木枯らしピープー師走かな
3. クリスマスサンタクロースの多忙な日
4. 夕餉には焼きそば決めしポロロコに
5. 湯豆腐に鱈の身入れる湯鱈腐や
6. 熱燗に肴湯豆腐しばれる夜
7. ジョイ空手僕は散歩に江美子めし
8. 落ち葉焚き芋ほかほかに暮れなずむ
9. 十五歳サンタクロースまだ信ず

※1の句は、「花あれば西行の日とおもふべし」のパロディー。

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2011年12月1日木曜日

ご愁傷様


数年前に味の分からない田舎者の連中と、総勢7人でパリまで仕事で赴いた。パリに着くなり、その日のディナーは現地の日本の居酒屋。

来る日も来る日も、和食と中華料理の繰り返し。同行したボスが、アメリカかぶれのフランス嫌い。
「いやはや、たまらんわー」僕は嘆いた。

僕は本格的なフランス料理を食べたことのない者を募った。参加者は僕を含めて5人いた。
早速レストランを選んで予約した。そもそもこれが間違いの始まり、なにしろ田舎者、マナーが悪から顰蹙(ひんしゅく)を買う。英語が話せないから僕が料理の説明、給仕とのやり取り、どうでもよいことまで質問をする。酔いが回ると大きな声で話す。僕は料理を味わう暇がない。

「こんな高級なレストランや、締めくくりにお茶漬け食いたいわ、ちょと、新井さん。いつもきはるにいちゃんに聞ーてぇ~なー」

このアホが!てぃてぃてぃ!!聞くまでもない。僕は鶏冠(とさか)にきた。僕は彼をからかってやろうと思った。給仕を呼んで適当に喋った。

「お茶漬けできますってよ、糠漬けに、味噌汁もありますって」
「本当!」彼の嬉しそーうな顔。暫くたってから僕は席を離れた。

僕が席に戻ると彼に告げた。
「あいにく今日は、材料が整いませんのでできませんと言われたわ、ご愁傷様」


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2011年11月30日水曜日

三悪

某新聞社のCEOが語っていた。アメリカの三悪は、弁護士、CPA、メカニック。

アメリカ人のメカニックは、技術はおろそかな割に一丁前に修理代は高額だ。直ぐに修理したところが壊れてしまう。悪徳なメカニックに引っかかれば、正常なパーツでも取り替えられてチャージされる。日本人のメカニックは、総合的に誠実で腕が良い。

日本人、日系人のCPAは融通がきかない。仕事は抜け目なくやってくれるが、細かい資料を全て揃えて提出しなければならない。おまけに料金が高い。

7、8年前から、ヒスパニック系アメリカ人のCPAに頼んでいるが、親切、早い、廉価、融通がきく。毎年、高額のタックスリターンがある。

日本語の無料誌に、広告を載せている弁護士は如何わしい。中でも日本語が話せないのに、アシスタントを雇って、通訳をさせるような弁護士には要注意。

そもそも、英語のクライアントが大多数を占めるアメリカで、少数派の日本人にターゲットを絞るのは不審極まりない。まして日本語を話せないときている。

手元にあるPCで、弁護士の経歴を簡単に調べられる。無料誌に広告を載せている或る弁護士を調べたら、クライアントのお金を横領して、弁護士のライセンス停止を、2度も食らっていたことが判明した。



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2011年11月28日月曜日

おなごの黄昏

となりのオナゴ
赤と茶色のまだらの髪
日焼けした黄色いフェイスぶらさげよって
ムラサキ重ねて座ってやがる 

細かく踏み潰された
灰色のガラス細工のような声で
おなごはほざきよった
ここのざるそば、うまいなぁ

おなごはとりどりの色と重なり合った
ねばる
濡れる
垂れる
流れて匂う

おなごは最後にそば湯を飲んだ

やがて
おなごの後光が
幕を閉じた

2011年11月26日土曜日

枯葉

♪今はもう秋、誰もいない海~~秋といえば枯葉。

僕が最も好きなアルト・サックス・プレイヤー、キャノンボール・アダレイとマイルス・デイビス(トランペット)が、『枯葉』の名演奏を録音している。

マイルスほどブルースを感じさせてスイングするプレイヤーは、他には見当たらない。また、キャノンボールのインプロヴァイスは実に素晴らしい。

モダンジャズの傑作『枯葉』を、篤とお聴きくだされ!

2011年11月25日金曜日

鐘の音

日本……ゴーンゴーン
イギリス……ディンドン
フランス……ダンドン
ドイツ……ビンバン
中国……ティンタン



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2011年11月24日木曜日

お祈りのお礼

本日、入院治療から退院しました。入院中はよく眠れなかったので、帰宅後ぐったり。皆様のお祈りに感謝申し上げます。心奥から有り難うございました。

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発見! インドネシア・レストラン

今年の夏、教会の帰りに周辺を車で流していると、インドネシア料理のレストランを発見。愛餐会(ランチ)を食べてこなかったので、冒険方々3人で入店してみた。

何の情報もなしに初めて入るレストランは、正しく賭けである。第一印象は、あまり美味そうではない様な気がした。

スープと野菜を食べたところで、中華料理に味が似ている。新鮮な風味が、美味しさを倍増させてくれた。『Indo Cafe』に入ったのは大正解!

料理の名前を忘れましたので、写真を羅列します。

Indo Cafe 10428 1/2 National Bl. Los Angeles, CA 90034          TEL: 310-815-1290






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2011年11月21日月曜日

八木重吉


くものある日
くもは かなしい

くもの ない日
そらは さびしい



人を 殺さば

ぐさり! と
やって みたし

人を ころさば
こころよからん



太陽

太陽をひとつふところへいれてゐたい
てのひらへのせてみたり
ころがしてみたり
腹がたったら投げつけたりしたい
まるくなって
あかくなって落ちてゆくのをみてゐたら
太陽がひとつほしくなった




秋が くると いうのか
なにものとも しれぬけれど
すこしずつ そして わずかにいろづいてゆく
わたしのこころが
それよりも もつとひろいもののなかへ くずれてゆくのか




敬虔なクリスチャンであった八木重吉は、昭和2年(1927)肺結核のために(29歳で)夭折。信仰の詩を発表する一方で、対極的な、哀しみと怒りをあらわにした詩も綴った。

江藤 淳は、重吉の詩篇を文学作品としてみようとするかぎり、キリストは疑いもなく彼の「かなしみ」と怒りの、あるいは絶望の反映である。と道破した。

わたしは、この見解において、もう一歩踏み込んだ議論が必要であると思う。なぜならば江藤の論じる「反映」が、物事の一般性だけを捉えているからである。即ち、「反映」そのものが抽象的であり、粗放であるからだ。

例えば、泰西の文学作品にみられる人生の機微とキリストの関わりは、怒りと絶望の「反映」が描かれている。

同じく重吉が、キリストのなかに何を見たかは、「宗教的体験に属していて」、文学的にいえば実存的体験の所産であると江藤は弁じている。だが、あくまでも重吉の詩は宗教的体験のなかから、文学的に昇華したという事実を歪めてはならない。

また、重吉の詩はキリストを指しているのだが、キリストのみを見ようとする人々には見えないものを示している。それが重吉の詩篇の文学的な深さであると江藤は断じている。

正しく江藤の説に誤謬はないのであるが、重吉の詩篇には、真のキリスト者となりえて、聖書を熟知している者でなければ、また、見えない深さも同居しているのである。

最後に、富裕な農家の次男として生まれた重吉に対して、「かなしみ」を歌う源泉がどこに隠れているのかは、謎に包まれたままであった。けれども、重吉が書き残した草稿や感想、そして断片も含めて二千篇余りの詩を解読していくうちに、重吉には先天的な躁鬱気質が色濃く陰っている事実を付きとめた。即ち、欝の周期に陥ると「悲哀」を歌い。『人を 殺さば』や『太陽』を書いた折は、躁状態であったと思われる。


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2011年11月18日金曜日

ラブレター

11月23日は勤労感謝の日。語呂を合わせて『いい兄さんの日』、『いい文(ふみ)の日』でもある。

E-メールの普及によって、若い世代が文章を書くようになった。文といっても喋る言葉そのままである。先般、知り合ったばかりの30歳半ばの男性にE-メールを送った。宛名の敬称に様を添えたら、今度から「さん」にしてくださいと言われた。

メールは手紙だという意識が、いつも纏わりついているせいか、無意識のうちについ身構えてしまう。特に親しい間柄でない者に対しては尚更だ。

50歳位を境にしてと言えば良いのだろうか、人によっても千差万別であるが、とにかく若い人たちは、メールをコミュニケーションの主流として巧みに活用している。

だが若い世代からメールを貰うと、敬語の省略化と狎昵(こうじつ)的な文体に、少しばかり面食らう事がある。だからといって、メールを差し出した若い人に会ってみると、口数の少ない、おとなしい青年であることが多い。

恋文、いやラブレターだけは熱い思いを込めて、便箋に切々と書くほうが味わい深い。何も長く書く必要はない、明瞭簡潔、しかも燃えるような情愛がこもったラブレターを。

それでは、ロシアのシェークスピアともゲーテとも呼ばれているプーシキンに、ラブレターの書き方を伝授してもらおう。

オネーギン様 もし出会わなければ/あなたを知らずに苦悩もなかったはず/でもあなたと出会う運命だったのです/はじめてあった瞬間/すぐ分かりました/ああ 運命の人が 現われたのねと/どうか 疑念から救い出してください/運命に身を委ねます/秘密を明かした手紙を読み返すのが怖い/あなたの心を信じますが/恥と恐怖で消え入りそうです タチヤーナ (『オネーギン』より)

晩秋の夜長、1123(いい文)を綴る季節の到来である













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2011年11月16日水曜日

祈りのリクエスト 癒し祈願

ようやく入院治療の日が、11月21日に決まった。超粗食が一ヶ月半で終わる。

一ヶ月前の診察の折、癌細胞は90%死滅しているとドクターは僕に告げた。あと10%、今度の入院治療に期待を寄せる。

今思えば3年前、瀕死の状態で病院へ担ぎ込まれた。極度のストレスとストローク、脳、リンパ、甲状腺、肺、4ヶ所の末期癌。

今までの治療費が80万ドル、一ヶ月の薬代が1万1千ドル。僕が回復したのはイエス様の癒しと、皆様方のお祈りのおかげだと固く信じている。

僕が完全に癒されるまで、お祈りを続けてください。

2011年11月15日火曜日

病気

吉田兼好が著した鎌倉時代の随筆、『徒然草』の第117段には、友とするにはふさわしくないものが7つあると説かれている。

その中の一つに「病なく身強き人」を挙げているが、おおよそ兼好法師は、健康な者には、病弱の者に対する同情の念が欠けているとでも言いたかったのであろう。

ヒルティの『幸福論』第3巻(正木 正訳)に、「病気」に関する記述がある。
「幸福は健康がなければ生じないというのであれば、悲しいことであろう。だがそれは真実ではない。不幸な病人があると同様に、幸福な病人もあるのである。病気と幸福は絶対的に対立させるものではない」

「病気もまた幸福であり得るのであって、健康な日には起らなかったものが、一段と高い人生観への浄化剤ともなり、血路ともなることが出来るのである」

僕は聖者と仰がれたヒルティの、この味わい深い一文が好きだ。また、近代フランスの人道主義者で作家のロマン・ロランは、病気はためになることが多いと喝破している。なぜならば、肉体を痛めつけることによって、魂を解放して浄化するからだ。一度も病気をしたことのない者は、十分に自己を知っているとはいえない。

わたしは傷を持っている
でも、その傷のところから
あなたのやさしさがしみてくる
(星野富弘)

不慮の事故から此の方、首から下の自由を奪われてしまった星野さんは、この試練を通して、真の慈しみと出会ったのである。

2011年11月14日月曜日

長野君

中学生の時分、長野君とは学校の帰り、数えるぐらいしか一緒に帰ったことがない。小学生の時も一緒の学校であったのに、話をしたことがない。

中学生になって同じクラスなった。それでも、長野君とは一言も話をしたことはない。長野君は目立たない、おとなしい、優しい、秀才だ。

ある日、僕たちは一緒に下校した。道すがら、僕はジョークの連発。長野君の老人みたいに、か細い声をあげて笑う顔が、未だに僕の脳裏に鮮明に焼き付いている。

長野君は背が低い、セムシ男のように背中が曲がっている。歯がボロボロで息がくさい。まるで、近所のご隠居と歩いているみたいだ。

コオロギが鳴く晩秋に、14歳の長野君はこの世を去った。正に青天の霹靂。今思えば長野君の両親は、長野君が長く生きられないことを知っていたのかもしれない。

でくの坊の、この僕が生きながらえて、秀才の長野君が夭折するなんて、これも神様の計画と言うことだろうか。

11月の星月夜に、裏庭のバルコニーで腰を掛けていると、コオロギが一匹、草笛の音の様に物悲しく啼いていた。

2011年11月10日木曜日

豆腐

「世の中は豆で四角で柔らかで、又老弱に憎まれもせず」。中国からインゲン豆を日本へもたらした隠元禅師は、豆腐をこのように称賛している。

現代でこそ、お豆腐は健康食品の代名詞として圧巻だが、江戸前期の儒学者、貝原益軒は、自著『養生訓』の中で「豆腐には毒があって気をふさぐ」と記述している。

益軒は豆腐の食べ方について、「新鮮な豆腐を選んで、素早く煮て取り上げたら、大根おろしを加えて食べると害はない」とも記している。

江戸後期のベストセラー『豆腐百珍』の「絶品」の項目に、益軒の意向を参考としたらしい「湯やっこ」が紹介されている。

まず、豆腐を奴に切る。湯に葛を入れて、豆腐が浮き上がったら出来上がり。つけ汁は醤油を煮立てて、花かつおを入れる。湯をさしてもう一度煮立てる。薬味は葱と大根おろし、粉唐辛子。これなら家庭でも簡単に作れる。

先般、DVDで茂山狂言を観た。茂山狂言の家訓は、お豆腐狂言として語り伝えられている。その昔、婚礼や祝いの席で、余興に困ったら「茂山の狂言にしとこか」と言われた。京都ではおかずに困ったら「豆腐にでもしとこか」と言う。周囲からは「茂山の狂言はお豆腐屋」と揶揄されたそうだ。そんな陰口を逆手にとって、広く愛されて、飽きのこない、味わい深い『豆腐狂言』の精神を貫いている。

大の豆腐党であった泉 境花は、生ものに対する恐怖症があったために、湯豆腐しか食べなかった。しかも、ぐらぐらと煮えた湯豆腐を好んだ。

「湯豆腐やいのちの果てのうすあかり」。美食家の文人、久保田万太郎の一世一代の名句である。

周辺にいる日本人十人に聞いてみた。「あなたのお気に入りの豆腐は? 」。ガーデナの『明治豆腐』。サンゲーブルの『永和豆漿』(YUNG HO TOU CHIANG)。森永の『調製豆乳』。

平成5年(1993)日本豆腐協会は、語呂合わせから、毎月12日と10月2日を『豆腐の日に』制定した。            
            

2011年11月8日火曜日

ボジョレーヌーヴォーとマカロン

20数年前に大阪でフランス料理を食べたとき、ソムリエがボジョレーヌーヴォーは如何でしょうかと僕に薦めた。僕は即座にボジョレーヌーヴォーは新酒なので、味が若くてあまり美味しくないと断った。僕は続けて、ならばカリフォルニアワインの方が美味いと告げた。にわかにソムリエが狼狽したのが分かった。

シェフが最後に登場してきた。挨拶をしたあとで、シェフ自らワゴンを押して、コニャクとチーズの盛り合わせ持ってきた。シェフは相好を崩して、サービスですと僕に告げた。

「ロックホォールは無いのですか?」
僕はボソリと呟いた。
シェフが言葉を詰まらせて取り乱した様子。

ボジョレーヌーヴォーなんて……なんで日本人が大騒ぎするのか、わからへん。
今年のボジョレーヌーヴォーの解禁日は、11月17日だっせ、忘れなはんなや。

僕がボジョレーヌーヴォーをたしなむときは、マカロンを肴にして賞味する。これが意外と良く合うのだ。


2011年11月7日月曜日

カラスの鳴き声

日本…… カアカア
イギリス…… コー
フランス…… クロウ
ドイツ…… クラークラー
中国…… アー

2011年11月4日金曜日

♪ 月がとっても青いから 遠回りして帰ろう。

11月6日、午前二時に夏時間が終わり標準時間に戻る。季節は一層秋立ち、夜空の蒼い月が下界へと媚びる晩秋の訪れだ。

一千年前、紫式部は詠(うた)っている。
「めぐりあひて 見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かげ」

紫式部が『源氏物語』を綴った石山寺(滋賀県大津市)は、月の名所としても名高いが、この歌には紫式部が青春時代に恋愛体験をした懸想(けそう)が、色濃く刻み込まれていた。

露伴の句で惚れぬいているのがある。
「名月や舟を放てば空に入る」
(水面には月が映っている。舟を出すと、まるで夜空に浮いているみたいだ。)

月を題材とした定型詩や自由詩には、池、川、湖、潮が良きパートナー役を務めている。中原中也の詩『湖面』の冒頭は、「ポッカリ月が出ましたら 舟を浮べて出掛けませう・・・ 」。月のイメージは風流かつ由々しくもある。

「月」で連想したのが『竹取物語』だ。好色家で名が通っていた五人の貴公子たちは、一心不乱になってかぐや姫の家の周辺で露営を張りながら、闇夜になると垣根の隙間から家の中を覗き込んで情欲を燃やした。

求婚することを「呼ばふ」の連用形「呼ばひ」に転じて、「婚」(よばい)と当てられたが、後に彼らのような行為をすることを、「夜這い」と意識されるようになった。

月を見上げていると、つと萩原朔太郎の第一詩集『月に吼える』に思いが馳せた。序文に北原白秋は記している。「月に吼える。それは正(まさ)しく君の悲しい心である」と。白秋の序文は朔太郎の一つひとつの詩に、更に芳純な<におい>を漂わせることになる。それは朗月のように美しい、壊れる事のない友情であった。

2011年11月3日木曜日

『みつる寿司』

リトル東京の老舗大衆鮨屋、『みつる寿司』Mitsuru Sushi & Grill。メニューは洋食、和食何でもある。すしバーで座って、鮨をつまむのもよし、名物、鯖棒が飛びきり美味い。


316 E 1st St Los Angeles CA 90012 213-626-4046 無休

2011年11月2日水曜日

 ★

 ★

殺してやる

 ★

殺してやるって
夕べうなされていたわ

 ★

江美子が呟いた

 ★
 ★
 ★
 ★

殺してやる
おれの潜在意識が激怒している
殺してやる


ぶっ殺して★やる

2011年10月31日月曜日

すしと犬


握りずしの歴史は約200年ほどであるが、20世紀の後半には世界にすしブームが捲き起こった。

元来、すしは「酸し」(すし)のいわれがあるのだが、江戸前の握りずしは東京湾で捕れた小魚をすしダネにしていた。近海の新鮮な魚が売り物だったせいか、昔から東京では魚が旨いと書いて「鮨」と読ませた。

板前の本場大阪では、新鮮な魚を切って出すだけでは魚屋と同じであるので、魚に手を加えて<作った>料理から「鮓」の字をあてた。

この東京の「鮨」と大阪の「鮓」の由来に関しては、半分が自説である。「すし」にまつわる古文書を閲読していくうちに、このような結論に達してしまった。

11月1日は『全国すしの日』だそうだが、そろそろ『全米すしの日』や『世界すしの日』を提案しても良いのではないか。

先般、すしバーに座って食事をしている最中、客の一人が最近秋田犬を飼いだしたと発言した。

では、ここでクイズを出す。次に挙げる犬種は、「いぬ」と読むべきか「けん」と読むべきか。柴犬、土佐犬、秋田犬、北海道犬、紀州犬、樺太犬。

正解は最初の三匹が「いぬ」で、後は「けん」と読む。例外もあるが、基準として日本産犬種は「いぬ」、外国産犬種は「けん」。

ところで、「犬もあるけば棒にあたる」とは、積極的に行動すれば何かを得ることを強調している。だが旧来は、犬でもうろつけば災難に遭うので、じっとしていろというのが真意だ。

荘子様も仰せになっているではないか、「犬はよく吠ゆるを以って良となさず。人はよく言うを以って賢となさず」

11月1日は、ワン、ワン、ワンで、『犬の日』でもある。

2011年10月28日金曜日

読書週間に思う

古木は燃すべく、古酒は飲むべく、旧友は信ずべく、古書は読むべきである。経験論哲学の創始者フランシス・ベーコンの言葉が好きだ。

日本では10月27日から11月9日まで、読書週間。ショウペンハウェルは『読書について』の中で、文学を「とどまる文学」と「流れる文学」の二つに区別している。前者は真の文学で永遠に持続する文学を旨とし、後者は偽りの文学、即ち毎年数千の作品を市場に送り出して、話題性を仕掛けて営利に疾走するが、2、3年経てば、持てはやされていた名声が消滅してしまう駄書のことである。

先般、(財)『耳文庫』代表の肝付佳寿子さんから、マーク・トウェインの『ハックルベリ・フィンの冒険』(角川書店)を恵贈して頂いた。訳者は肝付さんの、叔父上であられる英文学者の大久保博さん。

1990年にトウェインの幻の自筆原稿が新たに発見されてから、初版では割愛されていた「筏のエピソード」が含まれている完訳版。

僕が少年の頃に読んだ『トム・ソーヤの冒険』や『ハックルベリ・フィンの冒険』は佐々木邦が訳していたが、『ハックルベリ・フィンの冒険』の冒頭に書かれていた短文を読んで、度肝を抜かれた事を思い出す。

「この物語に主題を見つけようとする者は、告訴されるであろう。教訓を見つけようとする者は、追放されるであろう。プロットを見つけようとする者は、射殺されるであろう」
(大久保博訳)

トウェインの古典に対する思い入れは格別である。「古典とは、誰もが既に読んでしまっていることを望みながら、しかも、誰もが読もうとは望まないものである」

読書週間は、ベストセラーのプロモ―ション週間ではない。「新しい本が出版されたら、古い本を読め」。読書家の先人たちが遺した警句に立ち帰りたい。

輝 き

キリストに出会えた幸い
キリストを賛美する喜び
キリストを信じるこころ
キリストと共に歩む人生

弱いこころが
駄目な男が
劣等感の塊が
不安の日々が
嘆いてばかりいた自分が
雪のようにとけて消え去った

信仰は勝利である
至上の歓喜
びっくり仰天

見たまえ、すべてが新しくなったのだ
まるで雪晴れ皚皚(がいがい)輝いている

2011年10月26日水曜日

ジェニファーと食べるイタリアン

何年か前に訪れたイタリアン・レストランを紹介するのを忘れていました。ブレンドウッドにあるVincenti』。

5年程前に、江美子の従妹ジェニファーと共にVincenti』赴いた。ジェニファーは大のイタリア料理好き。ジェニファーの父親はアメリカ人、母親が日本人。エレガントな身のこなしのジェニファーは、息を呑むほどに美しい。

この日のメニューは、白ワイン・グラスと赤ワイン・ボトル。料理は生ハムとモッツアレラチーズ。ブラックトリュフ乗せラビオリ(写真)。メインはSquab(雛バト)。デザートがジェラート。

パートナーは美しい女性。料理がおしゃれで美味しい。僕はほろ酔い気分。最高のディナーを満喫しました。


11930 San Vicente Blvd. Los Angeles, CA 90049               
TEL: 310-207-0127

2011年10月23日日曜日

絶望  竹中 郁


僕は眠っている。
誰かと一緒に、
一つの寝床で。

かしてくれるやさしい手枕。
僕はその手ばかりを愛撫する。

それ以外には
胴もない、
顔もない、
髪もない、

君はこの人を誰だと思ふ。
当ててみたまへ。




ずいぶん古い話しになるが詩人、港野喜代子さんの葬礼の日に、今にもデキシーランド・ジャズの演奏でも始まるのではないかと思わせるような、たいそう派手やかな出立ちで竹中 郁さんが葬儀会場に現れたのである。

僕は、竹中 郁さんのことを思い浮かべる度に、何時しか、このことだけが脳裏にたなびくようになってしまった。彼はどことなく風変わりな詩人であった。竹中が創り出す詩の群れもまた、奇々妙々としていて斬新であるから、つい襟元から一気に引きつけられるような思いに駆られて、竹中の詩の世界へとはまり込んでしまう。

竹中が二十代半ばから後半の頃に書いた「絶望」は、詩集『象牙海岸』に収録されている。この作品は、竹中が欧州に遊んでいた二年余りの歳月から、モティーフが抜粋されている。ところが主題に相反して孤独や焦燥、そして緊張感などの否定的な部分が、表面に露呈されていないことに気づかされる。だが、これはむしろ、竹中の個性が強烈に反映している証しなのである。

村野四郎は、「異国で独り眠る孤独な青年の郷愁が語られている」。「やさしい手は、幼時の母を幻想している」と、日本の詩歌/25(中公文庫)のなかで、「絶望」の注釈を記している。

けれども、この詩で最も注目しなければならないことは、それ以外には<何もない>真実なのである。このミステリアスなくだりは、異国で書き散らかしてきた断片を、帰国してから推敲を重ねてデフォルメさせたものである。そしてこの、ある種の幻想を甦らせた心のゆとりは、最終連の諧謔(かいぎゃく)へと落ち着くのである。じつはこの詩のトリックを開陳するならば、一連目を第四連に置き換えることによって、「絶望」は結実するのである。

従って、えたいが知れない誰かと一つの寝床で<眠り続ける>こと自体が、往時の竹中を脅かしていた明白な「絶望」であった。

そして、この詩の伏線を示唆している第一連の真義…… 即ち「絶望」とは、竹中はパリで暮らした後で、神戸に帰って能 キミと結婚するのであるが、住まいを新築するも職に就くことはなく、文学という名の放蕩に益々のめり込んで行くのである。この理想と現実の相剋に、竹中の魂はおどけてしまって、自沈してしまうのであった。

2011年10月21日金曜日

犬の鳴き声

日本…… ワンワン
イギリス…… ボウオウ
フランス…… ウアウア
ドイツ…… ワウワウ
中国…… ワン

猫の鳴き声

日本…… ニャーオ
イギリス…… ミュー
フランス…… ミャウ
ドイツ…… ミャウ
中国…… ミー、ミャオ

2011年10月20日木曜日

由香の思い出

村雨のリトル東京、時節は如月(きさらぎ)。日米文化会館の地下の一室で、共にアメリカ人に日本語を教えに来た時に、僕と由香との初めての出会だった。

ヤカランダの花が咲き始めた頃に、僕と由香との交遊が始まった。僕は27歳、由香は21歳の日系2世でUSCに在学中。往時の僕は、アダルト・スクールに通っていた。

二人の共通点は、二人ともかに座であることと、鮨が好き、ジャズが好き、アルコールが好き、そして海が大好きであった。由香はジャズ・ボーカルがとても上手だ。

由香は妹のように僕に馴れ親しむ。僕も由香の言うことは、何でも聞いてやった。

6月、プレーボーイ・ジャズ・フェスティバルへ二人で赴いた。大き目のクーラーにワインと刺身、そして鮨を詰め込んだ。二人ともウエイン・ショーターが目当てだ。♪ 楽しかったなぁー ♪、未だにあの時のことが、鮮明によみがえる。

独立記念日の夕刻、レドンド・ビーチへ出向いた際に、ワインを飲みながらシーフードを食した。その折に深刻な面持ちを浮かべて、由香がぽつりと口走った。
「私の両親、離婚するの」
由香は涙ぐんだ。

あの時、ピアーで夕映え眺めながら、由香が『虹の彼方へ』を口ずさんだ。その夜、僕と由香は夜が明けるまで共に過ごした。

2011年10月19日水曜日

ξ

最近、夜になると胸騒ぎがする。奈落の底へ落とされないかと杞憂する。

優れた詩が書けない。満足する詩が書けない。

オーネット・コールマン、アンリ・ミショー、正岡子規、ボード・レール、このカタワで、惨めな男を憐れんでください。

ザクロ記念日

ぼくの肉体が滅びても
あなたのことは
決して忘れません
いつまでも いつまでも
あなたのことを
愛しています

あなたの瞳をみていると
神様の愛が
ゆるみなく伝わってきます

あなたと会えて
ぼくは
とても幸せでした

死は終わりではありません
神様の愛は計り知れないのです
あなたとめぐり会えた あの時から
ぼくの鳩尾(きゅうび)は萌えだしました

あおい あおい
紺青色にときめいて

熟して裂けて
無数の種子を裸出した
紫丹のザクロのように

ぼくは
あなたと神様の深い愛に包まれて
凱旋の花道を翔(かけ)のぼっています