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2016年11月9日水曜日

不安

本日、にわかに不安感に襲われた。いろんな思いが込みやげてくる。この先、生きるべきか、死ぬべきか。


イエス様は、心に平安と喜びを与えようとしているのに、神の御心ではないと祈ったら、不安がたちどころに消散した。

2016年11月7日月曜日

ツアー

わが社のツアー・カンパニーが、大リーグ観戦ツアーを1990年に最初に催行した。ドジャース・スタジアムとエンジェルス・スタジアム。往時は日本からの観光客も大勢いて、ドル箱ツアーであった。

大手の旅行社から予約が殺到した。バスの手配とチケットの用意でおおわらわだった。笑いが止まらないということは、正しくこれだと思った。

笑いが止まらないのは、つかの間の夢。1995年に野茂英雄がドジャースに入団以来、他社が、ぞくぞくと大リーグ観戦ツアーに参入しだした。

わが社は他社に負けないように、新しいツアーの開発に余念がなかった。ハリウッド・スターのタマゴ達にエスコートされながら、ヘリコプターに乗ってディナーを楽しむツアー。

ゴスペル結婚式、ショットガン射撃ツアー、ヒドゥンバレー・スターズ・ホームツアー等。いずれのツアーもヒットはしなかった。

1996年に僕のツアー・カンパニーが、終焉を迎えた。

 



2016年10月3日月曜日

出会い

僕は若い頃に、無頼派にあこがれた。太宰治、坂口安吾、織田作之助。作品よりも、これらの作家の生きざまに傾倒した。

少し前の時代の、井伏鱒二、永井荷風、谷崎潤一郎は作品も、生きざまも惚れぬいていた。

僕が日本で物書きを志しているとき、夜と昼がひっくり返ってしまった。酒びたりの日々が続く、不摂生の毎日を過ごした。

居酒屋でつけが多くなり、僕は店の厨房で働く羽目になった。近所の市場でも泊りがけで、守衛をしたこともある。夜にやることがないので、物を書いていた。

ある晩、守衛室に酔っ払いがやって来て、わめき散らした。どこかで見覚えのある顔、中学のときの英語の先生だ。

「卒業生の新井です」
目を丸くして、まじまじと僕の顔を先生は見詰めた。バツが悪くなったのか、先生は無言でその場を立ち去った。

それから月日が流れて、半年余り経ったであろうか、地下鉄の新大阪駅で先生とばったり出会った。

「あの時は、すまんかったのう。どゃ、その辺りで一杯?」
僕と先生は縄暖簾をくぐった。

教え子と再婚をして、6年前の春、先生は亡くなった。安らかな眠りについたという。あの時の出会いがなかったら、30年間のつきあいは無かっただろう。


2016年9月28日水曜日

ジャズ

今、バッド・シャンクとフランク・モーガンのアルトサックスを聴きながら、この稿を書いている。ジャズを聴きながら書くと、テンションが上がる。

車の中でも、家の中でも一日中ジャズが流れている。たまにはボリュウームを上げて聴く。十三、四年前に、日系引退者ホームで、ジャズの夕べと題した夕食会があった。

プロのジャズ・ミュージシャンをライブで聴いた。ゲストは僕とミスター世界こと、関根正和夫妻。司会者は、僕のことをジャズ評論家と紹介した。

後で司会者の方に、僕がどうしてジャズ評論家なのかを訊ねた。たまたま、ジャズ・ピアニストのアーク佐野さんのアルバムに、僕がライナーノーツを書いているのを見て、ジャズ評論家と紹介したそうである。

クリスチャンのジャズ愛好家に、ロン長谷川氏がいる。ジャズのLP一万枚も所有しているという。

僕のジャズ歴は17歳の時に、マイルス・デイビスを聴いてジャズにはまった。良いジャズとは、ブルースを感じさせて、スイングするジャズだ。正にマイルスはその典型である。

2016年9月14日水曜日

思い出の『オーシャン・クラブ』

僕が二十代半ばから後半かけて、足繁く通っていた高級ジャズ・クラブ、南(大阪)の『オーシャン・クラブ』。

往時、日本のジャズ・プレーヤーと交流があった。さしずめ古谷充(たかし・アルトサックス)とは意気投合した。古谷さんはジャキー・マクリーンが最初で、その次にチャリー・パーカーにはまったと語っていた。僕と同じである。

笈田敏夫さんは、いつもブランデーを飲んで、遊びながら歌っている感じがした。藤家虹二さん(クラリネット)は、僕のリクエストをよく聞いてくださる。谷けいこさん(ヴォーカル)は、僕とよくデュエットをしてくださった。僕の十八番(おはこ)は、「酒とバラの日々」。

僕がオーシャン・クラブへよく通った理由は、もう一つあった。当時、僕のガール・フレンドが、オーシャン・クラブでホステスをやっていたからだ。

オーシャン・クラブのステージが跳ねてから、午後11時半頃、サパー・クラブ、鮨屋、居酒屋、スナックなどに、ガール・フレンドと一緒に遊びに、飲みに出掛けた。





2016年9月12日月曜日

イエス様に感謝!

ニューポート・ビーチは、僕がかつて一番住みたかった所。二番目がラグナニゲ―ル。ロサンジェルスから車で南へ一時間。一時はアメリカで最も不動産の高い所だと言われた。

手が届かないから、ロサンジェルスから車で北東に45分の所にある、サウザンド・オークスに家を買った。

庭からは、サンタモニカ国立公園の山々が見える。海抜は高くて大気は澄んでいた。ビーチへ15分。車で15分以内所に、ゴルフ・コースが6ヶ所もある。僕は満足だった。

話は変わるが、ミションビエホに従妹の家がある。ジョイは一週間ほど泊っている。同じ年ごろの娘が二人いる。去年(2010)の大晦日の日に、ジョイを迎えに行った。

帰りにコーヒーショプによって、食事をしていくことになった。案内されて席に座ったとたん、僕は喀血をした。

直ちに病院へ急行した。4日間入院をして、検査と肺の洗浄をした。イエス様への祈りと、イエス様の癒しが良く効いた。イエス様に感謝!
 



2016年9月7日水曜日

次のステップ

今月中に緑があふれる街、アーバインへ引っ越しします。
5ベットルームの平屋 リビングルームもファミリールームもかなり広い。
プールもテニスコートもある。
家賃、光熱費、食費全て無料。


イエス様が与えてくださった恵みに、感謝、感謝!

2016年9月3日土曜日

真のリーダーシップ

バブル経済が華やかし頃、日本の国はかつてない好景気に浮き足立っていた。事業が思うように捗り、巨額の利益を手中に収めると、大企業のみならず日本の中小企業までもが、こぞって海外へと進出し始めた。
 
だが、順風満帆に事が運んで過信し始めるようになると、札束で相手の横っ面を引っ叩く卑陋(ひろう)な行為を国際舞台で演じてしまった。
 
バブルが破綻してしまえば、巨額の債務を抱えて会社更生法を申請する企業が続出。終身雇用制度崩壊後の政策は血税の乱用と増税によって、国民の一人びとりに大きな負担が強いられた。以来、平成不況は未だに明確な打開策が協議されないままになっている。
 
かつて国際社会で、日本人は実直な民族であると言われた所以は、日本人は慎ましくて協調性があり、平和主義者であるからだった。ところが、日本人遊学生が海外に多く出没するようになってから、自分の主義主張をはっきりと述べられない不才な国民性であることが分かり始めた。
 
戦後のハングリー精神は目覚しい発展を遂げる原動力となったが、経済第一主義がもたらした莫大な誤算が足かせとなって、今や日本の未来は暗礁に乗り上げたままの状態となっている。
 
日本経済が飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し続けていた80年代半ばから、ぼくは小さな旅行会社を経営していた。一見のビジネスマンから予約が入る事が度々あったが、彼らは皆威風堂々としていて、自信に溢れた声で○○銀行の××だが、○○商事の××だ、と名乗って予約を入れてくる。当方としては宿泊先のホテル名と部屋番号、そしてフルネームと参加者の人数だけで用は足りるのであるが、こちらから伺ってもいないのに必ず会社名を名乗るのである。
 
ツアーに参加してくる日本では一流といわれている企業戦士の大半は、こちらの方から挨拶をしても最後まで一言も喋らないタイプの人と、終始不遜な態度で接してくるタイプの二つに分けられた。
 
同じ時期に、米国に進出しようとしている地方の中堅企業の取締役が、ぼくとコンサルタント契約を結ぶ前の折衝の席で、事業の詳細は後回しにして、次から次へとぼくに名刺をくれるのである。それらの名刺には○○会社の社長、顧問、相談役などの肩書きが添えられてあり、いかに自分は信用があり地位の高い者であるかを、いち早くぼくに知らせるためであった。
 
先ず、自分よりも社会的地位が下であろうと思わしき人間には、最初に威圧しておいて自分に従わせようとするのである。天下の副将軍、水戸光圀よろしく「このご紋が目に入らぬか」とでも言いたいのである。
 
ぼくも名刺の肩書きでは失敗をした苦い経験を持っている。以来、名刺はできるだけシンプルなデザインを愛用することにした。肩書きの羅列やプロファイルをひけらかすことは、むしろ自信の無さを証明しているようなものである。要はその任務に於ける真のエキスパートである事と、謙譲で誠直な人間性である。

聖書にはこのように記されている。
「あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕(しもべ)とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えたのである」(マタイ104445

 あなたも聖書を読んで、真のリーダーシップのあり方を学んでみませんか。

 

2016年9月1日木曜日

                   全身全霊を賭ける

 世界中の子供たちが応募してくる図画コンクールで、金賞を受賞した作品数点を鑑賞した。どの絵画を観ても発想、構図、配色に優れていて度肝を抜かされた。その瞬間、ぼくの体は熱く熾り、血液の色が萌黄色へと変色した。やがて新鮮な感動が、ぼくの体の中を駆け抜けて行くのが分かった。
 
子供たちが描く絵画や詩を鑑賞していると、斬新かつ無尽蔵の感性に目が釘付けになる。詩は言葉の問題があるので、世界規模のコンテストは難しい。その点、音楽や美術の世界は言葉の壁を超越して、お互いの作品を理解し合える。ぼくは子供たちの詩画を鑑賞するのが大好きだ。新しい手法を発見したり、子供離れしているテクニックに驚嘆する。

 ぼくは今、『詩の見方』と題したエッセイを新聞に連載しているが、子供たちの詩を通して学ばされる事が数多とある。純真無垢な児童たちの詩に没頭しながら、可憐なひと時を過ごせることは、ぼくにとって至福の至りであるが、ものを書いていると全く懸け離れた原稿の依頼が、突然、飛び込んで来る。
「日本の雑誌に、日本人を超辛口で批判するニッポン考を書け」、「コラムを差し替えたいので、今から君が書いて一時間後にメールしてくれ」、「ジョージ武井著の、翻訳と出版のプロデユースを頼む」、「カリフォルニアの刑務所の独房で、18年間過ごしている終身刑の詩人の出版を手伝え」、「ハリウッドの俳優と離婚した、元妻であった日本人のゴースト・ライターを引き受けてくれないか」。最後は暴露本だったのでお断りした。

話は変わるが、先日ニューヨークへ出張するべく夜間飛行の便に搭乗したのだが、乗り継ぎの便がエンジントラブルで欠航したために、ラスベガスで足止めを食らった。明日の朝一番の便でニューヨークへ向かっても、マンハッタンに到着したら夕刻を回っている。それでは仕事にはならないので、ぼくは予定を変更して、6時間掛けてグレイハウンドバスに乗ってロサンゼルスに戻ることにした。

バスの出発時刻まで小一時間程あったので、ぼくは近隣のホテルのスナック・バーでホット・ドックを頬張りながら、ピアノの生演奏を聴き入っていた。時刻は平日の午前2時だというのに、カジノには大勢の人だかりが見える。時折、ルーレットのテーブル辺りから、甲高い喚声が上がる。みんな酒を呷り、煙草を吹かしながら、ギャンブルに興じる上気させた顔つきは真剣そのものだ。
そんな光景を目の当たりにしながら、ぼくはつと考えた。ギャンブルで繁栄し続けている不夜城、ラスベガスの街を見て、『菊と刀』を書いたベネディクト風に言えば、真面目なアメリカ人は罪であると感じ、勤勉な日本人であるならば国の恥だと思うところである。

独立宣言書は『旧約聖書の創世記』を前提にして記されている。初代大統領のワシントンは、「賭博は貧欲の子供であり、不正の兄弟であり、不幸の父である」と述べた。

 パスカルは神の存在に賭ける方が、神の非存在に賭けるより、遥かに合理的な選択であるという論理を『パンセ』の中で談じている。これは単に損得だけの論議ではない。精魂を傾けて神に賭けた以上、具体的な実践の手掛かりがつかめて、聖書に啓示された神の言葉を、「絶対なる威光」として受け入れることが出来るのである。


 人生を欲望への賭けとして歩まないで、望んでいる事柄を確信して、まだ見ていない事実を確認する事の出来る、神に称賛される信仰と希望と愛に、全身全霊を賭けようではありませんか。

2016年8月17日水曜日

Prelude in E Minor

昨晩、FMでアスペクト・イン・ジャズを聴いている夢を見た。ジェリー・マリガンの『Prelude in E Minor』が流れて、「皆さん今晩は、油井正一です」

懐かしい夢を見たものだ。昔、FMでよく聞いていた番組だ。僕はジャズが好きだ。ジャズ好きが高じて、アメリカへ来たと言っても過言ではない。

昔、ダウンタウンの南外れに、うす汚いジャズ・クラブがあつた。治安の悪い場所だ。午前2時まで営業していた。

往時、僕はまれに足を運んだ。黒人の客が大半を占める。ドラッグをやっている奴もいる。ある晩、珍しく白人のサックス・プレーヤーが出演していた。

彼は、バリトンに持ち替えると、『Prelude in E Minor』を演奏し始めた。午前145分、ラストの曲であった。


僕はガラスの箱に、チップを入れてこの店を後にした。

2016年8月15日月曜日

エンジェル

2010年の大晦日に、喀血して入院をした。元日の朝、目を覚ますと僕のベッドの傍らに、看護士が立っていた。開口一番、看護士は囁いた「あなたと同じ所に傷があるのです。」

彼女と僕は、左側の耳元から首筋にかけて喉元まで、25センチの傷がある。看護士が言うのには、私も長いこと看護士をやっているけれど、私と全く同じ場所に傷があるのは初めてだ。

彼女は7年前に、僕は3ヶ月前に手術をした。しかも、執刀医が同じである。「あなたはクリスチャンですか?」と、彼女は僕に聞いた。僕が「イエス」と答えると、彼女は感激のあまり涙を流して僕のために祈ってくれた。「私のためにも祈ってくれますか?」。僕たちは手をとりあって共に祈った。

僕は「あなたはエンジェルですね」
「いいえ、私はエンジェルではありません。あなたが(私にとって)エンジェルです」
 
神様は心の不安な時に、エンジェルを送って慰めてくれる。生涯忘れることのできない新年を迎えることができました。

ふたりの出術の傷あとは、Jの形。JesusJ



2016年7月27日水曜日

カーメンの風

エリック・ドルフィーのバスクラリネットを聴きながら、この記事を書いている。クラシックではありません。ジャズである。

“When you hear music, after it’s over, it’s gone in the air. You can never capture it again”
音楽を聴き終わった後、それは虚空に消えてしまい。二度と捕まえることは出来ない。
アルバム『ラスト・デイト』に収められた、ドルフィーの言葉だ。

オーネット・コールマンとエリック・ドルフィーのフリージャズを、僕は若い頃によく聴いている。現代詩を作るのに、モチベーションを高めてくれるからだ。

いつだったか、雨が降るエアポート・ヒルトン・ホテルの駐車場で、友達と待ち合わせをしている時、車の中でジャズを聴いている折に、突然、アナウンサーがカーメン・マクレエの追悼番組に切り替えましょうと言った。

僕はカーメン・マクレエの訃報に驚いた。彼女は親日家であった。少し遅れるフレージングや、ハスキーボイスを生かしたバラードが得意であった。

僕は、そぼ降る雨の中、カーメンの歌声を聴きながら、黙とうをささげた。そしてカーメンの風を感じた。

この稿を書き終えた後で、カーメン・マクレエのCDを聴いた。僕は一言発した。しびれる~~! 




2016年7月11日月曜日

キリスト様の癒やしと愛

なんでやねん なんでやねん
医師団に死の宣告をされたと言うのに

とても元気やねんで
顔色も良くて 食欲旺盛で快眠快便

肺に大きな穴が開いていたのに、空気もれがなくなった。奇跡です。
酸素を外した。これも奇跡です。

一人でも歩けるようになった。万歳!

いずれも、ホスピスケアのナースの指示に従っている。
ナースも驚き!


キリスト様の癒やしと愛 アーメン!

2016年7月6日水曜日

キング・オブ・ベスト

僕の人生は失敗の連続であった。原因は分かっている。油断、怠慢、努力せず。

50十代半ばでストロークになって、おまけに末期癌。闘病生活が続く毎日だ。一日中家にいるので、時間がたっぷりある。僕は考える。あの失敗がなかたら、更に大きな失敗をしていただろう。

僕が成功していたら、謙遜を装い、傲慢な人間になっていただろう。失敗もベスト、病気もベスト、落選もベスト。

アメリカへ渡って、イエス様と巡り会えたのだから、これはキング・オブ・ベスト。イエス様にベストの道を導いただく。これほどベストな物はない。

御心のままに導いてください。イエス様。


「試練なり病気失敗主の恵み」

2016年6月22日水曜日

良きバブルの時代

僕はバブル期に、小さな旅行会社を営んでいた。主にツアー業務の仕事だ。個人でLAに来たビジネスマン、もしくは旅行者が対象であった。

僕はキャデラックのリムジンの運転をして、客の要望にこたえるのだ。ある日、日本の不動産屋が、ホテルのフロントを通して予約を入れてきた。

40代後半の男性で、もみあげは長く、背の低いでっぷりとした体躯であった。LAまで、クイーン・エリザベス二世号に乗船してきたという。

僕は市内観光に、不動産屋を案内した。夕刻になって、不動産屋は船の中では、ヨコメシばかりで飽きたので、LAで一番美味しくて、高級な料理屋に案内しろと言われた。

僕はリトル東京の『堀川』の中にある、『料亭堀川』に案内した。僕も一緒に食べた。会計は1,500ドル。

不動産屋をホテルまで送り届けた。リムジンの請求額が550ドル。不動産屋は1,000ドルを差し出すと、「チィプだ、取っておけ」と言った。おまけに近くの貴金属店で、5,000ドルもするローレックスの腕時計を、強引にプレゼントされた。

まだまだバブル全盛期には、景気の良い客がいた。

一例をあげると韓国人の財閥の会長が、僕の会社を利用した。大層サービスが気に入ったらしく、お礼にと、韓国へ遊びに来いと言われた。


コリアン・エアーのファースト・クラスのエアー・チケット2枚と、ロッテ・ホテルのスイート・ルーム4泊(食事つき)をプレゼントされた。

2016年6月20日月曜日

エッセイ

ご心配をかけました。僕は元気です。毎日が楽しいです。

食欲も旺盛です。あと、二十年は生きます。

2016年5月25日水曜日

ジャズとカクテル

10年前、僕の家でよく作るカクテルに、ウオッカとトマト・ジュースをベースにしたブラディー・マリーがある。日本語に訳すと、血だらけのマリーさんと言うことになる。従って、トマト・ジュースだけならば、バージン・マリーとなる。

僕はかつて、ウオッカとジンジャエールをミックスしたカクテル、モスコミュールをナイトキャプにしていたことがある。バラードのジャズを聴きながら、やがて眠りに就く。

僕はジャズが好きだ。サックスの入ったカルテットが最も好きである。僕の詩に『赤いブルー』と言うのがある。ジャズ・ピアニストのアーク佐野さんに見せたら、この詩を読んで、イメージを膨らませて作曲してくださった。

曲名は『レッドブルー』。燻銀のバラードに仕上がった。アーク佐野さんのファースト・アルバムに収録されている。風呂上がりに、ジャズを聴きながらカクテルを飲む、これが僕のリラックス術だ。

「ジャズを聴きカクテルを飲む夜長かな」



2016年5月23日月曜日

子供の頃に、祖母の手に引かれて縁日によく行った。一休みする所は関東煮(おでん)屋。
僕は何時も、コロ(鯨の皮を煎り、脂肪をぬいて乾燥させたもの)を食べたいと思っていた。

大きくなって念願がかなって、おでんのコロを食べた。ものすごく美味かった。暫くして大阪、道頓堀の『たこ梅』(当時は、おでん専門店)で、さえずり(クジラの舌)を食べた。コロよりも美味しかった。でも、値段が高かった。兄と二人で、おでんを食べて飲んで、37年前に10,000円。

35歳位の頃、大阪の日本橋でハリハリ(くじら)鍋を食べた。鯨肉と水菜と昆布の出し汁のオラトリオが、絶妙にマッチしていて、こたえられない味に仕上がっていた。

尾の身(鯨の背びれから尾の付け根までの肉)は酒の肴としては最高であるが、僕が渡米前に、母が買ってきてくれた尾の身刺身を、ショウガ醤油をつけて賞味した。天にも昇る思いで味わったのを、未だに覚えている。

昔の給食は肉と言えば鯨であった。主に日本とノルウェー以外の国は鯨を食べない。アメリカで鯨を食べさせてくれるレストランは皆無だ。僕は鯨を食べたいと、思いは募るばかり。








2016年5月16日月曜日

牛肉

子供の頃わが家では、ご馳走といえばすき焼きであった。昨今の日本人は、すき焼きをあまり食べていないように思う。その代わり、焼き肉(ホルモン焼き)を食べるようになった。

霜降り和牛を食してみて味覚を称揚するときに、まず、第一声が柔らかい。もしくはジューシー。その後に、美味しいあるいはウマイと続く。

どうやら日本人のほとんどが、舌の上でとろけるような柔らかい牛肉が美味しいものだと思っているらしい。脂質は旨味成分であるので、霜降りにして赤身肉と一体になることは、柔らかくて美味しい牛肉になることである。

けれども、良質の赤身肉を分厚く切って焼き方に工夫を凝らすと、歯応えのある牛肉本来の旨味と、野趣に富んだ肉汁のコクが味わえる。

「但馬牛」の名称は、兵庫県北部で生産された牛に対する呼称。「但馬牛」の中でもさらに選りすぐった上質のもののみが、和牛の誉れとして名高い「神戸ビーフ」だ。日本で一番厳しい認定基準を持つ。

「但馬牛」の資質と肉質が非常に良いため、三重県の「松阪牛」と滋賀県の「近江牛」の素牛となっている。

また、「但馬牛」の血統を継ぐ牛は、宮城県の「仙台牛」、岐阜県の「飛騨牛」、佐賀県の「佐賀牛」である。

独断的な味覚順位によると、ナンバーワンは「神戸ビーフ」(兵庫県)。二位、「米沢牛」(山形県)、三位、「飛騨牛」(岐阜県)四位、「佐賀牛」(佐賀県)、五位、「宮崎牛」(宮崎県)。番外として大阪府の幻の牛肉「羽曳野牛」。

十五年前に訪日した際、大阪コリアタウン鶴橋の『鶴一』で焼き肉を食した。学生時代に一度訪れた店である。

数日後、三ノ宮(神戸)の焼き肉店『石田屋』へ赴いたところ、『鶴一』とは雲泥の差に吃驚してしまったのである。さすが「神戸ビーフ」、味の差は歴然としている。背トロのあぶりを味わっている食感であった。



2016年5月10日火曜日

二流国への大門

アメリカに移民して来た者は、ドイツ人であれば教会を建て、イタリヤ人は酒場作り、日本人は学校を建てる。そのように語っているのは帰米二世の作家、山城正雄さんである。日本人は学校を建てるというのは、日本語学校のことだ。

ミツワのフードコートで、7年前に耳にした事である。アラフォーの女性が二人で話をしていた。僕は話を聞くつもりはなかったが、自然と話の内容が聞こえて来た。

「うちの子供たちは、国際人に育ってもらいたいから、英語だけを喋れたらいいわ」
即ち、日本語は必要ないと言うのである。

巷でも、教会の子供を持つ親の間でも、アメリカは英語で勝負、日本語など必要はありません。と言う意見が多数であった。

僕はがっかりとした。世界中どこの国でも、母国語を疎かにしている国は無い。近頃の日本人は、日本人のプライドを捨てたコンプレックスの塊だ。

現地の日本語学校に、僕は苦言を呈す。先ず、日本語を習得する意義について、保護者と児童を交えて、徹底的に話し合うことである。現地の日本語学校は厳しさが足りない。(厳しくすると生徒が学校を辞める。学校の運営が成り立たない。)

ある日本語学校は、デイケアー・センターと変わらない学校がある。授業中に騒いでも先生が止めきれられない。日本人の学力低下は、正しく二流国への大門だ!