2012年2月17日金曜日

歌人西行

花あれば西行の日とおもふべし(角川源義)

王朝時代の末期(1140年頃)に、皇族の警護をする武士であった佐藤義清(西行)は、23歳の時に出家して仏教と和歌の道に精進した。花鳥風月に魅せられて全国を行脚した西行は、流浪の民となって叙情的歌風を極めていく。
うかれ出づる
心は身にも
かなはねば
いかなりとても
いかにかはせむ
 
著名な独文学者でもある作家の中野孝次さんは、これは西行が自問自答しているような、屈折した、ごつごつした感じの歌であると解説している。
 
「うかれ出づる」は、西行の愛用した語で、花、川、旅に魅せられて、そちらへと心が抜け出ることを大意しているらしい。
 
中野孝次さんは西行を称して、生きていることがすなわち歌になった人であり、自分の心に向かって、われとは何かを問い続けた人であると言う。
 
西行を小説の主人公にする勇気はない。と語ったのは井上靖さんである。出家する動機がつかめないからだ。

西行には不明な部分が多いので、憶測を芽生えさせながら和歌に親しんでいると、新古今の『幽玄』美を超越した、悠久の西行の心とだけ対峙することができる。

桜前線が河内(大阪府・西行入滅の地)の里に差し掛かる時節、『山家集』を小脇に挟んで、今年こそ千本桜で名高い吉野山へ足を延ばしてみたい。

頂きの奥の千本には、吉野山の桜を愛した西行法師が、4年間にわたって住んだわびの旧跡がある。

2月16日は西行忌。 鮨あれば雅之の日と思うべし(賛美)。賛美は僕の俳号。

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