2012年1月31日火曜日

名 前

先日、来米したばかりの知己から、同行の女性を紹介された。名前はミキミキ。
「愛称ですか」と、尋ねると、山村美樹さんが三木さんと結婚して、フルネームがミキミキになったと説明してくれた。

元阪神タイガースの監督は真弓だが、真由美さんが真弓さんと結婚したらマユミマユミ。美和さんが三輪さんと結婚したらミワミワ、真紀さんが牧さんと結婚したらマキマキだ。

アメリカで珍しい性の日本人女性と知り合ったことがある。
「で、あなたのお名前は」
「材木屋です」
「お父さんの職業ではなく」
「ですから、材木屋です」
なんと、彼女のラストネームは材木屋だった。

イタリア人の男性の名前にヨシコというのがある。ビバリー・ヒルズのロデオ・ドライブに、少しばかりくだけた貴金属店がある。ここの店長の名前がイタリア出身のヨシコさん。日本人観光客が店の中へ入っていくと、「わたしの名前はヨシコです」と、日本語で話しかけてくる。

観光客が笑い出したところで、店長は透かさず名刺を差し出して、自分の名前がヨシコであることを証明する。そこでまた観光客は笑い出す。てなぐあいである。

では、ここで大変珍しい日本人の性の一部を紹介する。

一番合戦(いちまかせ)、百目鬼(どめき)、仙人(せんにん)
音琴(ねごと)、目次(めつぎ)、花子(はなこ)
人首(ひとかべ)、宇宙(うちゅう)、九(いちじく)

2012年1月30日月曜日

ジョイ

ジョイが礼拝の時、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を朗読して、みんなから褒められたという。
サンデースクールの松本じゅん先生から、メールを頂いてその詳細が分った。泣いている人もいたという。

じゅん先生曰く「この年齢で間の取り方もうまく、大人の心を捉えるなんて、さすが詩人の娘ね」

ジョイは首が据わったころから、僕の机の傍らでブランコに乗りながら、何時間も僕が執筆している姿を見てきた。脱稿するとその作品を何度も声を出して読み返した。

ジョイが眠る間際に、童話、絵本、作り話等、毎晩読み聞かせをした。三つ子の魂百までだ!

聖愛幼稚園に通うようになってから、英才クラスに入れた。ここで芭蕉、一茶などの俳句を150句暗記した。おまけに百人一首も半分暗記。園長先生が驚いた。

ジョイが英才クラスの広告塔になって、園長先生が講演に行くとき、ジョイも一緒に行く羽目となった。

卒園してから、僕の文学道場『虎の穴』に入門させた。ジョイの成長ぶりを見ていると、病なんか吹っ飛んでしまいそう~!!! ハレルヤ!

確信

僕が生まれて初めて教会に行った日
聖歌隊の皆さんが「疲れたる者よ、我に来たれ」と 賛美していた
日本の生活に疲れ果てていた僕は アメリカに来て心の安らぎを覚えた
そこには、僕の心を動かす何かがあった

やがて聖日礼拝に出席するようになった そして受洗した
あれから31年 紆余曲折を経て神様に祈った
信仰を持ちクリスチャンになったことに感謝します
イエス様の救いを確信しています
ただ信じなさい 聖書は神の言葉を伝えている
愛されて赦されて 僕の病は癒されたことを確信しました

2012年1月28日土曜日

鶏(ニワトリ)

ジョイが幼い頃、童話『桃太郎』を読み聞かせている時、つと考えてしまった。いつか娘から、犬、猿、キジが桃太郎のお供をした意図を訊ねられたら、何と説明しようかと思った。

定かではないが、案ずるに犬は門を守り、猿は人に近く、鶏は時を知らせるという謂れが真相のような気がする。

鶏がキジに替わった理由は、鶏はキジ科であることと、室町時代まで、鳥類の中でキジが最も高貴なものとされていたからである。

往時の料理に関する古文書を閲覧していると、美味しい食べ物のことを『美物』(びぶつ)という言葉で表現されている。『枕草子』や『徒然草』、そして日本最古の料理書『厨事類記』には、キジの肉を称揚している箇所が幾つかある。

アメリカ産のブロイラーが日本に輸入されたのは、1960年以降のことだが、その頃から国内でもブロイラー養鶏が始まり、一般家庭で鶏を食用とする習慣が広まった。

速成肥育のブロイラーは肉に締りがなく、旨味のつくひまがないから不味である。当然ながら、舌が肥えている日本人には飽きられてしまう。当地の日系マーケットでも、地鶏や地卵がよく売れているようだ。

雄鶏の擬声は「コケコッコー」であるが、当地では「コックアドゥードゥルドゥー」、チャイナタウンへ行くと「ウォーウォー」と鳴いている。ついでにフランスでは「コクリコ」、ドイツは「キケリキ」と鳴く。

国によって、こんなにも音韻観念が違う。子供に物語を朗読して聞かせる折にも、真心から伝えようとしないと心に響かない。今夜は久方振りにプーシキン原作の絵本、『金のニワトリ』を江美子に朗読してもらう。そして夕食は親子丼だ。毎月28日はニワトリの日。

2012年1月27日金曜日

牛と豚

神戸の北野町で、異人館の油彩ばかりを描き続けてこられた小松益喜画伯がまだ壮健であった時分に、三宮にあるロシア料理のレストラン『バラライカ』へご一緒したことがある。

画伯は先ずボルシチを注文してから、すかさず「ロシアの豚漫」二人分を給仕に告げた。直ぐにピロシキの事であることが分かったが、具の挽肉は牛肉のはずだ。

豚バラ・ミンチが詰まっている中華饅頭のことを関東では「肉」まんと呼び、関西では「豚」まんと呼んでいる。関西人には奇妙に思えてくる一つである。

東京では「肉じゃが」も豚肉が主流となっている聞く。大阪あたりでは牛肉が常識だ。

東京に住んでいる畏友から教えてもらった。豚肉の入っている肉じゃがは、地域によっては「じゃがブー」と呼ぶ。

近畿地方には世界に名高い神戸牛を始め、松阪肉、近江肉、そして余り知られてはいないが、和牛の誉れとして高名な羽曳野牛(大阪)等の原産地が点在していたので、誰もが牛肉に親しむことが出来た。

一方、関東周辺には豚の名産地があったことから供給が安定していたことと、厳冬を迎える東日本では脂肪分の多い豚肉が好まれた。従って東日本では「肉」といえば「豚」のことをさした。

東のポークの生姜焼きと西のビーフ・カツは、何れも懐かしい味である。ロシアの文豪トルストイとゴーゴリはカツレツが大好物であつた。トルストイは来る日も来る日もカツレツを食べていたが、勤労意欲のない自分の姿を省みて、自給自足の生活に切り替えた。

物事には自制が肝要であると説き、『光あるうち光の中を歩め』を後に上梓する。屋敷を捨てて放浪の旅に出たトルストイは、1910年11月7日、アスターポポ駅(現トルストイ駅)で死去した。享年82。

ハワイ

母の卒寿のお祝いと、父の召天25周年記念を兼ねて、ハワイでお祝いしたいと思う。1986年の春、LAに両親が訪ねて来た帰りに、ハワイまで三人で旅行した思い出の地。

その前に、日本の姉たちに伺わなければならない。僕がこんな気持ちになっているのは、体の調子がよい証拠。イタイのイタイの飛んで行け~~

ちなみに兄69歳は、40代前半の女性と再婚したとか。親子ほど年が離れている。やるじゃんか~

2012年1月26日木曜日

羽田と伊丹

僕が27~8年前に帰国した際、羽田の日本航空のカウンターでチェクインをした。
係の女性が、
「お座席は後ろになさいますか、前がよろしいですか?」
「前の方が早く着くから、前にするわ」
係の女性は憮然として、
「どちらでも同じでございます」

同じことを伊丹(大阪国際空港)で試してみた。
「前の方が早く着くから、前にするわ」
係の女性は笑顔で、
「私もそうだと思います」

俳句 2012 1月 冬 2

1. パリよりも 艶やかなりし まどかかな
2. パリの街 まどかと僕と 吟行へ
3. 父母偲び 自由の国で わらび餅
4. 寒空に あたたか家族 ちゃんこ鍋
5. 祈祷会 祈り祈られ 日脚伸ぶ
6. 暖かだ 温かくなれ 懐も
7. 古山家 恵みの泉 福寿草
(クリスマスに家族の写真が届いた)

2012年1月25日水曜日

屠殺場で  滝口雅子

逆さまにぶら下つた牛ののどから
血があふれる
ざあ・あ・あ・あー
音を吸いこんであふれる
コンクリートの床を染めて
ひろがる血のいろに
女のつめたい横顔がだぶる
 紅い帯をきりりと
 腰に巻きしぼつていつて
 いのちの根をちよんと引きぬく
 物質だけが残る

瞼に 人間の手がかかると
脚が横倒しになる
恐怖の速さで
つぎに ゆつくりと
脚がふるえてえがく半円
一日四百頭がえがく脚の半円

天井のレールをすべつて
肩にぶちあたる肉
ぶあん
ぶ厚い脂肪の弾力と
血のにおいのなかで見失う
愛とか悲しみというものの実体
いのちをなくして恋人が
交歓する

屠殺待ちの小屋に夕陽がさして
去勢牛が交尾した




「屠殺場で」は、滝口雅子の第二詩集『鋼鉄の足』(昭和35年)に収録されている。同年に第一回室生犀星賞を受賞。

日本現代詩人会の創設者の一人である村野四郎は、この詩について以下のように敷衍(ふえん)している。「男」にさいなまれる「女」の酷さと悲しみのイメージをダブらせている。「紅い帯をきりりと/腰に巻きしぼつて」愛のない男の性欲に殺される女のむごさと哀れさとが、横倒しになって空間にもがく牛の脚の光景と入りまじっている。(中略)もはや愛も悲しみもありはしない。(中略)肉体だけの交わりに引き裂かれる女の苦悩と悲哀とが、屠殺場の血の中に感じとれるように描かれている。

実に興味深い鑑賞能力であるが、女が男にさいなまれることや、愛のない男の性欲に女が翻弄されてしまうことなど、とどのつまりは、肉体だけの交わりに引き裂かれる女の性というものが、いまひとつこの詩の中から、つかみきれないように思う。また、愛がないというが、「いのちをなくして恋人が/交歓する」と綴られていることも気にかかる。

「屠殺待ちの小屋に夕日がさして/去勢牛が交尾した」という結びは、推敲することによって、さらに秀逸した詩へと変貌を遂げる。ともあれ、最後に一行はみごとな表現である。


2012年1月24日火曜日

誰にも教えたくなるレストラン

教会の近くにTacoの美味しいレストランを見~~~つけた。WLAに2つとCulver Cityに1つ。レストランの名前は『El Super Taco』。

Tacoは9種類の肉から選ぶ。 Asada(牛肉の薄切り) Al Pastor(豚のカバブ) Buche(豚の食道) Suadero(牛の胸肉) Lengua(牛タン) Pollo(鶏肉) Chorizo(メキシカンソーセージ) Comitas(豚肉の煮込み) Cabeza(牛の頭) フィッシュタコもあるでょう! ブリトーもコンビネーションもおます。

教会から近いので、みなで連れもって行こか?! ネ、広ちゃん。


El Super Tacoのインホメーション(住所と電話番号、メニュー 他

2012年1月23日月曜日

とことん生きてやる!

「なぜ僕だけがこんな目にとか、神を恨んだことはありますか?」
周囲の者からよく聞かれる。僕は正直いって、このようなことは一度も思ったことはない。僕の気質は、杞憂が絶えず付きまとう小心者だ。だのに、自分でも不思議でならない。

多分、「力は、あなたの弱さの中から生まれる。」(フロイト)それと、聖書の御言葉「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」(歴代誌第二 16:11)

この御言葉が脳裏の片隅で、絶えず閃いて輝いていたからであろう。病院のICUに瀕死の状態で入院していた折、僕は「とことん生きてやる!」と思った。

すき焼き

今晩はすき焼き、「食事ですよー」
江美子が呼んでいる
お祈りをして、いただこうとした時
「ごめん、牛肉買い忘れた」
僕はジョイと顔を見合わせて 
「ダぁぁぁ~~」ずっこけた


※ 写真は牛肉の無いすき焼き。ヘルシ~!

2012年1月21日土曜日

日帰り手術

皆様のお祈りに支えられて、腫瘍(良性)切除の手術が終わりました。お祈り本当に有り難うございました。感謝します!

病院からの帰り、モントレーパークの『太平レストラン』によって、「ちらかし」(詳細、カテゴリー・グルメ参照)を食べてきました。

江美子もとても嬉しそうです。


大 寒

1月21日は大寒、一年で最も寒い頃にあたる。

一年を通じて温暖なロサンゼルスでも、この時節、明け方近くになると山沿いや沿岸地帯では底冷えがする。

寒さには強かった筈であるのだが、昨年の暮にセラミックの温風ヒーターを購入した。
暖炉よりも経済的、コンパクトであるから、どこにでも移動できるのが有り難い。

午後5時、ヒーターにあたりながら、正月の残りの餅を焼いて食べている。餅を二つ食べ終えたら、今度は、やおら重たい腰を上げて台所に向かう。お湯を沸かして日本茶を飲んだ。あれやこれやとしている内に、いつの間にか読書にふけってしまっている。やがてうたた寝してしまった。

余りに寒いので、集中力に欠ける数日間を過ごしているのだが、これしきの寒さで生活のリズムが乱れるとは、実に情けない話である。

アメリカでは、原作となったJ・K ローリングさんの『ハリーポッター』シリーズで、大議論が捲き起こっている。事の発端はシリーズの第一作が出版された一九九八年の秋に遡る。巷ではオカルト的内容は悪魔崇拝を奨励しているとして、排除を訴える声が高まった。

元ジャーナリストのR・アベインズさんは昨年『ハリーポッターとバイブル』(未邦訳)を刊行しているが、内容がまるでオカルトの集大成である『ハリーポッター』が、子供にとっていかに有害かを指摘している。

問題となっているのは、ローリングさんが著書をよりリアルに描くために、魔術や占いを研究して来たことに言及、シリーズ内の呪文が実際に英国で信じられていた事や、現代のオカルト集団の魔術でも用いられているからだ。

全米図書館協会によると、過去三年間、禁書にしてほしい図書のトップだそうである。
それはともかく、ロサンゼルスの未明から朝にかけての大寒は、メッッチャ寒いのだ。

2012年1月20日金曜日

帰国 2001

学校にはろくに通わず
神経衰弱に陥り
精神病院にぶち込まれて
荒れ狂う青い春の時代に死を選んだ

文学極道になって
独りで海を渡ったが
父が逝っても 日本に帰る事ができなかった
おれは親不孝者の頭

間もなく八十歳を迎える
まるい小さな母の背中を
久し振りにさすらせてもらった

苦しみに遭わなかったら
おまえもわたしも
イエス様の愛を知ることは無かったね
だから おまえは孝行者さ

この喜びをわたしに伝えてくれて
本当にありがとう
母の慈しみが 春浅し大気にぱっと弾けて瞬(またた)いた

朝な夕なに
ぼくのために祈り続けていてくれる母

声には出なかったけれど
「ありがとう おかあさん」

2012年1月19日木曜日

ホッ!

ドクターから電話がかかって来た。2回目のバイオプシーの結果である。27日の金曜日に結果が出るはず? ドクター自ら電話をかけてくるなんて、不吉な予感。

しこりは良性のもので、変性するといけないので、悪くならないうちに切り取ってしまうことになった。手術室ではなく診察室で、40分で終わる簡単な処置。(麻酔をかけてメスで切る)

イエス様の癒しを信じているからと言っても、一抹の不安があるのも確か、この不信仰をお許しください。ホッ! もう一度ホッ! こりゃまたホッ! おまけにホッ!

今週の金曜に処置が施される。皆様お祈りください。

主の感謝! ホッ!

2012年1月18日水曜日

誰にも教えたくないレストラン

灯台下暗し、場所はダウンタウンLA、高級ホテルのダイニング・ルーム。超穴場、安い!
やっぱり教えるの、やめようかな?

リッツカールトン、ラスベガスのシーフード・バッフェイに向かえば、$50~60はする代物。やはり教えるの、やーめた!

それが何と、$19.95食べられる。しかも種類豊富なサラダとフルーツ、スープ、パン、パスタ、スイーツ、etc. 但し、水、木、金のランチのみ。

昨年の冬に赴くと、$22に値上がりしていた。未だにホーム・ページのメニューには、$19.95になっている。

あとは適当に探してくらはい。 チャチャン ♪


Millennium Biltmore Hotel Smeraldi’s Restaurant TEL: 213-612-1562



2012年1月17日火曜日

沖縄

そば屋の『おたふく』へ江美子と二人で赴いた。
メニューを見る江美子。
「わたし田舎そばにするわ」
ウェイトレスが運んできた。
「田舎はどちらですか?」
江美子はすかさず、
「沖縄です」

洗面台のコップの中に
二本の歯ブラシ
色も形も長さも同じ
ブラシの毛が根元から反り返る癖までそっくり

「僕の歯ブラシ どっち」
「あなた またわたしの歯ブラシ使っている」
朝の挨拶の後で
毎朝 同じ事を言い合うふたり

最近とみによく似てきた
鏡に映ったふたりのまるい顔

ささやかな朝の時間にすぎないけれど
お互いの気持ちが最もよく通い合う

可憐な朝のひとときが
たおやかに微笑みながら
ふたりを見つめている

2012年1月14日土曜日

わが癒し主

わが癒し主

1月13日(金)通院報告。右乳の下にしこりがある。まさか乳癌? 検査の結果、癌細胞は発見されず、転移の心配もなくなった。

念には念を入れて、もう一度、深くバイオプシーをやってみようということになりました。咳は止まったし、血痰は出なくなりました。

本日の診察の結果は、27日金曜日に出る。ひとまず ホッ!

病院の帰り道『おたふく』に寄って、かき揚げ天ざると天丼を食べました。その後『マルカイ』に寄って大福。『マクドナルド』のアイスコーヒーを買いました。

2012年1月13日金曜日

歓 喜

ジョイが2歳の時、『アンパン・マン』(原作・やなせたかし)のビデオを観ていて、テーマソングに心が惹かれた。

♪ 何のために生まれ 何をして生きる/わからないまま終わる そんなのは嫌だ/何が君の幸せ 何をして喜ぶ/わからないまま終わる そんなのは嫌だ

この歌詞は明らかに人生とは何かを問うている。「悩むかぎり希望を抱け、人間の最高の幸福は常に希望、希望である」このようなことを語ったのは、確かドイツのシェーファーという詩人であったと記憶している。

世間では経済恐慌の果てに、テロへの懸念が高まり、連日イラク戦争のニュースが飛び交っている頃であった。この近年最大の景気低迷の煽りを受けて、リストラ等で失職する者や闘病生活の渦中にいる人々は、苦渋の日々を強いられていることであろう。

詩人、坂村真民が《試練》をテーマに詩を書いている。
去年の暮から/今年にかけて/病気が続いた/妻が病み/真美子が怪我し/梨恵子が起きたら/佐代子が寝込んだ/うちつづく不幸は/私をぐらつかせ/悪魔は私をそそのかす/尊い幾千の言葉も/苦しむ者を前に見ては/瓦礫(がれき)のように崩れ去ろうとする/この弱さよ/この不信よ/ああいつの日かこの試練に/心から手の合わされるのは

フロイトは確言している。「力は、あなたの弱さの中から生まれるのだ」と、見えない、聞こえない、話せない、三重苦のヘレン・ケラーが、「言葉」というものがあることを悟った晩、「ベッドの中で私は嬉しくて、嬉しくて、この時はじめて早く明日になればいいのにと思いました」と、希望に胸が膨らんだ。

将来、ジョイが困難に陥った時、如何なる状況においても、感謝する気持ち(喜び)を忘れないようにと、思いを込めてJoyと命名した。ミドルネームはベートーヴェンの『第九』、シラーの詩より「歓喜」と授けた。

Tacos Baja Ensenada

場所はイーストLA、メキシカン銀座のWhittier大通り。(5385 Whittier Blvd Los Angeles, CA 90022 TEL 323-887-1980)。

Shrimp Taco($1.99写真左)とFish Taco($1.50写真右)が、ものすごー~-~くごくごく美味しい!!! 1月7日(土)、ジョイと江美子と僕との3人で赴きました。写真には写っていないが、アボガドのスライスもトッピングする。

Tacoはあまり食べない江美子でも、大満足の味。店のラジオからはマリアッチが流れ、すっかり気分はアミーゴ! メヒコ!

近いから一度行ってみなはれ! 昼時は混雑するので避けたほうが良い。水曜日に行けば、Shrimp TacoとFish Tacoが50セント引き。

2012年1月11日水曜日

詩碑誕生

リトル東京のど真ん中に、重さ1.7トンの詩碑が建立さて、7年の歳月が流れた。大理石に刻まれている詩文は、加川文一の『海は光れり』。

僕の目には、この艶やかな岩石のモニュメントが、『鉄柵』や『南加文芸』で活躍していた猛者(つわもの)たちの、友誼に厚い証としての金字塔に見えるのだ。

この『海は光れり』という詩は、冒頭の加川夫人の短歌も含めて、近代抒情詩の、そして移民文学の傑作である。

「きょうも海は光れり」。この脈々たる希望の精神は、文一の妻に対する限りない包容力の表明である。文一の絶唱は、これからリトル東京に憩う人々の、心のよりどころとなるに違いない。

除幕式では、『南加文芸』の同人であった山中真知子さんが、詩の朗読に入る前に、天国にいる加川文一に届けとばかりに、「加川文一、あなたの詩碑が建ちました。あなたが暮らしていた日本人街に建ちました…… 」
切々と語る口調が、真に感動的であった。

『南加文芸』は不滅である。そして、この地に文学を愛好する者が、数多くいることを認識させられた。

夕べ、僕は独りで、色無き風のなかに佇み、文一の詩碑と対峙しながら、詩文を音読してみた。

妻よ
今日も海は光れり
人の住む陸を抱きて
するどく海は光れり

結びで感極まった僕の目から、一掬の涙がこぼれ落ちた。

絶対、主は癒し主!

1ヶ月ほど前、右乳の下あたりに柔らかいしこりを見つけました。レントゲン、CTにはしこりの陰が映っていません。先週の水曜日にバイオプシーをやりました。今週の金曜日に結果が出ます。どうか良性の腫瘍でありますように。

去年の11月に入院をして、ラジエーションの治療を施しました。効き目が出るまで2~3ヶ月要します。ようやく効果が出ました。4~5日前から体の調子が良いのです。顔色もすこぶる良い。(前から)

僕の病気のために、力強く祈ってください。絶対、主は癒し主!

2012年1月9日月曜日

ソウセイキ

はじめに
熟れた果実は大地を吸い込み
ブルーなレモンが白い鴉を呑み込んだ
カタツムリがニャオーと鳴いた
男の顔が女の脇の下から涌いてきた

人格

二重人格ではない
多重人格でもない
おれは 三・四重人格

2012年1月7日土曜日

純文学

僕は今、或る雑誌社からの依頼を受けて官能小説を書いている。ブログでは公表できない。ペンネームは三崎 廉(みさきれん)。何処かの雑誌で偶然この名前と遭遇したら、僕であると思い読んでください。

【あらすじ】
主人公の拓也は、フランス系黒人女性とルームメイトである。彼女の名前はフランキー、職業はヌードダンサー、拓也はアメリカの高校で日本語の教師をしている。

互いに束縛されることを好まず。とりわけ性交渉は自由だ。やがて拓也は、教え子のセリーナ17歳をルームメイトに迎え入れる。三人での生活が始まった。

登場人物の数々女性は(フランキー、セリーナ、シィーナ、ジャン、エレン、アマンダ)それぞれが、はんなりとした煽情的な体臭を匂わす。正しくこうばしい耽美な香りだ。

あらすじはここまで、細部の描写がブログには書けないから。いいわけ!

タイトルは『黒薔薇の匂い』。僕はこの小説が純文学だと思って執筆いている。

2012年1月6日金曜日

俳句 2012 1月 冬 1

1. 夫亡き 淡路の女 冬の虹

(最愛の夫を亡くした淡路島出身の広子さんは、夫に尽くして花のように優しかった。まれに出る冬の虹は、鈴木広子さんように鮮明で美しくて力強い。)

2. 被災地の 瓦礫の山に 冬薔薇(ふゆそうび)
3. お父さん 納豆汁を せがむジョイ
4. 鮭のアラ おせちに飽きて 粕汁に
5. 雪下ろし 永田町では 野田おろし
6. 夢のよう 安くて旨い 松葉蟹
7. プレゼント 礼状を書く 二人かな
8. 数の子に このわた肴 お正月
9. 校庭に 雪やこんこん 冬紅葉

2012年1月5日木曜日

骨董

売れないアーティストが、50歳を過ぎて世界的に有名なコンテストで大賞を受賞した。今までに酷評を受けてきた作品が、一夜にして評価されるようになった。

「美術の世界というのは、おかしなもんだなぁ」。生前の父が、よく語っていた言葉だ。

6年ほど前に新聞で知ったことであるが、小さなデッサンを100ドルで売るつもりでいたら、鑑定の結果ゴッホと判明。結局、80,000ドルで落札された。

僕も父から受け継いだ骨董品を数点持っている。上は末端価格数十万ドルから下は数千ドル。
古美術商に引き取ってもらうと、足元を見られて数千ドルから数百ドルがいいところ。

大学生時代に骨董品が好きな、横山久安先生と京都の骨董屋を冷やかしに赴いた。二人で酩酊しながらよく訪れた。僕が創部した文芸部の顧問を、横山先生に引き受けてもらった。

2012年1月4日水曜日

赤黒

闇の中で佇む 俺の街で 鳥たちが叫んでいる   
俺の眼光は 暗闇の亀裂をかいくぐって
一瞬にして生臭い奇態の臓物へとへばりつく
得体の知れない 刺々しい幾何学模様の大気は
赤黒く 形のない脂肪の匂いを周囲に放っている

鳥よ
俺は居た堪らなくなって 蛮声を張り上げた
俺の叫びは 蜘蛛の巣の夜空にかき消されて
どす黒い星に ぬらぬらりと辱められる
鳥よ
俺は再び声を張り上げた
鳥は枝からヌピヌピ 枝へとヌピヌピ 樹木の狭間を這いつくす

俺の瞳孔(たましい)は何者かによって 閉ざされてしまった
一体 どこに逃げ道があるというのだ
腐乱した黒い鳥を暗闇の中で頬張りながら
この上なく赤く黒い世界に
俺自身が しこたま赤く爛(ただ)れるまで 人間らしく生きていくことはできない

俺を支配している赤黒い怪人よ
願わくは 漆黒の炎を俺によこせ

2012年1月3日火曜日

覚悟

アメリカで最も美味しいレストランは中華料理。ならば、アメリカで最も不衛生で汚いレストランは中華料理店。

保険衛生局の表示マークは良くて「B」、小さな場末の店ではほとんどが「C」である。先ずトイレが汚い。床、カーペットは脂汚れで黒ずんでいる。

ウェイター、ウエートレスのユニフォームはシミだらけ、時にはウェイターの髪の毛に、フケがいっぱい浮いている。グラス、お皿がよく洗えてない。

決定的なのは厨房が恐ろしく不潔だ。シェフがタンを吐きながら料理を作る。間違えてフライパンの中にタンが入るこがとしばしばある。夜になれば厨房でドブネズミの運動会が始まる。

中華料理の食材は中国から仕入れる。そのほとんどが危険食材。美味しいもの食べるには、それなりの覚悟がいるのだ。

写真はタン入りの白湯スープ。

2012年1月2日月曜日

アメリカで最も美味しい食べ物

アメリカで最も美味しい食べ物は中華料理。アメリカの大都市には必ずチャイナタウンがある。今や美味しい中華料理を食べさせてくれる都市は、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコだ。その次は香港で神戸、横浜と続く。

35年前に香港に一度だけ旅行をしたことがある。何に感動したかと言うと、「それは、それは飲茶の美味しいこと、美味しいこと」。僕はツアーのグループを抜け出して、一人でグルメ三昧。リーガーデン・ホテルの隣にあった、小さなレストランで食べたチャーハンは、もう、気絶するほど絶品で美味かった。往時の僕は、これが本場の味かと思った。

暫くして、香港が中国に返還の時期が迫っていた。富裕層や一流シェフらが海外へ移住しだした。これによって、アメリカが香港を抜いて中華料理の味、ナンバーワンとなったわけ。

アメリカで二番目に美味しいレストランは何か? それは、イタリアン、タイランド、ブラジル、ベトナム。

ニューヨーク、ロサンゼルスでは、日本のラーメンが大ブレーク。軒並に建ち並んだラーメン屋さんが、毎日、目白押しの大盛況!