2013年7月31日水曜日

体温とストレス

今年の修養会(ホーリネス教団)に、4年ぶりに参加しました。降り注ぐ恵みを受けました!
僕は終始、半ズボンで参加したので、周りの人たちからは寒くないと言われました。
中には体温が下がると病気になると言われました。毎日、毎日、いろんな方から寒くない、寒いでしょう。中には、しつこく悲壮な顔つきで言われました。4日間で女性11人、男性1人。

江美子は皆から言われるものだから、客室にもどっから喧しくに僕に言いました。せっかく聖会で恵まれたのにストレスがたまる!

暑さ寒さは個人差があります。主観で物事を決めつけないで頂きたい。体内の深い温度と皮膚の温度は違います。僕は毎日体温を測ります。平均値は36.6あります。最も免疫力が活発に働く数値です。

いくら洋服をたくさん着たところで、暖かく感じるだけで体温は上がりません。従ってくだんの病気になるのは間違っています。

僕が半袖、半ズボン姿でいても決して寒いとは言わないでくださいネ!

若いころから暑がりやさかいに。


2013年7月30日火曜日

黄昏につぶやく一人ごと8

心が小さい
気が弱い
勇気がない
たよれ たよろう イエス様へ



花の命はみじかいです
みじかいながらも 美しく咲き誇ろうとしています
嫌なことがあっても 精一杯

美しく生きようではありませんか

2013年7月29日月曜日

夫たる者よ

パトリック・マケリゴット著(いのちのことば社)の『夫婦の愛が築く、子どもの未来』を読んだ。本の扉を捲った表紙には、著者の直筆のサインがあるので、家人が講演会の折に買い求めた本であろうかと思う。

マケリゴット牧師は、正しい親子関係の築き方について、日本全国から講演の依頼が絶えない。けれども、マケリゴット牧師が声を大にして語られることは、家庭を祝福させるのは親子関係ではなく、むしろ夫婦関係であるという。

マケリゴット牧師は「エペソ人への手紙」を引用しながら、聖書に書かれている順序を見ても、先ず、夫婦関係を正してから、親子についての記述に触れていると説明している。

「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。」(エペソ522
「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ52527
 
「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。」(エペソ6:1)

マケリゴット牧師は、聖書の順序は偶然ではないと説く。即ち、順序さえも教えであると覚えるべきなのだ。
 
マケリゴット牧師曰く、「まず、夫婦を正してから親子について語る。実際には夫婦も親子も同一と考えるべきです。本当に良い夫婦関係を見ながら育っていく子供は祝福されて、親の誇りとなる可能性が多いのです。」

「キリストが教会を愛したように、夫は妻を愛しなさい」(エペソ525)という御言葉は、目で見、耳で聞くような表現が伴ってくる愛であるべきだ。とマケリゴット牧師は力説している。従ってマケリゴット牧師は年に数回、一輪の赤いバラを夫人にプレゼントするらしい。プレゼントをするタイミングは、夫人の誕生日やクリスマスといった特別な日よりも、むしろ普通の日を選んで、一輪のバラの花を夫人に手渡すそうである。

この話を聞いて反論するのは、中年以上の日本人男性である。「あの赤いバラの話だけは水臭いと思いました。日本人はあのようなことがなくとも、仲良くできます。夫婦関係が充実しています」。

この意見に対してマケリゴット牧師は、「女性の心を全く知らない鈍感な人」だと思ったらしい。何故ならば「しなくてもいい。しかし、しなくていいからこそ、してくれるときには嬉しさが倍増する」。これが世界共通の女心であると、マケリゴット牧師は弁明している。

私は、愛とは表現が伴う行為であると強調しているマケリゴット牧師の言葉が好きだ。何故ならば、神が罪人たる人間に対して、一方的に恩寵を与える自己犠牲的な行為は、磔刑と復活という感極まる表現行為を抜きにしては語れないからである。アガペー(神の愛)は、このような大胆な表現を通して、真実の愛を伝えようとしたのではないか。

私の好きな慣用句に「愛に愛持つ」というのがある。即ち、愛敬(あいきょう)たっぷりに振舞う行為のことであるが、女性や子供たちが、全身でかわいらしくにこやかに表現すると、愛に愛持つほど愛くるしいという意味である。

一昔前に、私は或る活字媒体に、「父親の一言によって日本は変わる」といった内容のエッセイを発表したことがある。厳密には一家の大黒柱である父親の一変によって、夫婦関係が、はたまた親子関係が向上すると説いた。そのためには父親の勇気と忍耐が不可欠である。家庭の事情は千差万別であるから、一概にそうとも言いきれない。だが、その勇気と忍耐を継続させたならば、必ずや家庭の環境が好転するに違いないと信じたい。

父親の一言とは、照れやプライド、そして強情な思いをかなぐりすてて、細君や子供たちに「おはよう」から「おやすみ」まで積極的に挨拶の声をかける。何かしてもらったら相手の目を見つめながら「ありがとう」の一言を発することである。

日本の男性は愛情表現が苦手である。夫が妻に面と向かって、「愛しているよ」と、平然として囁ける者は少ない。「いまさら。キザだ。口に出さずとも解り合っている」。などの意見が聞こえてきそうだ。

けれども知って頂きたい。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。(ヨハネ316

この、神の慈愛は、一人子を手放してまでもこの世を愛されて、永遠の命というこの上ないプレゼントを持って、罪びとたちを救恤するためであった。この至上の愛に始まり、キリスト再臨の天啓まで、目で見、耳で聞くような、豪胆な表現が伴ってくる究極の愛なのである。

従って夫たる者よ。主にみならって、雄々しく豪胆であれ! 妻や子供たちに、そして隣人に対しても、目に見えて耳に聞こえるような愛の表示を、大胆に振舞おうではないか。


愛の伝達を十分に活用させるためには、他者に対して、愛を伝えるべく表現が伴う行為でなければならない。

2013年7月26日金曜日

たったらたったったー



エビフライが食べたいったったらたったったー 
パン粉に小麦粉、たまごにサラダ油、それからレモン
特大の車エビを買うったったらたったったー
マヨネーズにタマネギ、ワインに調味料
タルタル・ソースを作るったったらたったったー
エンジェル・ヘアーのキャベツを用意して
エビを油で揚げるったったらたったったー
それっ、食べるぞったらたったらたったったー
たったったったったったらたったったー
たったらたったったー たたんとたんたん たったらたったったー
あしたの弁当箱の中にも入れるぞったったらたったったー
ぼくは
ぼくはいつでもどこでもたったらたったったー さ

2013年7月25日木曜日

今週の一行詩14



旅館の畳の部屋へはもう泊まれない



お荷物 役立たず 金食い虫

2013年7月24日水曜日

許し



友人と、ある問題で意見が対立した。私はその友と、膝を突き合わせて、じっくりと意見交換をするつもりでいた。けれども残念なことに、その友は弁護士を通して、高飛車な手紙を私に送りつけてきたのだ。

止むを得ないので、私も弁護士を立てて対応すると、今度は私の悪口を世間に吹聴し始めた。挙句の果ては、悪徳弁護士と結託するや、友は事実を捏造して、私の自宅に警察官を二度に亘って急行させるという、実に卑劣な手段に出た。

最初から私の方が正しいと確信していたので、その証拠となる書類と写真を、自宅に乗り込んできた警察官に見せると、彼らは呆れ返って退散した。やがて友の弁護士も、私が所持しているエビデンスを閲覧すると、恥ずかしくなってしまったのか、友の弁護人を辞退した。

法廷では、友は敗訴した。最初に話し合いをしておけば、このような結末には至らなかった。友は高慢で、やくざとの係わりがあり、麻薬常習者で、檻の中に収監されたことがある。そして現在でも、世間には公表できない、ビジネスのオーナーでもある。

私が友と接触してきたのは、伝道のためであった。何はともあれ、友に立ち直ってもらいたかったからだ。結局、後ろ足で砂をかけられて、無駄な時間と、弁護士、裁判のための諸経費など、約二年の間に合計9万ドルを支払った。まったく、頭に来る。

それでも、私は友を許そうと思っている。自分も神様から許されて、恵みを受けているからだ。