2013年2月27日水曜日

本物を捜せ 


婿養子があまりにだらしがないので、ついに業を煮やした先代が、次女と三女にも暖簾(のれん)分けをして代々続く蒲鉾(かまぼこ)屋、『丸蒲』の看板を継承させることにした。 
 
ところが身代まで平等に分配してしまったために、長女は激白、憤慨して「元祖・丸蒲」を強調。顧客獲得に執念を燃やした。

長女の振る舞いを察知した次女は、早速、「本家・丸蒲」を旗揚げし、三女も負けじと「本舗・丸蒲」を名乗り上げた。

小田原における三姉妹、『丸蒲』の老舗暖簾争奪戦が始まった。「元祖」、「本家」、「本舗」、一体本物の『丸蒲』の味はどこの店なのか、町の名士たちの意見も分かれて、顧客は分散してしまった。

広辞苑の解説を記しておく。
元祖・・・一家系の最初の人。ある物事を初めてしだした人。創始者。

本家・・・本宗たる家筋、家元、宗家。分家からみてその別れでたもとの家。

本舗・・・本店。指定商品を製造、販売する大元の店。

一番気にいった蒲鉾の味が本物の店である。はんぺんの味は「元祖・丸蒲」。竹輪は
「本家・丸蒲」。なると巻きはなんと言っても「本舗・丸蒲」の味が一番。三姉妹が力を合わせれば、『丸蒲』の蒲鉾の味は鬼に金棒となる。


2013年2月25日月曜日

最近はまった歌2曲



沖縄出身の江美子に告げたら、ずっと前から知っていると言われた。
19の春は、沖縄の歌でした! 奄美の歌かと思った。


2013年2月22日金曜日

まっしぐら


身体の調子はすこぶる良い。検査のたびに癌細胞が縮小しているというのに、最近、度々落ちこんだ状態か続く。

要因はストロークの後遺症。右半身麻痺と言語障害。右脚と右腕がまるで、手枷足枷(5キロ)を付けられているかと思うほど重苦しい。憂鬱な日々が続く……  それだけではなく、ここへ書けない悩み事が一杯ある。皆さんも同じだよね!

そんな僕だけど、食欲は人の三倍以上ある! きょうも美味しいものを目指してまっしぐら!


2013年2月20日水曜日

委ねる


ブログを始めてから、約1年と5ヶ月で38000回のヒットがありました。
少ないのか、多いのか分かりません。

病気もコツコツと気長に治すほかありません。
お祈りと賛美をして、イエス様のお癒しに委ねるしかありません。

2013年2月19日火曜日


日本人が好きな漢字(熟語)の統計によると、「愛」は毎回上位にランクされている。日本人は恋愛などで「愛している」という表現をよく使うが、家族の間柄では、言葉による「愛」の活躍の場が希薄である。もっぱら「好き」を多用している。
 
日頃、娘には日本語で「愛しているよ」と言うように心がけている。アイ・ラブ・ユーとは言えても、日本語で「愛している」とはなかなか言いづらかった。
 
お父さんがお母さんに、お母さんが子供たちに、子供たちが祖父母に「愛しているよ」って自然に語れるようになったら、日本人の精神性は随分と向上するのではないだろうか。
  
今さら照れる。心で通じ合っている。などの意見が聞こえてきそうだ。けれども、はっきりと口に出して言うことによって、家族の気持ちが良い方向へ動くとなれば、こんなに素晴らしいことはない。家庭崩壊も減少するのではないか。
 
現代の父親に求められているのは、真の強さである。真の強さには勇気と優しさが宿っている。「愛しているよ」、そのひと言が配偶者を始め、家族の日々の意識に改革をもたらす。
 
日本語の「愛」とは、何と美しい言葉であろうか。


2013年2月18日月曜日

まつげ


えみ子のまつげは
七夕の夜空に描かれた
真珠貝の首飾りとたわむれる
まばゆい人魚星の群れのようです

弓のように胸をそり
どこまでもまるくくびれゆく
しなやかな腰と尾ひれをうねらせて
紺碧の波間を飛び跳ねる くるるん

やさしの瞳(まぶた)を閉じて祈る夕べ
えみ子のあどけないまつげは
深海に沈みゆく
彗星の彩華につつみこまれた象牙の結葉(むすびば)

眠れるえみ子のまつげは
海松色(みるいろ)の くるるん
白銀珊瑚の調べを奏でる
感情豊かなハープの弦のようです

えみ子
ねえ えみ子
ああ えみ子の愁いのまつげ
ぼくは恋のソネットに
くるるん
くるるん
尽きることはない


2013年2月15日金曜日

身長


うっそ~~ 信じられへん。 お相撲さんに、こんな背の高い人おったの?



2013年2月14日木曜日

存 在    山之口 獏


僕らが僕々言つている
その僕とは、僕なのか
僕が、その僕なのか
僕が僕だつて、僕が僕なら、僕だつて僕なのか
僕である僕とは
僕であるより外には仕方のない僕なのか
おもふにそれはである
僕のことなんか
僕にきいてはくどくなるだけである

なんとなればそれがである
見さへすれば直ぐにも解る僕なんだが
僕を見るにはそれもまた
もう一廻はりだ
社会のあたりを廻はつて来いと言ひたくなる


 


誰もが自分の「存在」について、深刻に考えることがある。けれどもこの詩には逼迫(ひっぱく)感が見えてこない。味読してみれば、怪訝な焦燥に翻弄されてしまいそうな詩でもある。元来、山之口 獏は、このような作風の詩人なのである。というよりも、山之口 獏の天性とでも言えようか。

絵の道を断念した山之口は、次第に詩作に没頭するようになったが、佐藤春夫や金子光晴と交流を深めることによって、詩人としての可能性を策することが出来た。

やがて『改造』に初めて詩を発表。放浪生活を終結させて『歴程』の同人となる。「存在」はちょうどこの頃(昭和11年)に、『現代詩』に掲載されている。

「存在」の冒頭は非常に興味深い書き出しとなっているが、山之口はいつもの「調子」で詩を綴っているに過ぎない。ところが世間では、山之口の詩の本質よりも、山之口特有のこの「調子」に、心がひきつけられていく。而してこの「調子」が、山之口の批判精神を益々助長させる結果を生み、山之口 獏を諷刺詩人として位置づけてしまった。

2013年2月11日月曜日

ポエム・タウン 第五回



日刊サン主催の『ポエム・タウン』
ロサンゼルスへ自作の詩をメールしょう。
ペンネームでもよい。
応募要項は下記の通りです。奮ってご応募ください!