2011年10月7日金曜日

独断と偏見のノーベル文学賞考

ノーベル文学賞の選考委員会は、傲慢でかつ気位が高い。文学のブの字も解らない連中が、ノーベル文学賞選考を、権威の名の下で執り仕切っている。文学賞は廃止してはどうかという案も、過去に幾度か協議されている。

問題の焦点は翻訳にある。ノーベル文学賞の作品は、全て英語で書かなければならない。本来、海賊の言葉である英語が、世界の文学の表現、語彙、慣用法、一個人の語法等、英語に翻訳すること事態に無理が生じる。

ノーベル文学賞を受賞した川端康成の『伊豆の踊子』は、イズ・ダンサー。『雪国』はスノー・カントリー。これでは白けてしまう。

井伏鱒二、谷崎順三郎、西脇順三郎、三島由紀夫がノーベル賞を逃したのは、翻訳の問題と指摘する声もある。ノーベル文学賞を受賞するには、根回しが必要である。お金も入用だ。

根回しを行ったのは過去に2人だけ、三島由紀夫と村上春樹。三島は失敗に終わっている。村上の差し回しの方法は実に巧妙だ。

何故、大江健三郎が受賞して、安部公房が受賞しなかったのか、それは、往時のノーベル文学賞の選考委員が、世界文学のブの字も知らなかったからだ。

大江健三郎は小説家と言うよりは、学者か哲学者みたいな文体だ。僕はノーベル賞に、文学は不要だと思う。

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