2011年11月15日火曜日

病気

吉田兼好が著した鎌倉時代の随筆、『徒然草』の第117段には、友とするにはふさわしくないものが7つあると説かれている。

その中の一つに「病なく身強き人」を挙げているが、おおよそ兼好法師は、健康な者には、病弱の者に対する同情の念が欠けているとでも言いたかったのであろう。

ヒルティの『幸福論』第3巻(正木 正訳)に、「病気」に関する記述がある。
「幸福は健康がなければ生じないというのであれば、悲しいことであろう。だがそれは真実ではない。不幸な病人があると同様に、幸福な病人もあるのである。病気と幸福は絶対的に対立させるものではない」

「病気もまた幸福であり得るのであって、健康な日には起らなかったものが、一段と高い人生観への浄化剤ともなり、血路ともなることが出来るのである」

僕は聖者と仰がれたヒルティの、この味わい深い一文が好きだ。また、近代フランスの人道主義者で作家のロマン・ロランは、病気はためになることが多いと喝破している。なぜならば、肉体を痛めつけることによって、魂を解放して浄化するからだ。一度も病気をしたことのない者は、十分に自己を知っているとはいえない。

わたしは傷を持っている
でも、その傷のところから
あなたのやさしさがしみてくる
(星野富弘)

不慮の事故から此の方、首から下の自由を奪われてしまった星野さんは、この試練を通して、真の慈しみと出会ったのである。

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