2011年10月18日火曜日

ポエム・サロン再び

北加から来られた詩誌『短調』の主宰者、若林道枝さんとリトル東京でお会いした。その日、集まった『短調』の同人9人と歓談の後、ミヤコ・ホテルのレストランで会食をした。

みんなで歓談の最中、若林さんが僕に思いのたけを打ち明けた。僕は病気で倒れるまで、『羅府新報』紙上で、詩の投稿欄「ポエム・サロン」の選者を担当していた。

若林さん曰く、ポエム・サロンに投稿するのが待ち遠しかった。講評を読むのが楽しみでした。詩の投稿欄のようなものをもう一度。プレッシャーをお掛けしてはいけないと思い。若林さんが口火を切られると、皆さんが異口同音に同調されていた。

僕は会食の途中で、若林さんの発言を思い出した。僕はみんなの前で、媒体は違っても詩の投稿欄は、必ず作りますよと告げた。

こんなにも、みんなが楽しみに励みにしてくれた「ポエム・サロン」の灯を、決して無駄にしてはいけないと思ったからだ。ともあれ、最も励みになっているのは、この僕である。

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