2016年5月25日水曜日

ジャズとカクテル

10年前、僕の家でよく作るカクテルに、ウオッカとトマト・ジュースをベースにしたブラディー・マリーがある。日本語に訳すと、血だらけのマリーさんと言うことになる。従って、トマト・ジュースだけならば、バージン・マリーとなる。

僕はかつて、ウオッカとジンジャエールをミックスしたカクテル、モスコミュールをナイトキャプにしていたことがある。バラードのジャズを聴きながら、やがて眠りに就く。

僕はジャズが好きだ。サックスの入ったカルテットが最も好きである。僕の詩に『赤いブルー』と言うのがある。ジャズ・ピアニストのアーク佐野さんに見せたら、この詩を読んで、イメージを膨らませて作曲してくださった。

曲名は『レッドブルー』。燻銀のバラードに仕上がった。アーク佐野さんのファースト・アルバムに収録されている。風呂上がりに、ジャズを聴きながらカクテルを飲む、これが僕のリラックス術だ。

「ジャズを聴きカクテルを飲む夜長かな」



2016年5月23日月曜日

子供の頃に、祖母の手に引かれて縁日によく行った。一休みする所は関東煮(おでん)屋。
僕は何時も、コロ(鯨の皮を煎り、脂肪をぬいて乾燥させたもの)を食べたいと思っていた。

大きくなって念願がかなって、おでんのコロを食べた。ものすごく美味かった。暫くして大阪、道頓堀の『たこ梅』(当時は、おでん専門店)で、さえずり(クジラの舌)を食べた。コロよりも美味しかった。でも、値段が高かった。兄と二人で、おでんを食べて飲んで、37年前に10,000円。

35歳位の頃、大阪の日本橋でハリハリ(くじら)鍋を食べた。鯨肉と水菜と昆布の出し汁のオラトリオが、絶妙にマッチしていて、こたえられない味に仕上がっていた。

尾の身(鯨の背びれから尾の付け根までの肉)は酒の肴としては最高であるが、僕が渡米前に、母が買ってきてくれた尾の身刺身を、ショウガ醤油をつけて賞味した。天にも昇る思いで味わったのを、未だに覚えている。

昔の給食は肉と言えば鯨であった。主に日本とノルウェー以外の国は鯨を食べない。アメリカで鯨を食べさせてくれるレストランは皆無だ。僕は鯨を食べたいと、思いは募るばかり。








2016年5月16日月曜日

牛肉

子供の頃わが家では、ご馳走といえばすき焼きであった。昨今の日本人は、すき焼きをあまり食べていないように思う。その代わり、焼き肉(ホルモン焼き)を食べるようになった。

霜降り和牛を食してみて味覚を称揚するときに、まず、第一声が柔らかい。もしくはジューシー。その後に、美味しいあるいはウマイと続く。

どうやら日本人のほとんどが、舌の上でとろけるような柔らかい牛肉が美味しいものだと思っているらしい。脂質は旨味成分であるので、霜降りにして赤身肉と一体になることは、柔らかくて美味しい牛肉になることである。

けれども、良質の赤身肉を分厚く切って焼き方に工夫を凝らすと、歯応えのある牛肉本来の旨味と、野趣に富んだ肉汁のコクが味わえる。

「但馬牛」の名称は、兵庫県北部で生産された牛に対する呼称。「但馬牛」の中でもさらに選りすぐった上質のもののみが、和牛の誉れとして名高い「神戸ビーフ」だ。日本で一番厳しい認定基準を持つ。

「但馬牛」の資質と肉質が非常に良いため、三重県の「松阪牛」と滋賀県の「近江牛」の素牛となっている。

また、「但馬牛」の血統を継ぐ牛は、宮城県の「仙台牛」、岐阜県の「飛騨牛」、佐賀県の「佐賀牛」である。

独断的な味覚順位によると、ナンバーワンは「神戸ビーフ」(兵庫県)。二位、「米沢牛」(山形県)、三位、「飛騨牛」(岐阜県)四位、「佐賀牛」(佐賀県)、五位、「宮崎牛」(宮崎県)。番外として大阪府の幻の牛肉「羽曳野牛」。

十五年前に訪日した際、大阪コリアタウン鶴橋の『鶴一』で焼き肉を食した。学生時代に一度訪れた店である。

数日後、三ノ宮(神戸)の焼き肉店『石田屋』へ赴いたところ、『鶴一』とは雲泥の差に吃驚してしまったのである。さすが「神戸ビーフ」、味の差は歴然としている。背トロのあぶりを味わっている食感であった。



2016年5月10日火曜日

二流国への大門

アメリカに移民して来た者は、ドイツ人であれば教会を建て、イタリヤ人は酒場作り、日本人は学校を建てる。そのように語っているのは帰米二世の作家、山城正雄さんである。日本人は学校を建てるというのは、日本語学校のことだ。

ミツワのフードコートで、7年前に耳にした事である。アラフォーの女性が二人で話をしていた。僕は話を聞くつもりはなかったが、自然と話の内容が聞こえて来た。

「うちの子供たちは、国際人に育ってもらいたいから、英語だけを喋れたらいいわ」
即ち、日本語は必要ないと言うのである。

巷でも、教会の子供を持つ親の間でも、アメリカは英語で勝負、日本語など必要はありません。と言う意見が多数であった。

僕はがっかりとした。世界中どこの国でも、母国語を疎かにしている国は無い。近頃の日本人は、日本人のプライドを捨てたコンプレックスの塊だ。

現地の日本語学校に、僕は苦言を呈す。先ず、日本語を習得する意義について、保護者と児童を交えて、徹底的に話し合うことである。現地の日本語学校は厳しさが足りない。(厳しくすると生徒が学校を辞める。学校の運営が成り立たない。)

ある日本語学校は、デイケアー・センターと変わらない学校がある。授業中に騒いでも先生が止めきれられない。日本人の学力低下は、正しく二流国への大門だ!








2016年5月9日月曜日

文学散歩

テレビを見ていたら、歴史を散策する番組が始まっていた。舞台になる所は兵庫県西宮市。僕はこの番組見ながら、懐かしさがこみ上げてきた。

と言うのは、僕が二十代半ばの頃に、関西を中心に文学散歩の講師をしていたからだ。僕は拡声器を肩にかにかけて、要所、要所で立ち止まっては解説をした。参加者は200人近くいた。

一番思い出深いのは、『芥川龍之介、羅生門再考』と題して、洛南(京都)の街を歩いたことである。散歩が終わってから料亭で新年会が始まった。

現在は、大阪文学振興会事務局長の横井三保さんが、関西文学散歩の会の代表を務める。三保さんは僕が編集者時代の先輩。大阪市立五条小学校の先輩でもある。


『大阪文学散歩Ⅰ』(関西書院)は、僕と三保さんの(その他の講師も含む)共著でもある。

2016年5月5日木曜日

証しにならない

アメリカ人の教会を借りて、在米日本人のための伝道集会が開催された。企画をしたのは、日本人クリスチャンの若者たち。

若者はステージで聖歌の曲を演奏して賛美する。聖書の拝読、証し、説教ありで、伝道集会は成功裏に終わった。

クリスチャンは見られている。ノンクリスチャンはクリスチャンに期待されている。

先ず、品性を持って笑顔で誠実に生きることだ。クリスチャン全員が微笑んで、明るく生きるならば、それだけで伝道になる。

伝道集会を開いた若者のクリスチャンは集会終了後、教会の掃除と諸々の後かたづけを怠った。教会のパスターは頭(かぶり)を横に振った。


若者は顰蹙(ひんしゅく)を買うことになった。神様を伝えても、これでは証しにならない。

2016年5月3日火曜日

駅弁のベスト・スリー

僕が中学一年生の折、鉄道ファンであった。休日になると、友達と蒸気機関車の写真を撮りに出掛けた。されから今日(こんにち)に至るまで続いた。

鉄道に関する色んな物を、コレクションした。国鉄時代に展示即売会で買い集めた、懐中時計、ナンバー・プレート、切符を切るハサミ。

自分で集めた切符、駅弁の容器と包装紙。中でも駅弁の食べ歩きが好きだった。駅弁で忘れられない味がある。

東海道本線、米原駅の『鱒の姿すし』。北陸本線、富山駅の『ますのすし』。函館本線、森駅の『烏賊飯』(いかめし)。僕が食べた駅弁のベスト・スリー。

富山駅の『ますのすし』もどきなら、アメリカでも作れる。鮨飯の上にサーモンを敷き詰めて、押し寿司を作る。


今度、挑戦してみょうかなぁ……  懐かしい味が甦るのを期待して、思いついたら直ちに実行だ。

2016年5月2日月曜日

大病

クリスチャンの信仰がありながら、大病をするのが解らないと、或る知人から言われた。僕も信仰を持ちながら、大病をするまでは解らなかった。

判ったのは最近のことである。それは主なる神様、イエス・キリストに近づくためにある。感謝の思いがあふれるために、長く生きながなえることは問題じゃない。信仰を持ってさえすれば、何も恐れることは無い。永遠の命を神様が保障してくださる。

「このよに、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終わることはない。なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」(ローマ515