2014年7月31日木曜日

8月1日は父の命日「冷や麦忌」。
一句詠みました。緋愛(ひあい)は小生の俳号。

俳号2030代・蓮空   4050代・賛美   最近・緋愛


「父しのび 自由の国で 冷やし麦」(緋愛)

「父も好き 僕も好き 若狭の海辺」(緋愛) 

「とみさんと 祇園花街 恋に落ち」(緋愛) 

「愛されて 赦されて 孔雀草」(緋愛)


「吾がうちに 生きている 父の優しさ」(緋愛)

 

2014年7月30日水曜日

舛添都知事が韓国五輪に支援約束 東京都・知事本局に電凸



桝添都知事、都民を欺く、国民も欺く、卑劣な知事だ!

許せない。リコールだ!





【日韓関係】案の定、韓国に利用された舛添外交[桜H26/7/28]

東京都民の敵、日本人の敵、桝添都知事。
都民の90%が韓国を愛しているだと!
ウソ八百! 
ウソつきは韓国のはじまり!


われ思う

人間から逃れることはできない
人間をやめることもできない
自分の人間を半分に切って、また半分に切って
切って、切って、切り刻んで
自分のみじん切りをスープの中に入れて
自分の口が、自分の人間の肉を食べようとしたら
自分の人間の舌がない
これは自分の人間の眼ではない
これは自分の人間のへそではない
これも自分の人間の足の爪ではない
人間人間人間人間が自分の人間を粉々にして
緋緋緋緋緋緋緋緋緋緋緋緋緋緋緋緋緋緋緋
何億光年先に太陽は
蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼
人間は人間である あくまでも人間である
人間は人間
女郎花は女郎花
百足は百足
天使は天使
ハチドリはハチドリ
悪魔は悪魔
鰯は秋刀魚ではない
GodGod
知恵は知恵
知恵は……?
神は人間を神の形に似せて創った
知恵は知恵でも知恵でも知恵でもない
人間と神と知恵
自分の人間は人間から離れることはできない
自由は自由ではない
地球は楽園ではない
人間から逃れることはできない
人間をやめることもできない
人間の自分を救ったのは
cogito,ergo sum (コギトーエルゴースム)









2014年7月29日火曜日

忍耐

昔の僕だったら、苦難が襲いかかって来たら、現実を拒否していただろう。大病をしてから塗炭苦しみに遭遇しても、現実を受け入れることができると思う。

近頃、頓に忍耐という熟語に対して、熱い思い入れを感じている。人間が最も必要な事は、忍耐する心じゃないでしょうか。


真の精神的満足は、忍耐することから始まるのではないでしょうか。

2014年7月28日月曜日

ニューヨーク


同時多発テロ発生後、一ヶ月余り経過してから、詩のコンテスト『若き詩人たちの集い』の審査委員会に出席するためにニューヨークに赴いた。選考を終えた翌日、帰りの飛行機の便まで暫らく時間があったので、一晩お世話になった郊外の知己の芳館から、マンハッタンまで車で送ってもらい、グリニッジ・ヴィレッジのブルーノートの前で降ろしてもらった。
 
時刻は午前十一時前、ひとまずジャズは諦めてヴィレッジ界隈を散策することにした。前週末、ジョー・ヘンダーソン(テナーサックス奏者)のガールフレンドから電話がかかって来て、「来週ニューヨークに出向いた折に、私と一緒にジョーの告別式に出席して欲しい」と希求された。チック・コリアもハービー・ハンコックも、仕事にかまけて欠席を告げて来たことが、彼女にはとても寂しかったらしい。ぼくとしても唐突な申し出の返答にとまどった。LAに戻ったら直ちに、ゴスペル・コンサートの準備が控えているので、双方のスケジュール次第である。
 
ジョー・ヘンダーソンが歿して直ぐに、彼女はダウンビート誌のインタビューに応じている。ジョーのガールフレンドとぼくは不思議なくらい意気投合するので、彼女は電話口で、まだ誰にも語っていないジョーのエピソードを、堰を切ったように話し出した。
 
スタン・ゲッツとジョーの友情について、セロニヤス・モンクとチャーリー・ラウズの親交、グラミー賞受賞秘話、ジョーのサックスの話、ブルーノート(東京)ドタキャンの真相。ペッパー・アダムスの隠れた才能、etc 。ジャズ好きのぼくにとっては、どれもこれもが興味深い話ばかりである。
 
中でも一番深く印象に残ったのは、生前、ジョー・ヘンダーソンはビル・エバンスのピアノ奏法について、「昼間聴くべき演奏であって、深夜は聴くに耐えない」と評していたことだ。
 
時刻は午前十一時四十分、この辺りはグリニッチ・ヴィレッジとクリストファーの境目、両側にアパートが立ち並ぶ街路を歩いていた時だ。「はて、ちょっと待てよ、この光景は以前何処かで見たことがあるぞ」。ぼくは十フィートに満たない僅かな隔たりを右往左往しながら、気がつけば、ほぼ直角に顔を仰いで、身体をぐるぐる回転させていたのである。

やがて記憶の綴れが紐解かれた。「あっ、そうか」、脳裏でぽんと手の打つ音が聞こえた。
ずんぐりした煉瓦づくりのアパートの壁に、一本の古い蔦のつるが這い登っている。三階建てのてっぺんには、若いスウとジョンジーが共同のアトリエを持ち、彼女たちの下の階には売れない絵描きのベアマン老人が住んでいる。
 
ぼくが今立っている小路に寸断されている「プレース」は、ワシントン・スクエア西の小さな区域で芸術家の村だ。そう、ここは紛れも無くO・ヘンリーの短編小説「最後の一葉」の舞台となった建物に違いない。ぼくは合点して欣快になった。
 
午後二時丁度。ソーホー、リトル・イタリーと歩いて来て、チャイナ・タウンに到着した。それにしても何と生気に満ち溢れた街なのだろう。道幅の狭い道路は日本の交通渋滞を彷彿とさせて、自動車のクラクションが喧喧諤諤と鳴り渡る。白、黒、紅、黄の人の群れが、鵜の目鷹の目で移動していくのだが、案外と商店の人々の眼は冷静で醒めていた。極彩色の酒家の看板は、年中祝意を表した満艦飾。レストランに入る前に、ぼくが吸い込まれた四坪程の小さな店舗は、足の裏マッサージ医院。

七十絡みの中国人らしき男の指圧師は、ぼくの膝から下を入念に揉み解し始めた。野球のグローブのような厳つい手の指は、孟宗竹が発芽する時の同じ勢いで、ぼくの足の甲から土踏まず、指の先を、まるで土塊をこねる時のような手つきで、隈無く圧縮して引っ掻きまわす。ぼくは激痛を予知していたのだが、大した疼きを感じないまま両脚が軽やかになって、ひと時の慰安にまどろんでしまったのである。
 
十月二十九日、午後七時五分。この稿を書いている最中に、ジョーのガールフレンドから電話がかかって来た。再びスタン・ゲッツとジョーの友情の話、秘蔵ビデオの話題、彼女と年内に会う約束をして電話を切った。
 
0・ヘンリーが生涯、心から愛したのは夭折した可憐な妻エイソルと、ニューヨークの街。生活費を稼ぐために、銀行で出納係をしていたO・ヘンリーは、妻の死後、横領の罪を問われて裁判で有罪となり、五年の刑期が確定した。彼は煩悶の果て、エイソルの奨めによって書き始めた小説を、刑務所の中で再び執筆し始めた。
 
この刑務所での体験が、もし彼に無かったならば、アメリカ文学史上に遺る偉業は閉ざされて、世界中の人々に感銘を与えることは無かったのである。O・ヘンリーは正にアメリカのモーパッサンであった。
 




2014年7月26日土曜日

速報!

皆さん知っていましたか!

渡邊哲也が解説する神法案!