2011年11月30日水曜日

三悪

某新聞社のCEOが語っていた。アメリカの三悪は、弁護士、CPA、メカニック。

アメリカ人のメカニックは、技術はおろそかな割に一丁前に修理代は高額だ。直ぐに修理したところが壊れてしまう。悪徳なメカニックに引っかかれば、正常なパーツでも取り替えられてチャージされる。日本人のメカニックは、総合的に誠実で腕が良い。

日本人、日系人のCPAは融通がきかない。仕事は抜け目なくやってくれるが、細かい資料を全て揃えて提出しなければならない。おまけに料金が高い。

7、8年前から、ヒスパニック系アメリカ人のCPAに頼んでいるが、親切、早い、廉価、融通がきく。毎年、高額のタックスリターンがある。

日本語の無料誌に、広告を載せている弁護士は如何わしい。中でも日本語が話せないのに、アシスタントを雇って、通訳をさせるような弁護士には要注意。

そもそも、英語のクライアントが大多数を占めるアメリカで、少数派の日本人にターゲットを絞るのは不審極まりない。まして日本語を話せないときている。

手元にあるPCで、弁護士の経歴を簡単に調べられる。無料誌に広告を載せている或る弁護士を調べたら、クライアントのお金を横領して、弁護士のライセンス停止を、2度も食らっていたことが判明した。



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2011年11月28日月曜日

おなごの黄昏

となりのオナゴ
赤と茶色のまだらの髪
日焼けした黄色いフェイスぶらさげよって
ムラサキ重ねて座ってやがる 

細かく踏み潰された
灰色のガラス細工のような声で
おなごはほざきよった
ここのざるそば、うまいなぁ

おなごはとりどりの色と重なり合った
ねばる
濡れる
垂れる
流れて匂う

おなごは最後にそば湯を飲んだ

やがて
おなごの後光が
幕を閉じた

2011年11月26日土曜日

枯葉

♪今はもう秋、誰もいない海~~秋といえば枯葉。

僕が最も好きなアルト・サックス・プレイヤー、キャノンボール・アダレイとマイルス・デイビス(トランペット)が、『枯葉』の名演奏を録音している。

マイルスほどブルースを感じさせてスイングするプレイヤーは、他には見当たらない。また、キャノンボールのインプロヴァイスは実に素晴らしい。

モダンジャズの傑作『枯葉』を、篤とお聴きくだされ!

2011年11月25日金曜日

鐘の音

日本……ゴーンゴーン
イギリス……ディンドン
フランス……ダンドン
ドイツ……ビンバン
中国……ティンタン



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2011年11月24日木曜日

お祈りのお礼

本日、入院治療から退院しました。入院中はよく眠れなかったので、帰宅後ぐったり。皆様のお祈りに感謝申し上げます。心奥から有り難うございました。

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発見! インドネシア・レストラン

今年の夏、教会の帰りに周辺を車で流していると、インドネシア料理のレストランを発見。愛餐会(ランチ)を食べてこなかったので、冒険方々3人で入店してみた。

何の情報もなしに初めて入るレストランは、正しく賭けである。第一印象は、あまり美味そうではない様な気がした。

スープと野菜を食べたところで、中華料理に味が似ている。新鮮な風味が、美味しさを倍増させてくれた。『Indo Cafe』に入ったのは大正解!

料理の名前を忘れましたので、写真を羅列します。

Indo Cafe 10428 1/2 National Bl. Los Angeles, CA 90034          TEL: 310-815-1290






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2011年11月21日月曜日

八木重吉


くものある日
くもは かなしい

くもの ない日
そらは さびしい



人を 殺さば

ぐさり! と
やって みたし

人を ころさば
こころよからん



太陽

太陽をひとつふところへいれてゐたい
てのひらへのせてみたり
ころがしてみたり
腹がたったら投げつけたりしたい
まるくなって
あかくなって落ちてゆくのをみてゐたら
太陽がひとつほしくなった




秋が くると いうのか
なにものとも しれぬけれど
すこしずつ そして わずかにいろづいてゆく
わたしのこころが
それよりも もつとひろいもののなかへ くずれてゆくのか




敬虔なクリスチャンであった八木重吉は、昭和2年(1927)肺結核のために(29歳で)夭折。信仰の詩を発表する一方で、対極的な、哀しみと怒りをあらわにした詩も綴った。

江藤 淳は、重吉の詩篇を文学作品としてみようとするかぎり、キリストは疑いもなく彼の「かなしみ」と怒りの、あるいは絶望の反映である。と道破した。

わたしは、この見解において、もう一歩踏み込んだ議論が必要であると思う。なぜならば江藤の論じる「反映」が、物事の一般性だけを捉えているからである。即ち、「反映」そのものが抽象的であり、粗放であるからだ。

例えば、泰西の文学作品にみられる人生の機微とキリストの関わりは、怒りと絶望の「反映」が描かれている。

同じく重吉が、キリストのなかに何を見たかは、「宗教的体験に属していて」、文学的にいえば実存的体験の所産であると江藤は弁じている。だが、あくまでも重吉の詩は宗教的体験のなかから、文学的に昇華したという事実を歪めてはならない。

また、重吉の詩はキリストを指しているのだが、キリストのみを見ようとする人々には見えないものを示している。それが重吉の詩篇の文学的な深さであると江藤は断じている。

正しく江藤の説に誤謬はないのであるが、重吉の詩篇には、真のキリスト者となりえて、聖書を熟知している者でなければ、また、見えない深さも同居しているのである。

最後に、富裕な農家の次男として生まれた重吉に対して、「かなしみ」を歌う源泉がどこに隠れているのかは、謎に包まれたままであった。けれども、重吉が書き残した草稿や感想、そして断片も含めて二千篇余りの詩を解読していくうちに、重吉には先天的な躁鬱気質が色濃く陰っている事実を付きとめた。即ち、欝の周期に陥ると「悲哀」を歌い。『人を 殺さば』や『太陽』を書いた折は、躁状態であったと思われる。


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2011年11月18日金曜日

ラブレター

11月23日は勤労感謝の日。語呂を合わせて『いい兄さんの日』、『いい文(ふみ)の日』でもある。

E-メールの普及によって、若い世代が文章を書くようになった。文といっても喋る言葉そのままである。先般、知り合ったばかりの30歳半ばの男性にE-メールを送った。宛名の敬称に様を添えたら、今度から「さん」にしてくださいと言われた。

メールは手紙だという意識が、いつも纏わりついているせいか、無意識のうちについ身構えてしまう。特に親しい間柄でない者に対しては尚更だ。

50歳位を境にしてと言えば良いのだろうか、人によっても千差万別であるが、とにかく若い人たちは、メールをコミュニケーションの主流として巧みに活用している。

だが若い世代からメールを貰うと、敬語の省略化と狎昵(こうじつ)的な文体に、少しばかり面食らう事がある。だからといって、メールを差し出した若い人に会ってみると、口数の少ない、おとなしい青年であることが多い。

恋文、いやラブレターだけは熱い思いを込めて、便箋に切々と書くほうが味わい深い。何も長く書く必要はない、明瞭簡潔、しかも燃えるような情愛がこもったラブレターを。

それでは、ロシアのシェークスピアともゲーテとも呼ばれているプーシキンに、ラブレターの書き方を伝授してもらおう。

オネーギン様 もし出会わなければ/あなたを知らずに苦悩もなかったはず/でもあなたと出会う運命だったのです/はじめてあった瞬間/すぐ分かりました/ああ 運命の人が 現われたのねと/どうか 疑念から救い出してください/運命に身を委ねます/秘密を明かした手紙を読み返すのが怖い/あなたの心を信じますが/恥と恐怖で消え入りそうです タチヤーナ (『オネーギン』より)

晩秋の夜長、1123(いい文)を綴る季節の到来である













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2011年11月16日水曜日

祈りのリクエスト 癒し祈願

ようやく入院治療の日が、11月21日に決まった。超粗食が一ヶ月半で終わる。

一ヶ月前の診察の折、癌細胞は90%死滅しているとドクターは僕に告げた。あと10%、今度の入院治療に期待を寄せる。

今思えば3年前、瀕死の状態で病院へ担ぎ込まれた。極度のストレスとストローク、脳、リンパ、甲状腺、肺、4ヶ所の末期癌。

今までの治療費が80万ドル、一ヶ月の薬代が1万1千ドル。僕が回復したのはイエス様の癒しと、皆様方のお祈りのおかげだと固く信じている。

僕が完全に癒されるまで、お祈りを続けてください。

2011年11月15日火曜日

病気

吉田兼好が著した鎌倉時代の随筆、『徒然草』の第117段には、友とするにはふさわしくないものが7つあると説かれている。

その中の一つに「病なく身強き人」を挙げているが、おおよそ兼好法師は、健康な者には、病弱の者に対する同情の念が欠けているとでも言いたかったのであろう。

ヒルティの『幸福論』第3巻(正木 正訳)に、「病気」に関する記述がある。
「幸福は健康がなければ生じないというのであれば、悲しいことであろう。だがそれは真実ではない。不幸な病人があると同様に、幸福な病人もあるのである。病気と幸福は絶対的に対立させるものではない」

「病気もまた幸福であり得るのであって、健康な日には起らなかったものが、一段と高い人生観への浄化剤ともなり、血路ともなることが出来るのである」

僕は聖者と仰がれたヒルティの、この味わい深い一文が好きだ。また、近代フランスの人道主義者で作家のロマン・ロランは、病気はためになることが多いと喝破している。なぜならば、肉体を痛めつけることによって、魂を解放して浄化するからだ。一度も病気をしたことのない者は、十分に自己を知っているとはいえない。

わたしは傷を持っている
でも、その傷のところから
あなたのやさしさがしみてくる
(星野富弘)

不慮の事故から此の方、首から下の自由を奪われてしまった星野さんは、この試練を通して、真の慈しみと出会ったのである。

2011年11月14日月曜日

長野君

中学生の時分、長野君とは学校の帰り、数えるぐらいしか一緒に帰ったことがない。小学生の時も一緒の学校であったのに、話をしたことがない。

中学生になって同じクラスなった。それでも、長野君とは一言も話をしたことはない。長野君は目立たない、おとなしい、優しい、秀才だ。

ある日、僕たちは一緒に下校した。道すがら、僕はジョークの連発。長野君の老人みたいに、か細い声をあげて笑う顔が、未だに僕の脳裏に鮮明に焼き付いている。

長野君は背が低い、セムシ男のように背中が曲がっている。歯がボロボロで息がくさい。まるで、近所のご隠居と歩いているみたいだ。

コオロギが鳴く晩秋に、14歳の長野君はこの世を去った。正に青天の霹靂。今思えば長野君の両親は、長野君が長く生きられないことを知っていたのかもしれない。

でくの坊の、この僕が生きながらえて、秀才の長野君が夭折するなんて、これも神様の計画と言うことだろうか。

11月の星月夜に、裏庭のバルコニーで腰を掛けていると、コオロギが一匹、草笛の音の様に物悲しく啼いていた。

2011年11月10日木曜日

豆腐

「世の中は豆で四角で柔らかで、又老弱に憎まれもせず」。中国からインゲン豆を日本へもたらした隠元禅師は、豆腐をこのように称賛している。

現代でこそ、お豆腐は健康食品の代名詞として圧巻だが、江戸前期の儒学者、貝原益軒は、自著『養生訓』の中で「豆腐には毒があって気をふさぐ」と記述している。

益軒は豆腐の食べ方について、「新鮮な豆腐を選んで、素早く煮て取り上げたら、大根おろしを加えて食べると害はない」とも記している。

江戸後期のベストセラー『豆腐百珍』の「絶品」の項目に、益軒の意向を参考としたらしい「湯やっこ」が紹介されている。

まず、豆腐を奴に切る。湯に葛を入れて、豆腐が浮き上がったら出来上がり。つけ汁は醤油を煮立てて、花かつおを入れる。湯をさしてもう一度煮立てる。薬味は葱と大根おろし、粉唐辛子。これなら家庭でも簡単に作れる。

先般、DVDで茂山狂言を観た。茂山狂言の家訓は、お豆腐狂言として語り伝えられている。その昔、婚礼や祝いの席で、余興に困ったら「茂山の狂言にしとこか」と言われた。京都ではおかずに困ったら「豆腐にでもしとこか」と言う。周囲からは「茂山の狂言はお豆腐屋」と揶揄されたそうだ。そんな陰口を逆手にとって、広く愛されて、飽きのこない、味わい深い『豆腐狂言』の精神を貫いている。

大の豆腐党であった泉 境花は、生ものに対する恐怖症があったために、湯豆腐しか食べなかった。しかも、ぐらぐらと煮えた湯豆腐を好んだ。

「湯豆腐やいのちの果てのうすあかり」。美食家の文人、久保田万太郎の一世一代の名句である。

周辺にいる日本人十人に聞いてみた。「あなたのお気に入りの豆腐は? 」。ガーデナの『明治豆腐』。サンゲーブルの『永和豆漿』(YUNG HO TOU CHIANG)。森永の『調製豆乳』。

平成5年(1993)日本豆腐協会は、語呂合わせから、毎月12日と10月2日を『豆腐の日に』制定した。            
            

2011年11月8日火曜日

ボジョレーヌーヴォーとマカロン

20数年前に大阪でフランス料理を食べたとき、ソムリエがボジョレーヌーヴォーは如何でしょうかと僕に薦めた。僕は即座にボジョレーヌーヴォーは新酒なので、味が若くてあまり美味しくないと断った。僕は続けて、ならばカリフォルニアワインの方が美味いと告げた。にわかにソムリエが狼狽したのが分かった。

シェフが最後に登場してきた。挨拶をしたあとで、シェフ自らワゴンを押して、コニャクとチーズの盛り合わせ持ってきた。シェフは相好を崩して、サービスですと僕に告げた。

「ロックホォールは無いのですか?」
僕はボソリと呟いた。
シェフが言葉を詰まらせて取り乱した様子。

ボジョレーヌーヴォーなんて……なんで日本人が大騒ぎするのか、わからへん。
今年のボジョレーヌーヴォーの解禁日は、11月17日だっせ、忘れなはんなや。

僕がボジョレーヌーヴォーをたしなむときは、マカロンを肴にして賞味する。これが意外と良く合うのだ。


2011年11月7日月曜日

カラスの鳴き声

日本…… カアカア
イギリス…… コー
フランス…… クロウ
ドイツ…… クラークラー
中国…… アー

2011年11月4日金曜日

♪ 月がとっても青いから 遠回りして帰ろう。

11月6日、午前二時に夏時間が終わり標準時間に戻る。季節は一層秋立ち、夜空の蒼い月が下界へと媚びる晩秋の訪れだ。

一千年前、紫式部は詠(うた)っている。
「めぐりあひて 見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かげ」

紫式部が『源氏物語』を綴った石山寺(滋賀県大津市)は、月の名所としても名高いが、この歌には紫式部が青春時代に恋愛体験をした懸想(けそう)が、色濃く刻み込まれていた。

露伴の句で惚れぬいているのがある。
「名月や舟を放てば空に入る」
(水面には月が映っている。舟を出すと、まるで夜空に浮いているみたいだ。)

月を題材とした定型詩や自由詩には、池、川、湖、潮が良きパートナー役を務めている。中原中也の詩『湖面』の冒頭は、「ポッカリ月が出ましたら 舟を浮べて出掛けませう・・・ 」。月のイメージは風流かつ由々しくもある。

「月」で連想したのが『竹取物語』だ。好色家で名が通っていた五人の貴公子たちは、一心不乱になってかぐや姫の家の周辺で露営を張りながら、闇夜になると垣根の隙間から家の中を覗き込んで情欲を燃やした。

求婚することを「呼ばふ」の連用形「呼ばひ」に転じて、「婚」(よばい)と当てられたが、後に彼らのような行為をすることを、「夜這い」と意識されるようになった。

月を見上げていると、つと萩原朔太郎の第一詩集『月に吼える』に思いが馳せた。序文に北原白秋は記している。「月に吼える。それは正(まさ)しく君の悲しい心である」と。白秋の序文は朔太郎の一つひとつの詩に、更に芳純な<におい>を漂わせることになる。それは朗月のように美しい、壊れる事のない友情であった。

2011年11月3日木曜日

『みつる寿司』

リトル東京の老舗大衆鮨屋、『みつる寿司』Mitsuru Sushi & Grill。メニューは洋食、和食何でもある。すしバーで座って、鮨をつまむのもよし、名物、鯖棒が飛びきり美味い。


316 E 1st St Los Angeles CA 90012 213-626-4046 無休

2011年11月2日水曜日

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殺してやる

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殺してやるって
夕べうなされていたわ

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江美子が呟いた

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 ★
 ★

殺してやる
おれの潜在意識が激怒している
殺してやる


ぶっ殺して★やる