2016年9月28日水曜日

ジャズ

今、バッド・シャンクとフランク・モーガンのアルトサックスを聴きながら、この稿を書いている。ジャズを聴きながら書くと、テンションが上がる。

車の中でも、家の中でも一日中ジャズが流れている。たまにはボリュウームを上げて聴く。十三、四年前に、日系引退者ホームで、ジャズの夕べと題した夕食会があった。

プロのジャズ・ミュージシャンをライブで聴いた。ゲストは僕とミスター世界こと、関根正和夫妻。司会者は、僕のことをジャズ評論家と紹介した。

後で司会者の方に、僕がどうしてジャズ評論家なのかを訊ねた。たまたま、ジャズ・ピアニストのアーク佐野さんのアルバムに、僕がライナーノーツを書いているのを見て、ジャズ評論家と紹介したそうである。

クリスチャンのジャズ愛好家に、ロン長谷川氏がいる。ジャズのLP一万枚も所有しているという。

僕のジャズ歴は17歳の時に、マイルス・デイビスを聴いてジャズにはまった。良いジャズとは、ブルースを感じさせて、スイングするジャズだ。正にマイルスはその典型である。

2016年9月26日月曜日

ブルー・ブラックバード

沈鬱なアンチテーゼが機関をおそう/灰色のミュートがぶるぶる嘆く/木管パイプのいななき 蒼い蒼いけむり♪♬黄色い血液が脂肪の塊を癒す/ピアノ桟橋ぐるくるヨットヨーグルト/ライトが点滅/この静寂は枯山水綿菓子綿飴アドリブ/首首振って足でリズム/…/葉巻ベース/…/チャコール黒エボニアイボリー/地下ちかちかニューヨーク桑港市俄古羅府/明るくざわめくスキン/今宵ギグ優しい音♩♫/……………5スポットふぁんきー/至上の愛/じじじじじじじえええええドーナツ/バイバイブラックバード/ブルーキンキブド度♪♪♫



2016年9月19日月曜日

永遠の命

インフェクション
右胸に大きなポケットがあいた
さざ波のような空気もれ
免疫力低下
白血球増加
心拍数百三十
医師団鬼籍
フォスピスケァ
聖霊牧師館
イエス慈悲
肉の塊 みじめ
癒し
完全いやされた
生きる
いつも喜んでいなさい
主を讃え賛美

永遠の命

2016年9月14日水曜日

思い出の『オーシャン・クラブ』

僕が二十代半ばから後半かけて、足繁く通っていた高級ジャズ・クラブ、南(大阪)の『オーシャン・クラブ』。

往時、日本のジャズ・プレーヤーと交流があった。さしずめ古谷充(たかし・アルトサックス)とは意気投合した。古谷さんはジャキー・マクリーンが最初で、その次にチャリー・パーカーにはまったと語っていた。僕と同じである。

笈田敏夫さんは、いつもブランデーを飲んで、遊びながら歌っている感じがした。藤家虹二さん(クラリネット)は、僕のリクエストをよく聞いてくださる。谷けいこさん(ヴォーカル)は、僕とよくデュエットをしてくださった。僕の十八番(おはこ)は、「酒とバラの日々」。

僕がオーシャン・クラブへよく通った理由は、もう一つあった。当時、僕のガール・フレンドが、オーシャン・クラブでホステスをやっていたからだ。

オーシャン・クラブのステージが跳ねてから、午後11時半頃、サパー・クラブ、鮨屋、居酒屋、スナックなどに、ガール・フレンドと一緒に遊びに、飲みに出掛けた。





2016年9月12日月曜日

イエス様に感謝!

ニューポート・ビーチは、僕がかつて一番住みたかった所。二番目がラグナニゲ―ル。ロサンジェルスから車で南へ一時間。一時はアメリカで最も不動産の高い所だと言われた。

手が届かないから、ロサンジェルスから車で北東に45分の所にある、サウザンド・オークスに家を買った。

庭からは、サンタモニカ国立公園の山々が見える。海抜は高くて大気は澄んでいた。ビーチへ15分。車で15分以内所に、ゴルフ・コースが6ヶ所もある。僕は満足だった。

話は変わるが、ミションビエホに従妹の家がある。ジョイは一週間ほど泊っている。同じ年ごろの娘が二人いる。去年(2010)の大晦日の日に、ジョイを迎えに行った。

帰りにコーヒーショプによって、食事をしていくことになった。案内されて席に座ったとたん、僕は喀血をした。

直ちに病院へ急行した。4日間入院をして、検査と肺の洗浄をした。イエス様への祈りと、イエス様の癒しが良く効いた。イエス様に感謝!
 



2016年9月7日水曜日

次のステップ

今月中に緑があふれる街、アーバインへ引っ越しします。
5ベットルームの平屋 リビングルームもファミリールームもかなり広い。
プールもテニスコートもある。
家賃、光熱費、食費全て無料。


イエス様が与えてくださった恵みに、感謝、感謝!

2016年9月5日月曜日

笑顔

敏子先生が日本へ発った

僕の鳩尾に穴が開いた

互いに褒め称えるものは同じ

きょうも祈り賛美しよう


敏子先生の笑顔を想いだして

2016年9月3日土曜日

真のリーダーシップ

バブル経済が華やかし頃、日本の国はかつてない好景気に浮き足立っていた。事業が思うように捗り、巨額の利益を手中に収めると、大企業のみならず日本の中小企業までもが、こぞって海外へと進出し始めた。
 
だが、順風満帆に事が運んで過信し始めるようになると、札束で相手の横っ面を引っ叩く卑陋(ひろう)な行為を国際舞台で演じてしまった。
 
バブルが破綻してしまえば、巨額の債務を抱えて会社更生法を申請する企業が続出。終身雇用制度崩壊後の政策は血税の乱用と増税によって、国民の一人びとりに大きな負担が強いられた。以来、平成不況は未だに明確な打開策が協議されないままになっている。
 
かつて国際社会で、日本人は実直な民族であると言われた所以は、日本人は慎ましくて協調性があり、平和主義者であるからだった。ところが、日本人遊学生が海外に多く出没するようになってから、自分の主義主張をはっきりと述べられない不才な国民性であることが分かり始めた。
 
戦後のハングリー精神は目覚しい発展を遂げる原動力となったが、経済第一主義がもたらした莫大な誤算が足かせとなって、今や日本の未来は暗礁に乗り上げたままの状態となっている。
 
日本経済が飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し続けていた80年代半ばから、ぼくは小さな旅行会社を経営していた。一見のビジネスマンから予約が入る事が度々あったが、彼らは皆威風堂々としていて、自信に溢れた声で○○銀行の××だが、○○商事の××だ、と名乗って予約を入れてくる。当方としては宿泊先のホテル名と部屋番号、そしてフルネームと参加者の人数だけで用は足りるのであるが、こちらから伺ってもいないのに必ず会社名を名乗るのである。
 
ツアーに参加してくる日本では一流といわれている企業戦士の大半は、こちらの方から挨拶をしても最後まで一言も喋らないタイプの人と、終始不遜な態度で接してくるタイプの二つに分けられた。
 
同じ時期に、米国に進出しようとしている地方の中堅企業の取締役が、ぼくとコンサルタント契約を結ぶ前の折衝の席で、事業の詳細は後回しにして、次から次へとぼくに名刺をくれるのである。それらの名刺には○○会社の社長、顧問、相談役などの肩書きが添えられてあり、いかに自分は信用があり地位の高い者であるかを、いち早くぼくに知らせるためであった。
 
先ず、自分よりも社会的地位が下であろうと思わしき人間には、最初に威圧しておいて自分に従わせようとするのである。天下の副将軍、水戸光圀よろしく「このご紋が目に入らぬか」とでも言いたいのである。
 
ぼくも名刺の肩書きでは失敗をした苦い経験を持っている。以来、名刺はできるだけシンプルなデザインを愛用することにした。肩書きの羅列やプロファイルをひけらかすことは、むしろ自信の無さを証明しているようなものである。要はその任務に於ける真のエキスパートである事と、謙譲で誠直な人間性である。

聖書にはこのように記されている。
「あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕(しもべ)とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えたのである」(マタイ104445

 あなたも聖書を読んで、真のリーダーシップのあり方を学んでみませんか。

 

2016年9月1日木曜日

                   全身全霊を賭ける

 世界中の子供たちが応募してくる図画コンクールで、金賞を受賞した作品数点を鑑賞した。どの絵画を観ても発想、構図、配色に優れていて度肝を抜かされた。その瞬間、ぼくの体は熱く熾り、血液の色が萌黄色へと変色した。やがて新鮮な感動が、ぼくの体の中を駆け抜けて行くのが分かった。
 
子供たちが描く絵画や詩を鑑賞していると、斬新かつ無尽蔵の感性に目が釘付けになる。詩は言葉の問題があるので、世界規模のコンテストは難しい。その点、音楽や美術の世界は言葉の壁を超越して、お互いの作品を理解し合える。ぼくは子供たちの詩画を鑑賞するのが大好きだ。新しい手法を発見したり、子供離れしているテクニックに驚嘆する。

 ぼくは今、『詩の見方』と題したエッセイを新聞に連載しているが、子供たちの詩を通して学ばされる事が数多とある。純真無垢な児童たちの詩に没頭しながら、可憐なひと時を過ごせることは、ぼくにとって至福の至りであるが、ものを書いていると全く懸け離れた原稿の依頼が、突然、飛び込んで来る。
「日本の雑誌に、日本人を超辛口で批判するニッポン考を書け」、「コラムを差し替えたいので、今から君が書いて一時間後にメールしてくれ」、「ジョージ武井著の、翻訳と出版のプロデユースを頼む」、「カリフォルニアの刑務所の独房で、18年間過ごしている終身刑の詩人の出版を手伝え」、「ハリウッドの俳優と離婚した、元妻であった日本人のゴースト・ライターを引き受けてくれないか」。最後は暴露本だったのでお断りした。

話は変わるが、先日ニューヨークへ出張するべく夜間飛行の便に搭乗したのだが、乗り継ぎの便がエンジントラブルで欠航したために、ラスベガスで足止めを食らった。明日の朝一番の便でニューヨークへ向かっても、マンハッタンに到着したら夕刻を回っている。それでは仕事にはならないので、ぼくは予定を変更して、6時間掛けてグレイハウンドバスに乗ってロサンゼルスに戻ることにした。

バスの出発時刻まで小一時間程あったので、ぼくは近隣のホテルのスナック・バーでホット・ドックを頬張りながら、ピアノの生演奏を聴き入っていた。時刻は平日の午前2時だというのに、カジノには大勢の人だかりが見える。時折、ルーレットのテーブル辺りから、甲高い喚声が上がる。みんな酒を呷り、煙草を吹かしながら、ギャンブルに興じる上気させた顔つきは真剣そのものだ。
そんな光景を目の当たりにしながら、ぼくはつと考えた。ギャンブルで繁栄し続けている不夜城、ラスベガスの街を見て、『菊と刀』を書いたベネディクト風に言えば、真面目なアメリカ人は罪であると感じ、勤勉な日本人であるならば国の恥だと思うところである。

独立宣言書は『旧約聖書の創世記』を前提にして記されている。初代大統領のワシントンは、「賭博は貧欲の子供であり、不正の兄弟であり、不幸の父である」と述べた。

 パスカルは神の存在に賭ける方が、神の非存在に賭けるより、遥かに合理的な選択であるという論理を『パンセ』の中で談じている。これは単に損得だけの論議ではない。精魂を傾けて神に賭けた以上、具体的な実践の手掛かりがつかめて、聖書に啓示された神の言葉を、「絶対なる威光」として受け入れることが出来るのである。


 人生を欲望への賭けとして歩まないで、望んでいる事柄を確信して、まだ見ていない事実を確認する事の出来る、神に称賛される信仰と希望と愛に、全身全霊を賭けようではありませんか。