2012年2月29日水曜日

美味、牛の胃袋の煮込み

8年前から2年に一度赴く、イタリア料理のレストランがある。2008年から2011年の4年間は、病気で中断したが、約4年ぶりに『Angelini Osteria』(アンジェリーニ・オステリア)に訪れた。

目当ては、牛の胃袋の煮込み料理。突如、無性に食べたくなるのだ。有名なレストランとあって、予約なしでは席が確保できない。僕はまだ、アルコール類は厳禁だ。この日はアイスティーと、シーフード・リゾットと牛の胃袋の煮込みを食べて終了した。

僕の大好物、ラムチョップが食べられなかったのは残念至極。でも、牛の胃袋の煮込みが4年振りに食べられて、余は満足じゃ!



『Angelini Osteria』 ホームページ


2012年2月28日火曜日

蝸牛

カタツムリには言葉がない
カタツムリにだけ 最初の以前から
言葉は存在していない
言葉のない言葉は 言葉ではないのですがこれも言葉だ
カタツムリは言葉のない言葉で生きている

罪にまみれた人間は 神様から愛されて
言葉が与えられました
言葉も手も足もないカタツムリは
紫陽花の葉の上で
重荷を背負い 
雨に打たれて
とてつもなく美しく輝いている

2012年2月27日月曜日

小イカ鍋

三寒四温は中国の華北地方や朝鮮半島などで、冬季に見られる天候の現象であるが、当地でも、初夏のように汗ばむ日が続いたかと思えば、乾燥して澄み切った大気が冷たい、冬晴れの日が続く。
 
年中温暖な日和の地方として有名な南カリフォルニアであるが、雨季を迎える冬期には、冱(い)つるような厳寒が幾日かある。特に山沿いや沿岸地帯では、暖炉の火を熾すことが日課となる。
 
真冬の寒空に天狼が輝き始める頃、夕餉(ゆうげ)の膳に鍋料理が用意してあると、ほっと気を和ませてくれる。

「鮟鱇(あんこう)もわが身の業も煮ゆるかな」(久保田万太郎)
東の横綱、鮟鱇鍋に相対するのは、西の正横綱、河豚(ふぐ)鍋である。関西地方では「河豚は食いたし命は惜しい」というように、あたったら死んでしまうので、てっぽう鍋(てっちり)と呼ぶ。

「月星の相触るる夜の河豚づくし」(能村登四郎)
この両横綱の更に上をいく高雅な鍋物がある。家庭料理としては馴染みの薄い、すっぽんの鍋料理だ。但し、台湾式のすっぽん鍋ではなく、あくまでもシンプルで優美な、日本流すっぽん料理の『まる鍋』である。
 
当地カリフォルニアで、旨い、安い、簡単に調理できるのが、小イカのしゃぶしゃぶ。背中の薄骨を取り除いた小イカを、しゃぶしゃぶを食べる時の要領で、まるまんまポン酢に付けて食べる。あるいは、よく熱したフライパンで焼いて、生姜醤油を付けて食べる。ポイントは煮すぎない、焼きすぎないこと。
 
牛肉や豚肉のしゃぶしゃぶと共に、小イカのしゃぶしゃぶを食べるのも愉しい。
「冬盛りスミに置けない小いか鍋」(賛美)

2012年2月25日土曜日

トマトにはトマトの生き方があり
レタスにはレタスの生き方がる
 
男には男の道が存在し
女には女の道も存在する

アメリカにはアメリカの主張があり
日本には日本の主義がある

僕には僕の考えがあり
俺には俺の考えもある

俺は いや僕は
俺は 僕は 俺は 僕は……

自我の狭間でフリーズしたまま
今日も 自分の生き様に虹橋(こうきょう)の夢を架ける

2012年2月24日金曜日

如月とキムチと二月の菓子

一年中温暖な南カリフォルニアであるが、所によっては未明から早朝にかけて、まだまだ冷え込みが厳しい。万象いきいきとして春らしくなるには、もう少し時間がかかりそうだ。

陰暦二月の異称は「如月」(きさらぎ)である。寒いので着物を更に重ね着するので「衣更着」などとも書くと教わった。また、歳時記にもそう記されてある。

実はこれは誤りで、正しくは草木の更生することをいい、「生更ぎ」と書く。

日本は今、韓流ブームだそうだが、当地でも7年前の『冬のソナタ』以来、日系のスーパーではキムチがよく売れ始めていると聞く。

『ためしてガッテン』の受け売りであるが、キムチ鍋を美味しくこしらえるコツは、豚肉とキムチを鍋に入れる前に、まず、フライパンにゴマ油をひいて炒めることである。一緒に煮干も鍋に少々入れると、まろやかでコクのある、味わい深いキムチスープに出来上がる。

ごく最近になって知ったのであるが、ガーデナにある『キムチ・ハウス』製造のキムチが美味しい。一部のスーパーでも売られているが、本店で購入する方が新鮮で、味に格段の差がある。

キムチ納豆は血栓を溶かして、血液をサラサラにする効果があるといわれている。従って週に3回はキムチを刻んで納豆を混ぜたものに、ネギ、モロヘイヤ、そして大葉をみじん切りにしたものを加えて、玄米にかけて食べている。

毎年二月になると、子供の頃に味わったうぐいす餅やわらび餅を懐かしく思うことがある。中でも、日本最古の長編小説『宇津保物語』、『源氏物語』に「つばいもち」として出てくる椿餅は、唐菓子の一種で、日本で最初の菓子といわれている。

一句浮かびました。「父母偲び自由の国でわらび餅」(賛美)





2012年2月23日木曜日

夕日の癌マン

末期癌は激痛を伴うと言うが、僕は激痛どころか痛みすら感じたことはない。みんなが不思議がる。大きな手術を三度行ったが、術後に痛みを感じたことは全くありません。

むしろ、ストロークの後遺症の方が厄介だ。右半身不随は相変わらずだが、短い距離なら一人でも歩くことが出来る。公園、スーパー・マーケットなら一周できる。右腕は多少動くが、右手は全く駄目だ。

言語障害は遅々として回復しない。日常会話程度だったら喋ることは出来るが、話が込み入ってくると難儀だ。

何処に行くのも付き添いがいる。江美子の目が光っている。
「あなたは、綺麗な女の人だとスラスラと喋るなぁ。しかも自分から率先して」
嫌味とも、小言ともとれる発言を背に受けて、さすらいの夕日の癌マンは、今日も、むせび泣く。

2012年2月22日水曜日

ウチナーンチュ

本日は沖縄クラブの集会
「江美子、遅れるよ~ 急げー」

「ほら、せかしても誰も来ていないでしょ」
誰もが1時間以上遅れて会場へやってくる
「うちな~(オキナワ)・タイム知らんなぁ~」
僕はジョイと顔を見合わせて
「♪ ハッのんきだね~ 知らなんダ~~ぁぁぁ」ずっこけた

2012年2月21日火曜日

新 聞

東西南北から寄せ集められた情報はN(ノース)、E(イースト)、W(ウエスト)、S(サウス)、それぞれの頭文字が組み合わさってNEWS(ニュース)となった。News Paper(新聞)は生活の情報源、世界中でこんなに便利なものはない。
 
先日、仕事場に匿名の電話があった。声の様子から初老の日本人女性らしい。「最近の若い方たちは漢字の意味を履き違えています。どうしてこんなに誤字脱字が多いのですか?  これ以上美しい日本語を乱さないで下さい」厳しいお叱りの電話である。どうやら僕を『羅府新報』の編集者と間違えているらしい。
 
本紙の肩を持つ訳ではないが、誤植は避けられないのが現状である。さりとて一同結集して誤植を無くすための努力は急務である。大新聞社にミス・プリントが皆無な理由は、それだけ設備(お金)も人手も掛けているからである。また、『羅府新報』には専門の校閲係がいない。いたとしても素人だ。
 
大手新聞社では記者が記事を書き上げると、デスクを始め何人ものスタッフが記事に目を通す。訓練された校正係と職人芸並みの校閲さんが目を光らせてくれる。文章の、て・に・を・はや熟語の用い方などは言うに及ばず、時代考証から事実確認、数値、引用、資料提供のエキスパートだ。      

ニューヨーク・タイムズ紙の名記者であったジェイムズ・レストン氏は、19世紀は小説家の時代であったが、20世紀はジャーナリストの時代である」ことを強調していた。A・ソルジェニーツィン氏が21世紀論の中で提言していることは、真の進歩へ不可欠なことは「自制」であると言う。精神的な満足は何かを手に入れようとする欲望ではなくして、それを拒否することによってのみ得られると言うのである。

自分の欲求をしっかりと抑制して、豊かな倫理観念に従う術を身に付けなければ、人類は再びファシズムやミリタリズムに翻弄されてしまう。21世紀は常に支配され、抑圧され、貧困に喘ぎ、殺される者の立場に立っての誠意ある報道を更に強く望みたい。

2月21日は『日刊新聞創刊の日』。

Danny Boy

現在、右半身不随のため右手が萎えてしまって、テナーサックスが吹けなくなってしまったが、夕べ、テナーサックスを吹いている夢を見た。僕の切なる願望だ。

夢の中で心に染みる「Danny Boy」を吹いていた。

演奏が終わると、僕の目からは一掬の涙が零れ落ちた。

2012年2月19日日曜日

Eatalian Cafe

2月17日(金)ジョイの学校は休みだったので、ガーデナの噂のイタリアンにランチを食べに赴いた。
僕はかなり期待して臨んだ。金曜日はシーフード・ディとあって、お薦めはシーフード・リグイーネ。

この日食べたのは、シーフード・リグイーネと薄焼きピザ。タックス、チィプ込で$30。期待以上の味だった。
シーフード・リグイーネが特筆を極める。まぁ、長々と書くよりは、一度食べてみなはれ! 
魚介類をふんだんに盛り込んだリグイーネは、最高峰の味。余は満足じゃ! あえて写真は載せません。

サービスも良く、ウエイトレス、ウェイターはてきぱきとしている。レストランは広くて、綺麗で清潔。
僕たちがレストランに着いたのが午前11時40分。正午を過ぎると1時間待ち。

ジェラートもパンもスイーツもお薦め。旨い、安い、サービス良し。一押しのイタリアン!!!


Eatalian Café インフォメーション



2012年2月17日金曜日

ステーキ

昨年の秋のこと
僕は明日入院する
「ステーキ肉、忘れないで買ってきたよ」
誇らしげに江美子
ジョイと僕はディナーが楽しみだ
サラダとロールパンの用意をする
メインのステーキを焼く段階になって
「間違えてフリーザーに入れたわ、自然解凍しないと美味しくないから、退院するまで待ってよ」
僕はジョイと顔を見合わせて
「こらまったどうじゃろかい ダぁぁぁ……」ずっこけた

歌人西行

花あれば西行の日とおもふべし(角川源義)

王朝時代の末期(1140年頃)に、皇族の警護をする武士であった佐藤義清(西行)は、23歳の時に出家して仏教と和歌の道に精進した。花鳥風月に魅せられて全国を行脚した西行は、流浪の民となって叙情的歌風を極めていく。
うかれ出づる
心は身にも
かなはねば
いかなりとても
いかにかはせむ
 
著名な独文学者でもある作家の中野孝次さんは、これは西行が自問自答しているような、屈折した、ごつごつした感じの歌であると解説している。
 
「うかれ出づる」は、西行の愛用した語で、花、川、旅に魅せられて、そちらへと心が抜け出ることを大意しているらしい。
 
中野孝次さんは西行を称して、生きていることがすなわち歌になった人であり、自分の心に向かって、われとは何かを問い続けた人であると言う。
 
西行を小説の主人公にする勇気はない。と語ったのは井上靖さんである。出家する動機がつかめないからだ。

西行には不明な部分が多いので、憶測を芽生えさせながら和歌に親しんでいると、新古今の『幽玄』美を超越した、悠久の西行の心とだけ対峙することができる。

桜前線が河内(大阪府・西行入滅の地)の里に差し掛かる時節、『山家集』を小脇に挟んで、今年こそ千本桜で名高い吉野山へ足を延ばしてみたい。

頂きの奥の千本には、吉野山の桜を愛した西行法師が、4年間にわたって住んだわびの旧跡がある。

2月16日は西行忌。 鮨あれば雅之の日と思うべし(賛美)。賛美は僕の俳号。

2012年2月16日木曜日

不 安  加川文一

知らないものに対して
僕は臆病だ
知っているものに対しては
もっと臆病だ

存在は哀しい
底流れのした肩のやうにかなしい
ひらひらと一匹の蝶が
僕の肩をかすめて
野の方へ飛んでいく

路ばたには
小さい花が咲いている
埃を浴びて誰にも知られず
小さい花の小さい眼が
痙攣している
               (1965年5月)





『不安』は、文一が歿した翌年(1982年)に発行されたガリ版製の「加川文一詩集」(南加文芸社)に収められている作品である。詩の本文には「不安」の文字は一切出てこないが、『不安』は読者を焦燥感に陥れる実に巧みな詩なのである。
 
一連目の僅か四行だけで、重々に不安は「存在」している。文一はその「存在」は哀しいと嘆く。そしてもう一つの哀しい「存在」、即ち形而下の「不安」へと導いてゆくのだ。
 
底疲れした文一の肉体に一匹の蝶が飛んできて、文一は自分の視界を広げることになるのだが、そこで文一は、路肩に垢づいて咲いている小さな花の眼に、吾が内に潜む形而上的不安を同化させてしまう。
 
三連目は不安の極致へと効果を高めて行き、最後は価なき宝の一行が読者の心を痙攣させてしまう。実にみごとな結びでる。敢えて言うならば、二連目の終わり二行の表現を、どうして再具象化しなかったのか、ということになる。
 
文一は羅府新報に『置時計』という表題でコラムを執筆していたが、そこで文一は執拗に具躰について論じている。
「詩は一見抽象的であるけれども、すぐれた詩はやっぱり美の具躰を追求している。そして美の、或いは真実の在り方を突きとめて放さない」
 
文一が言う美の追求には二通りあって、一方は知性であり、他方は感性に依るものである。このような考えに基づいて文一の詩を読んでいくと、イェーツなどがモティーフとしていた「具躰」が見えてくる。また、文一が師と仰ぐイヴォア・ウインタースの手法と文一の詩作方法が、酷似していることが判明した。

このような意味に於いて、文一の詩の原型(具躰)は、ウインタースの「吾は眼をもたず/吾が一撃は狂わず」、この有名な一句の中に秘められてあると言っても過言ではない。



※ お知らせ
来たる3月10日(土) 午後1時より4時まで、
ロサンゼルス市立図書館、小東京分館に於いて、
詩の講演と詩の朗読会があります。
WLAホーリネス教会からは、アイク君、小菊ちゃん、ジョイ、が参加します。
三人の詩(東北大震災にまつわる詩)の朗読は、1時10分頃から始まります。
さあ、みんなで応援に行こう!
主催『加川文一詩碑保存会』

賛美

「イエス様に全てをゆだねます。主の癒しを信じます。」
毎日、お祈りをしているのに、一抹の不安を感じる時がある。
神様、この不信仰をお許しください。

サタンは僕の心の隙を見逃さない。
毎日お祈りをして、賛美して、聖書を読む。
日夜、浄めないとサタンの餌食だ。
一人でも家庭内でも賛美、賛美、賛美だ♪♪♪

2012年2月15日水曜日

職人芸の握りずし

アメリカの鮨は、シャリに殆ど酢が効いていない。アメリカ人はお酢入りの鮨飯が苦手だ。シャリは酢と昆布と砂糖を入れて、ほんのり甘く仕上げないとネタが生きてこない。アメリカの鮨バーでは、シャリは殆ど重視されてはいない。

日本のお鮨は安価で、清潔で、新鮮で美味しい。鮨と言えば握り、大阪の堂島にある鮨屋『おかざき』が、昔から評判が高い。ずいぶん前に帰国した際に『おかざき』を尋ねてみた。

『おかざき』はおしながきがない。店内に入ると、磨き抜かれた白木のカウンターが存在感を示す。白木の香りが漂う。

中トロは津軽の三厩(みんまや)マグロを使用。旨味、コク、香り、どれをとっても一級品。














手前は白挟エビと奥にあおりいか。限りなく透明に近い甘さに吃驚。














関サバは軽く締めてあり、上品な脂が乗っていた。正に貴婦人の味。














ミョウバンなし雲丹は磯のかおりが漂い、濃厚と淡泊が綯交ぜになった味わい。














今までに食べた「づけ」で最高の味、色沢と食感と旨味と香りに仰天!












『おかざき』インフォメーション

2012年2月13日月曜日

笑顔

土曜日の朝、書斎の窓から見えた光景。
ジョイがサッカーボールを蹴って一人で遊んでいる。
僕が病気じゃなかったら、手足が自由に動けたら、
一緒にサッカーボールを蹴って、遊んでやれるのに……

「ジョイちゃん ごめんね」
謝ると
「お父さんは何にも悪くはない 気にしなくてもいいよ」
ジョイが微笑んだ。

「ありがとう 心優しきジョイ」
僕の心に平安をもたらせてくれる

永久(とわ)に喜べ

僕の心に イエス様が住まう
イエス様は きょうも生きておられる
僕は主に 生かされているのだ

僕の胸に 平安の春潮が満ちてくる
僕の心の中に 宴が始まった

喜べ 喜べ
弾む心
さあ 喜べ 喜べ 喜び歌え



※ 癌病みて 神の計画に 喝采

2012年2月11日土曜日

心に残る一言

僕がカイザー(病院)のICUに入院している時。


井上幸江さん、眉間にしわを寄せて「転んでもただで起きたらあかん」

仲真節子さん、ぼそりと一言だけ「新井さんは講壇に立つ人よ」

サンカー美智子さん、耳元で大きな声で「カイザーに入院できるなんて、奇跡だよ!」

中村龍一さん、深夜12時半「ICUに鮨持って行くわけにいかない」

江美子、涙を流して「活躍してきた右手がこんなにも萎えてしまって、一休みしろと言うことよ」

2012年2月10日金曜日

デビュー

僕が詩人としてデビューしたのは、確か20歳のころだったと記憶している。文芸雑誌に僕の書いた詩が掲載されたのである。

その前に、大阪文学学校で詩と小説を学んだ。灰谷健次郎さんのクラスだった。そのクラスで俳人の近松寿子さんと知り合えた。僕が俳句に興味を持つきっかけとなった。

鮨屋の2階の座敷で、近松さんと俳句仲間と一緒に連句を詠んだ。その中に作家の川崎彰彦さんがおられた。五木寛之と早稲田の露文科で同期、後輩に詩人で作家の三木卓がいた。

酒を飲み、鮨をつまんで連句を詠む。お開きが近づくころには全員へべれけになって、三十六歌仙に仕上げる。近松さんの著書に僕の俳句が掲載された。俳句デビューである。往時の僕の俳号は「蓮空」、今は「賛美」だ。近松さんの師匠は胡蝶俳諧の生みの親、彼の有名な林 富士馬先生だ。

同人雑誌『推敲』に書いた小説「N科のエチュード」が、『文学界』その他の同人雑誌評で取り上げられて、『芥川・直木賞』にノミネートされた。5度目に書いた小説で作家デビュー。今でも『文藝春秋』から送られて来た葉書を大切にしまってある。

最初アメリカに来たのは小説のネタ探し、1年で帰るつもりでいた。僕は西海岸が大層気に入った。そんなある日、鶴田さんと知り合った。往時の鶴田さんはリムジンのドライバー、今はラスベガス教会の牧師。

鶴田さんは僕を教会に連れて行った。やがて僕はイースターに受洗。クリスチャンとしてデビューした。鶴田先生と会わなければ、僕はどういう人生を歩んでいただろう。

2012年2月9日木曜日

シャワー

「江美子 時間ですよ 遅れる~~」
約束の時間まで後5分
バスルームからシャワーの音と鼻歌が聞こえる
「まさか江美子はシャワーを浴びている?」
僕はジョイと顔を見合わせて
「こりゃ~あかんは! ダぁぁぁ~~」ずっこけた

江美子は終始のんびりしているのだった

2012年2月8日水曜日

伝説的ドラマー

僕の一番好きなジャズドラマーは、ディヴ・ブルーベック・カルテットのJoe Morello(ジョー・モレロ)。魅了されてから40年余り。昨年の3月12日に他界した。享年82。

僕が敬愛するジャズ・ミュージシャンの一人だった。哀悼の意を表します。

2012年2月7日火曜日

温故知新

無気力、無関心、無責任であることを三無主義。これに無感動を加えて、四無主義などと評して若者を批判した時代があった。

「近頃の若い者ときたら」という目下の者を批判する精神と、「昔の人は偉かった」という先人崇拝の念は、いつの時代でも語られていることである。

近頃の若い者は、口の利き方を心得ていないとは、よく耳にする言葉である。目上の者に対して敬語を使わないことや、言葉の乱れを問いただす前に、日本の国の教育方針に大きな問題点があるということを、誰もが認識しているであろう。

周知のように学歴社会の日本では、受験のための教育が盛んである。また、小学校や中学校においては、国際社会に対応できるようにと、外国人の英語教師を積極的に招聘して英語教育に熱を入れている。教育熱心であることは結構なことだ。だからと言って、国語の授業時間を削るというのは如何なものか。

「人間を求め、人間をつくり、人間になっていくことが教育であったはずである。今、わが国の教育から真の国語教育がなくなっていき、「人間」が失われていっていることは、何と恐ろしいことだろう」。

40年以上前に、日本の国語教育のあり方について憂えたのは、ドイツ文学者の小塩 節(たかし)さんである。

教育は人間形成である。このことを本当に肝に銘じているのであれば、その基礎を成すところの「読む」(音読)ことと「書く」こと、そして「作文」に全力を注ぐことにある。

正しい言葉で詩や散文を綴りながら、想像力を培う時間を充分に過ごしていないと、正確に自己表現することが苦手になってくる。人間形成をめざす国語教育は、真の国際人になるための第一歩だ。

戦前に、教育の基盤であった「読み、書き、そろばん」は、人間形成に大きな役割を果たしてきた。故(ふる)きを温(たず)ね新しきを知る。私たちは肝心なことを、歴史の彼方に置き去りにしていないだろうか。

2012年2月6日月曜日

幸福

見えない 聞こえない 喋れない
絶望は どこへでも飛んで行ける自由な翼を携えている
光の無い自由な感情とは
森羅万象の外側へ飛び出した時のように 晴ればれとしている
そこには もはや時間の存在は成立しない 幸福の極致が味わえる

不幸な自由があるように
幸福な苦しみがある
自由な幸せは刹那の快楽
幸多き苦しみは 永遠の命

天と地

幸福の現在進行形が天国
幸福の過去形が地獄

2012年2月4日土曜日

タコス

僕が17歳ぐらいの時、千里中央(大阪)のショピングセンター・セルシーに、メキシコ料理のレストランがオープンした。珍しさと好奇心のあまり一人で入店した。メニューを見るとタコスことをメキシコの餃子と書かれていた。非常に分かりやすい説明で納得したしだい。

渡米してダウンタウンLAの西はずれで、ケータリング自動車のタコを初めて味わった。マッカーサー・パーク周辺でも、LA発祥の地オルベラ・ストリートでも、メキシカン居住地域イースト・LAでも、タコの店を訪れた。

昨年から、僕はタコにはまっている。LAタコ行脚がマイ・ブームだ。まだブログに紹介してないタコの美味しい店を、これから順次紹介していこうと思う。本場メヒコに勝るとも劣らない珍味なタコが登場するかも? こうご期待!

写真は蛸酢(タコス)タコ?


2012年2月3日金曜日

天才

小学四年生の少年は、担任の先生から落第の通告を言い渡されました。意気消沈して学校から家に戻った少年は、母親にそのことを打ち明けました。

お母さんは息子の話をじっくりと聞いていました。しばらく考えてからお母さんは、大きな声で息子に伝えたのです。
「お前は我が家の天才だ!」

エジソンも子供の頃に、学業が不振で落第しているかです。後に、天才発明王と呼ばれて称賛されました。

少年は、お母さんの希望に満ちたひと言で立ち直り、かつて経験したことの無いやる気を出したのです。

2012年2月2日木曜日

もったいない

平日の午後、三人でガーデナのパシフィクスクエア・モールに、噂のラーメン屋があると聞いて、興味津々足を向けてみた。

『Ramen Mottainai』けったいな名前やなぁ~ 僕とジョイは、とんこつ醬油ラーメン。江美子は味噌ラーメン。僕はサイドでWhite Bomb(ニンニクと豚の背脂)をオーダーした。ラーメンの中に入れると、旨味とコクが増す。Red Bomb(とうがらしのペースト)もあるよ~。

先ず、スープを飲んだ。それからラーメンを啜った。思ったよりも美味しいわ! ジョイも大層気に入ったみたいだ。江美子はコメントなし。元々ラーメンはあまりすきではないからネ。

餃子も他の店と比較すると、トップクラスの味。日本の餃子の旨い店と比べたら、比較にならないけどね。

以前、紹介した『ラーメン山田屋』と比べたら互角の勝負。餃子が美味しいから、『もったいない』勝ち。チャシューは山田屋の勝ち。


『Ramen Mottainai』 ホームページ


2012年2月1日水曜日

エッセイ・ジョイの性格と文学的遊戯

原稿の整理をしていたら、毎日新聞に連載していた、Mr. Momの子育て奮戦記を見つけましたので、その一部を紹介したいと思います。



ジョイの性格と文学的遊戯 ─ 2004 ─

ジョイの年齢は、間もなく2歳と7ヶ月になろうとしています。僕は日頃のジョイの性格や動作を観察しながら、彼女の性質を箇条書きにまとめてみました。

先ずは短所から、時折かんしゃくを起こす・気まぐれ・反抗的・わがまま。長所は、気が優しい・負けず嫌い・いつまでもこだわらない・明るい性格。

躾の本を見てみますと、2歳児の行動は、かんしゃく・反抗・何でもしたがる・おせっかい・気まぐれ・やきもち・わがまま・けちんぼ・赤ちゃん返り・順番嫌い・臆病・引っ込み思案・泣き虫・けんか・いじめっ子・いじめられっ子・うそつき・まねっ子などが挙げられています。

この躾の本『2才児、自立心とやる気を伸ばすしつけ』(佐藤眞子著/主婦の友社)を読んでみると、「2歳児を理解し、2歳児とともに困難を乗り越えていきましょう」と書いてありました。この年齢は、最も育児の難しい時期なのです。

俗に女の子は育てやすいと申しますが、ジョイも御多分に漏れず、朝は笑顔で目覚めてくれますし、夜は絵本などを読み聞かせると、いつの間にか眠ってしまいます。

『わが子に伝える/絶対語感』(外山滋比古著)の目次に、「おとぎ話は夜、暗がりの中で」という項目があります。

僕は毎晩、ジョイが寝入ろうとしているベッドの傍らで、童話を即興で仕立て上げて、語り聞かせるのが好きです。暗闇の中で集中力を高めながら、想像力を膨らませてみると、自分でも一驚するような物語が完成していることがあります。

『白雪姫』、『金太郎』、『赤頭巾ちゃん』など、前もってジョイからリクエストされることがあっても、夜の語り聞かせだけは筋書き通りに進行しません。

僕は時折、空覚えしているグリムやイソップの会心のフレーズを、即興で作った童話の中に挿入することがあります。
「木々の木の葉が一枚のこらず舌であるとしても、わたしのこのおもいを語りつくすことはできないでしょう」

即興のおとぎ話をこのように結んだら、ジョイは眠ってしまっていて、細君が感動してしまったことがありました。実はグリムの受け売りなのです。

また、時間のある時にはジョイと俳句遊びをします。夜、寝室のバスルームで僕が咳き込んだ際に、傍らにいたジョイが「咳をしても一人」と口走りました。これは尾崎放哉の自由律の句です。

ジョイが最初に暗誦した俳句は正岡子規の「柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」。遊び半分で始めたつもりでしたが、三つ子の魂は水を吸い取るスポンジの勢いで、次から次へと俳句を吾がものにしていきます。

ジョイが俳句を暗誦している際に気が付いたのですが、自尊心が高いせいか、人から諭されることや、注意されるのが嫌いなようです。

最初は暗誦しようとする俳句を、僕が幾度か繰り返して言うのですが、ジョイが覚えてしまった後で、たまに間違えることがあります。そんな折に助け舟を出したり、正しい句に言い換えて訂正をすると、「わかってるー!」と、大きな声を出しながら悔しそうな表情を浮かべます。

「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」(千代女)。この句は、最後の「もらい水」のところを「川の水」と、覚えこんでしまいました。多分、「もらい水」の意味が分からなかったのでしょう。

朝、保育園へ向かう車中で、調子のよい時は暗誦している俳句をすらすらと語り続けてくれます。ジョイが自作の詩歌を吟じてくれるのは、一体いつ頃になるのでしょうか、今から楽しみにしています。

僕はジョイに相応しい文学的遊戯を、今後も大いに活用していくつもりでいます。