2011年10月31日月曜日

すしと犬


握りずしの歴史は約200年ほどであるが、20世紀の後半には世界にすしブームが捲き起こった。

元来、すしは「酸し」(すし)のいわれがあるのだが、江戸前の握りずしは東京湾で捕れた小魚をすしダネにしていた。近海の新鮮な魚が売り物だったせいか、昔から東京では魚が旨いと書いて「鮨」と読ませた。

板前の本場大阪では、新鮮な魚を切って出すだけでは魚屋と同じであるので、魚に手を加えて<作った>料理から「鮓」の字をあてた。

この東京の「鮨」と大阪の「鮓」の由来に関しては、半分が自説である。「すし」にまつわる古文書を閲読していくうちに、このような結論に達してしまった。

11月1日は『全国すしの日』だそうだが、そろそろ『全米すしの日』や『世界すしの日』を提案しても良いのではないか。

先般、すしバーに座って食事をしている最中、客の一人が最近秋田犬を飼いだしたと発言した。

では、ここでクイズを出す。次に挙げる犬種は、「いぬ」と読むべきか「けん」と読むべきか。柴犬、土佐犬、秋田犬、北海道犬、紀州犬、樺太犬。

正解は最初の三匹が「いぬ」で、後は「けん」と読む。例外もあるが、基準として日本産犬種は「いぬ」、外国産犬種は「けん」。

ところで、「犬もあるけば棒にあたる」とは、積極的に行動すれば何かを得ることを強調している。だが旧来は、犬でもうろつけば災難に遭うので、じっとしていろというのが真意だ。

荘子様も仰せになっているではないか、「犬はよく吠ゆるを以って良となさず。人はよく言うを以って賢となさず」

11月1日は、ワン、ワン、ワンで、『犬の日』でもある。

2011年10月28日金曜日

読書週間に思う

古木は燃すべく、古酒は飲むべく、旧友は信ずべく、古書は読むべきである。経験論哲学の創始者フランシス・ベーコンの言葉が好きだ。

日本では10月27日から11月9日まで、読書週間。ショウペンハウェルは『読書について』の中で、文学を「とどまる文学」と「流れる文学」の二つに区別している。前者は真の文学で永遠に持続する文学を旨とし、後者は偽りの文学、即ち毎年数千の作品を市場に送り出して、話題性を仕掛けて営利に疾走するが、2、3年経てば、持てはやされていた名声が消滅してしまう駄書のことである。

先般、(財)『耳文庫』代表の肝付佳寿子さんから、マーク・トウェインの『ハックルベリ・フィンの冒険』(角川書店)を恵贈して頂いた。訳者は肝付さんの、叔父上であられる英文学者の大久保博さん。

1990年にトウェインの幻の自筆原稿が新たに発見されてから、初版では割愛されていた「筏のエピソード」が含まれている完訳版。

僕が少年の頃に読んだ『トム・ソーヤの冒険』や『ハックルベリ・フィンの冒険』は佐々木邦が訳していたが、『ハックルベリ・フィンの冒険』の冒頭に書かれていた短文を読んで、度肝を抜かれた事を思い出す。

「この物語に主題を見つけようとする者は、告訴されるであろう。教訓を見つけようとする者は、追放されるであろう。プロットを見つけようとする者は、射殺されるであろう」
(大久保博訳)

トウェインの古典に対する思い入れは格別である。「古典とは、誰もが既に読んでしまっていることを望みながら、しかも、誰もが読もうとは望まないものである」

読書週間は、ベストセラーのプロモ―ション週間ではない。「新しい本が出版されたら、古い本を読め」。読書家の先人たちが遺した警句に立ち帰りたい。

輝 き

キリストに出会えた幸い
キリストを賛美する喜び
キリストを信じるこころ
キリストと共に歩む人生

弱いこころが
駄目な男が
劣等感の塊が
不安の日々が
嘆いてばかりいた自分が
雪のようにとけて消え去った

信仰は勝利である
至上の歓喜
びっくり仰天

見たまえ、すべてが新しくなったのだ
まるで雪晴れ皚皚(がいがい)輝いている

2011年10月26日水曜日

ジェニファーと食べるイタリアン

何年か前に訪れたイタリアン・レストランを紹介するのを忘れていました。ブレンドウッドにあるVincenti』。

5年程前に、江美子の従妹ジェニファーと共にVincenti』赴いた。ジェニファーは大のイタリア料理好き。ジェニファーの父親はアメリカ人、母親が日本人。エレガントな身のこなしのジェニファーは、息を呑むほどに美しい。

この日のメニューは、白ワイン・グラスと赤ワイン・ボトル。料理は生ハムとモッツアレラチーズ。ブラックトリュフ乗せラビオリ(写真)。メインはSquab(雛バト)。デザートがジェラート。

パートナーは美しい女性。料理がおしゃれで美味しい。僕はほろ酔い気分。最高のディナーを満喫しました。


11930 San Vicente Blvd. Los Angeles, CA 90049               
TEL: 310-207-0127

2011年10月23日日曜日

絶望  竹中 郁


僕は眠っている。
誰かと一緒に、
一つの寝床で。

かしてくれるやさしい手枕。
僕はその手ばかりを愛撫する。

それ以外には
胴もない、
顔もない、
髪もない、

君はこの人を誰だと思ふ。
当ててみたまへ。




ずいぶん古い話しになるが詩人、港野喜代子さんの葬礼の日に、今にもデキシーランド・ジャズの演奏でも始まるのではないかと思わせるような、たいそう派手やかな出立ちで竹中 郁さんが葬儀会場に現れたのである。

僕は、竹中 郁さんのことを思い浮かべる度に、何時しか、このことだけが脳裏にたなびくようになってしまった。彼はどことなく風変わりな詩人であった。竹中が創り出す詩の群れもまた、奇々妙々としていて斬新であるから、つい襟元から一気に引きつけられるような思いに駆られて、竹中の詩の世界へとはまり込んでしまう。

竹中が二十代半ばから後半の頃に書いた「絶望」は、詩集『象牙海岸』に収録されている。この作品は、竹中が欧州に遊んでいた二年余りの歳月から、モティーフが抜粋されている。ところが主題に相反して孤独や焦燥、そして緊張感などの否定的な部分が、表面に露呈されていないことに気づかされる。だが、これはむしろ、竹中の個性が強烈に反映している証しなのである。

村野四郎は、「異国で独り眠る孤独な青年の郷愁が語られている」。「やさしい手は、幼時の母を幻想している」と、日本の詩歌/25(中公文庫)のなかで、「絶望」の注釈を記している。

けれども、この詩で最も注目しなければならないことは、それ以外には<何もない>真実なのである。このミステリアスなくだりは、異国で書き散らかしてきた断片を、帰国してから推敲を重ねてデフォルメさせたものである。そしてこの、ある種の幻想を甦らせた心のゆとりは、最終連の諧謔(かいぎゃく)へと落ち着くのである。じつはこの詩のトリックを開陳するならば、一連目を第四連に置き換えることによって、「絶望」は結実するのである。

従って、えたいが知れない誰かと一つの寝床で<眠り続ける>こと自体が、往時の竹中を脅かしていた明白な「絶望」であった。

そして、この詩の伏線を示唆している第一連の真義…… 即ち「絶望」とは、竹中はパリで暮らした後で、神戸に帰って能 キミと結婚するのであるが、住まいを新築するも職に就くことはなく、文学という名の放蕩に益々のめり込んで行くのである。この理想と現実の相剋に、竹中の魂はおどけてしまって、自沈してしまうのであった。

2011年10月21日金曜日

犬の鳴き声

日本…… ワンワン
イギリス…… ボウオウ
フランス…… ウアウア
ドイツ…… ワウワウ
中国…… ワン

猫の鳴き声

日本…… ニャーオ
イギリス…… ミュー
フランス…… ミャウ
ドイツ…… ミャウ
中国…… ミー、ミャオ

2011年10月20日木曜日

由香の思い出

村雨のリトル東京、時節は如月(きさらぎ)。日米文化会館の地下の一室で、共にアメリカ人に日本語を教えに来た時に、僕と由香との初めての出会だった。

ヤカランダの花が咲き始めた頃に、僕と由香との交遊が始まった。僕は27歳、由香は21歳の日系2世でUSCに在学中。往時の僕は、アダルト・スクールに通っていた。

二人の共通点は、二人ともかに座であることと、鮨が好き、ジャズが好き、アルコールが好き、そして海が大好きであった。由香はジャズ・ボーカルがとても上手だ。

由香は妹のように僕に馴れ親しむ。僕も由香の言うことは、何でも聞いてやった。

6月、プレーボーイ・ジャズ・フェスティバルへ二人で赴いた。大き目のクーラーにワインと刺身、そして鮨を詰め込んだ。二人ともウエイン・ショーターが目当てだ。♪ 楽しかったなぁー ♪、未だにあの時のことが、鮮明によみがえる。

独立記念日の夕刻、レドンド・ビーチへ出向いた際に、ワインを飲みながらシーフードを食した。その折に深刻な面持ちを浮かべて、由香がぽつりと口走った。
「私の両親、離婚するの」
由香は涙ぐんだ。

あの時、ピアーで夕映え眺めながら、由香が『虹の彼方へ』を口ずさんだ。その夜、僕と由香は夜が明けるまで共に過ごした。

2011年10月19日水曜日

ξ

最近、夜になると胸騒ぎがする。奈落の底へ落とされないかと杞憂する。

優れた詩が書けない。満足する詩が書けない。

オーネット・コールマン、アンリ・ミショー、正岡子規、ボード・レール、このカタワで、惨めな男を憐れんでください。

ザクロ記念日

ぼくの肉体が滅びても
あなたのことは
決して忘れません
いつまでも いつまでも
あなたのことを
愛しています

あなたの瞳をみていると
神様の愛が
ゆるみなく伝わってきます

あなたと会えて
ぼくは
とても幸せでした

死は終わりではありません
神様の愛は計り知れないのです
あなたとめぐり会えた あの時から
ぼくの鳩尾(きゅうび)は萌えだしました

あおい あおい
紺青色にときめいて

熟して裂けて
無数の種子を裸出した
紫丹のザクロのように

ぼくは
あなたと神様の深い愛に包まれて
凱旋の花道を翔(かけ)のぼっています

2011年10月18日火曜日

一番人気のレストラン

今、一番ホットな焼鳥屋さんというか、おでん屋、居酒屋さん。その名も『とり平』。うまい、安い、サービスも良好、しかも一品の量が多い。

タレか塩で味わう焼鳥、京風おでんと炉端焼き、料理の数々はどれを挙げても大満足。目下、一押しのレストラン。

難点はいつ赴いても混んでいること、待たされること。美味しいレストランは、誰もがよく知っている。

『とり平』ホームページ


ポエム・サロン再び

北加から来られた詩誌『短調』の主宰者、若林道枝さんとリトル東京でお会いした。その日、集まった『短調』の同人9人と歓談の後、ミヤコ・ホテルのレストランで会食をした。

みんなで歓談の最中、若林さんが僕に思いのたけを打ち明けた。僕は病気で倒れるまで、『羅府新報』紙上で、詩の投稿欄「ポエム・サロン」の選者を担当していた。

若林さん曰く、ポエム・サロンに投稿するのが待ち遠しかった。講評を読むのが楽しみでした。詩の投稿欄のようなものをもう一度。プレッシャーをお掛けしてはいけないと思い。若林さんが口火を切られると、皆さんが異口同音に同調されていた。

僕は会食の途中で、若林さんの発言を思い出した。僕はみんなの前で、媒体は違っても詩の投稿欄は、必ず作りますよと告げた。

こんなにも、みんなが楽しみに励みにしてくれた「ポエム・サロン」の灯を、決して無駄にしてはいけないと思ったからだ。ともあれ、最も励みになっているのは、この僕である。

2011年10月14日金曜日

「いわしの頭(かしら)も信心から」とは、つまらないものでも祈念すれば、ありがたく思えることをいう。奈良町を中心とした奈良市東部には、この諺が題名となっている昔話が伝えられている。
 
「魚」偏に「弱」と書いて鰯(いわし)だが、鮮度落ちの早い鰯は、漁師たちの間では「弱し」と呼ばれていた。やがてそれが転じて「鰯」となった。
 
弱し魚を、素早く売りさばこうとする関西の鮮魚店では、「手々かも鰯」の掛け声で、活きの良い鰯をアピールしていたが、関西地方特有の秋の風物詩が、着実に姿を消しつつある。
 
生臭さを食べぬ戒めを、鰯のようなつまらぬ魚をうっかり食べて破ることを、「鰯の精進落」と言うが、捕れたての背黒鰯の刺身をしょうが醤油で食べてみると、鯛も鰤(ぶり)もトロも裸足で逃げ出してしまうほどの旨さだ。
 
また、日本列島近海で初夏(6月頃)に水揚げされる入梅鰯の味も、格別である。
 
健康志向の反映で青魚が見直されている。青魚の脂質成分であるEPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)には、血栓形成防止や血中コレステロールの増加抑制に効果がある。
 
歴史上の人物で、鰯に目が無かったのが紫式部である。家康や秀吉にいたっては、出陣した鋭兵たちに鰯を食べさせて、栄養の供給源としていた。
 
世界の鰯料理にはオリーブ油に漬けたものや、塩漬けにしたもの、そして日本の煮付けなどがある。また、脂のよく乗っている鰯に塩をふり、炭火で焼くだけの「鰯の炭火焼」(Sardinhas Assadas)は、ポルトガルで最もポピュラーな鰯の食べ方である。
 
さて、今晩の夕餉は、鰯の刺身か鮨にでもするか、或いは目刺し、丸干し、日干し、シラス干し、みりん干、ごまめ、ちりめんじゃこ、たたみ鰯、それとも佃煮にでもしようかと、鰯ワールドに耽ってみた。
 
トラックに荷揚鰯がどしゃ降れる(榑沼けい一)。きょう(10月4日)は、イワシの日。(2005年10月に記す)

2011年10月12日水曜日

うまくいけば

先週の木曜日に、病院へ診察に行ってきました。ヨード制限食は明日から始めるようにと、ドクターから指示が出しました。従って只今、超粗食中。

うまくいけば、11月の上旬あたりに入院をして、放射線治療を施す。うまくいけば、サンクスギビングとクリスマス、それからお正月にご馳走が食べられる。

うまくいけば、多少のお神酒とシャンパン、それからビールとワインにコニャック。

うまくいけば、病気が完治しているかも分からない。

うまくいけば、宝くじが大当たりするかもしれない。

今から約3年前、ステージ4(末期癌)とストロークで瀕死の状態で、病院へ担ぎ込まれた。
神様から試練を与えられたということは、三位一体の神様から、とてつもなく愛されていることに気づかされた。

僕はこの上なく幸せな男だ。うまくいけば来年あたり、日本に帰られるだろうか?!

2011年10月11日火曜日

ところ変われば

◎クシャミについて
アメリカではクシャミをすると、他者が「ブレシュー!」
日本では、本人が「ちくしょう!」

◎双子について
アメリカでは、後から出てきた嬰児は、姉もしくは兄。
日本では先に生まれてきた嬰児は、姉または兄。

◎シルバーシートについて
アメリカではシルバーシートは、基本的にありません。
日本では、シルバーシートに座った若者が寝たふりをする。

2011年10月10日月曜日

オールブルー

神が創造された人間だから
僕の思考は自由だ
僕は人間から脱出できない
僕の心から逃れられない
僕は赤の中の黒の中の白の中のブルー


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2011年10月9日日曜日

小さな願い

僕の生まれ故郷は浪速。大阪へ帰ったら、今評判の鮨屋で一杯やりたい。
僕の小さな、小さな願い。ああ、いつ願いが叶うのやら。
日本の美味しいお造りと鮨を、思いっきり食べたいようぉぉぉ~~ぅ!


※ 言葉の万華鏡ミニ
関西は造り… 板前の趣向と才覚が織りなす技。
関東は刺身… 身を刺すとはいかにも縁起が悪い。


すっげ~ぇ

ラディオ・アクティブ・アイオダイン(放射線治療)が遅れている。嫌な予感がする。今年もサンクスギビング、クリスマス、お正月にかけて治療が始まりそうだ。

治療に先駆けて、ヨード制限食があるからご馳走が食べられない。数の子、カラスミ、越前ウニ、能登のコノワタ、クチコ等、全部酒の肴。

ナマコとコノワタの親子和え。すっげ~ぇ食いたい。トロより美味い、寒鰤の刺身が食べたい。ヒラマサが手に入れば尚よろしい。

冬になれば、ふぐちり、すっぽん、はりはり鍋。特にふぐの白子の塩焼きが、すっげ~ぇ食いたい。

焼きズワイガニとセコガニが、すっげ~ぇ ついでに焼き蛤が、すっげ~ぇ食いたいようぅぅぅ~~ぉ

これ、ほんまに闘病記?

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2011年10月8日土曜日

祈 り
中原中也/『羊の歌』より

中原中也(19071938)の年譜を見ると、母福は叔父中原政熊の養女で、政熊夫妻はカトリックの信徒であったことと、中也が二十三歳(1930)の時に、京都、奈良で遊んだ折に、ビリオン神父を訪ねたことが記載されている。因みに中也とキリスト教の係わりを深く考察している書物は稀有である。
 
中也が親友の安原喜弘に捧げた詩『羊の歌』は三部構成からなっているが、ここでは第一章の『祈り』について詳解したい。

死の時には私が仰向かんことを!
この小さな顎が、小さい上にも小さくならんことを!
それよ、私は私が感じ得なかったことのために、
罰されて、死は来たるものと思ふゆゑ
あゝ、その時私の仰向かんことを!
せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!

『羊の歌』の羊とは、干支が未であった中也自身のことである。よって第一章は、中也の祈りの絶唱が綴られている。中也は私淑したヴェルレーヌのように、カトリックの信者にはならなかったが、「もともと『神が在る』ということは、私の直感に根ざすものだ」と語っている。
 
さて、この『祈り』の詩は、神は信じたがキリスト教徒にはならなかった中也の底意を吐露させたものである。中也はこの世に生きて、「事象物象に神秘を感じる」と断言しているように、西欧ロマン主義に憧憬を懐いて入信したが、その後、文学的懐疑精神から、ことごとく信仰を放棄してしまった戦前の詩人や作家たちとは、あまりにも大きな隔たりがあった。
 
限りなく純真な心であった中也は、『詩』という自己の心が最も弾む方法で、随時、真っ向から神と対峙していたからである。自分の直感では察知できなかった真理を、死の直前までには悟りたいと願望する中で、一方では、頑なに心を鎖している罪の報酬が死であることを認めていた。
 
中也は神に『祈り』の声を上げて切願するが、神と中也の間に鎖されていた扉に、ノブが付いているのは中也の側だけであった。中学時代から「神の愛」が貫かれた長編抒情詩、ダンテの『神曲』を愛読書としていた中也は、神の意思にかなった者だけが許された「至高エムピレオ」の登攀(とうはん)を、「死の時には私が仰向かんことを!」と、必死のおもいで祈ったのである。


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2011年10月7日金曜日

独断と偏見のノーベル文学賞考

ノーベル文学賞の選考委員会は、傲慢でかつ気位が高い。文学のブの字も解らない連中が、ノーベル文学賞選考を、権威の名の下で執り仕切っている。文学賞は廃止してはどうかという案も、過去に幾度か協議されている。

問題の焦点は翻訳にある。ノーベル文学賞の作品は、全て英語で書かなければならない。本来、海賊の言葉である英語が、世界の文学の表現、語彙、慣用法、一個人の語法等、英語に翻訳すること事態に無理が生じる。

ノーベル文学賞を受賞した川端康成の『伊豆の踊子』は、イズ・ダンサー。『雪国』はスノー・カントリー。これでは白けてしまう。

井伏鱒二、谷崎順三郎、西脇順三郎、三島由紀夫がノーベル賞を逃したのは、翻訳の問題と指摘する声もある。ノーベル文学賞を受賞するには、根回しが必要である。お金も入用だ。

根回しを行ったのは過去に2人だけ、三島由紀夫と村上春樹。三島は失敗に終わっている。村上の差し回しの方法は実に巧妙だ。

何故、大江健三郎が受賞して、安部公房が受賞しなかったのか、それは、往時のノーベル文学賞の選考委員が、世界文学のブの字も知らなかったからだ。

大江健三郎は小説家と言うよりは、学者か哲学者みたいな文体だ。僕はノーベル賞に、文学は不要だと思う。

2011年10月6日木曜日

AGO

食通街として有名なのはラシェネガ通り。今やメルローズの方が、洒落た美味しいレストランが集中しているように思う。

メルローズのレストランは直ぐ裏手に住宅街があり、駐車場のスペースも少ないのが難点。

江美子の従妹のジェニファー推奨、イタリアン・レストラン『AGO』。写真はシーフード・スープ。


AGO  8478 Melrose Ave West Hollywood, CA 90069
323-655-6333

2011年10月4日火曜日

よいしよっ… は、いそがし!

しまった! 僕としたことが、あかん! すっかり忘れとった。
雑誌社に送る原稿、締め切りまであと3日。
不可能やぁ、書かれへん。なんで編集部員のルーやん、知らせてくれへんかったのやぁ んもうー!

今迄、締め切りギリギリの困難は幾度か体験済み。2分前に入稿したこともある。
今回も、一丁やってやろうじゃねいか! 
四百字詰め原稿用紙40枚なり!
なぬ、そんなん むりヤ~~!!! でけへん~! 困ったなー! なげくのもつかの間、僕の脳裏にアイデアが、ぴぴピ~ンとほとばしった。

締め切りぎりぎりセーフ。してやったり、我ながらアッパレじゃ。
闘病生活もうかうかしていらねぃな~!    ……は、いそがし!  は、しんど!



  33年程前に、吉本新喜劇で活躍されていた谷しげるさん(イラスト)のギャグ。
「よいしよっ… は、いそがし!」



クニさん

1ヶ月に一度の割合で3回、クニさんにピアノの調律をお願いした。1回に4、5時間を要する。

クニさんと調律の合間に話し込んだ。僕の病気のことをクニさんは、真剣に考えてくださる。仕事の手を休めて、僕にマッサージをしてくれると言う。足をお湯につけて、両手両足の指をほぐしてくれる。歩行訓練も付き合ってくれた。今迄クニさんは優しい人だと分かっていたが、改めて認識させられた。

ジョイがクニさんと一緒に、夕食を食べたいと言い出した。ピアノの音が生き生きと甦ったので、さぞ嬉しかったのだろう。

クニさんは、真に信仰深いクリスチャンだ

青と蒼

黒い流れ星が僕の眼睛にほとばしった
紅の心はふさぎ 寂寥(せきりょう)を道ずれに 
僕は益々輝きを増す

過重な青が暗闇の陰に潜むころ
僕は自分の血肉の中へと 混迷してしまうのだ
言語サラダの蒼がまばゆい
僕の心は緋の海に破綻する。

足かせの青と眩耀(げんよう)の蒼
ウルトラ・マリンの螺旋階段
僕は生きるほどに
苦しみ
切なくなるほどに
哀しむ

2011年10月3日月曜日

堕落した神主

私の年長の友人に、目の不自由な方がおられた。有名な神社の長男である。何故、目が不自由かと言うと、物心がついた頃から、少年期にかけて陰鬱な過去があった。

どろどろした人間関係が原因である。幼いころから友人は見てはならない物を、幾度も見てきたのである。

父の神主は遊び人で、本妻以外に妾(めかけ)を何人も養っていた。妾によっては同じ家に住み込み、境内の離れに住まいがある妾もいれば、京都に二人、東京にも一人いる。

友人は幼い頃に、父と妾の濡れ場を見てしまった。嫌がる母と妾と三人で父は寝る。時折、宴会で裸の妾を何人もはべらせて、どんちゃん騒ぎをする。

友人が九歳の時、一人で風呂に入っていたら、父の妾が突然入って来て友人の陰部をもてあそんだ。妾同士の取っ組み合い、ののしり、陥れ、母は何時でも耳をふさいでいる。母の苦悩に満ちた顔を、来る日も来る日も友人は見続けた。母の笑顔を見ないままに、友人は思春期を迎えた。

叔父と伯母と父の、財産分与に関するののしり合い。幼い頃からいざこざが絶えなかった。まるで家の中は地獄であった。神経質で過敏な友人は十四歳の折に、自分の眼(まなこ)を千枚通しで突き刺した。