2011年10月23日日曜日

絶望  竹中 郁


僕は眠っている。
誰かと一緒に、
一つの寝床で。

かしてくれるやさしい手枕。
僕はその手ばかりを愛撫する。

それ以外には
胴もない、
顔もない、
髪もない、

君はこの人を誰だと思ふ。
当ててみたまへ。




ずいぶん古い話しになるが詩人、港野喜代子さんの葬礼の日に、今にもデキシーランド・ジャズの演奏でも始まるのではないかと思わせるような、たいそう派手やかな出立ちで竹中 郁さんが葬儀会場に現れたのである。

僕は、竹中 郁さんのことを思い浮かべる度に、何時しか、このことだけが脳裏にたなびくようになってしまった。彼はどことなく風変わりな詩人であった。竹中が創り出す詩の群れもまた、奇々妙々としていて斬新であるから、つい襟元から一気に引きつけられるような思いに駆られて、竹中の詩の世界へとはまり込んでしまう。

竹中が二十代半ばから後半の頃に書いた「絶望」は、詩集『象牙海岸』に収録されている。この作品は、竹中が欧州に遊んでいた二年余りの歳月から、モティーフが抜粋されている。ところが主題に相反して孤独や焦燥、そして緊張感などの否定的な部分が、表面に露呈されていないことに気づかされる。だが、これはむしろ、竹中の個性が強烈に反映している証しなのである。

村野四郎は、「異国で独り眠る孤独な青年の郷愁が語られている」。「やさしい手は、幼時の母を幻想している」と、日本の詩歌/25(中公文庫)のなかで、「絶望」の注釈を記している。

けれども、この詩で最も注目しなければならないことは、それ以外には<何もない>真実なのである。このミステリアスなくだりは、異国で書き散らかしてきた断片を、帰国してから推敲を重ねてデフォルメさせたものである。そしてこの、ある種の幻想を甦らせた心のゆとりは、最終連の諧謔(かいぎゃく)へと落ち着くのである。じつはこの詩のトリックを開陳するならば、一連目を第四連に置き換えることによって、「絶望」は結実するのである。

従って、えたいが知れない誰かと一つの寝床で<眠り続ける>こと自体が、往時の竹中を脅かしていた明白な「絶望」であった。

そして、この詩の伏線を示唆している第一連の真義…… 即ち「絶望」とは、竹中はパリで暮らした後で、神戸に帰って能 キミと結婚するのであるが、住まいを新築するも職に就くことはなく、文学という名の放蕩に益々のめり込んで行くのである。この理想と現実の相剋に、竹中の魂はおどけてしまって、自沈してしまうのであった。

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