2011年9月16日金曜日

車輪  高見 順

日当たりのいい
しあわせな場所で
車輪が赤く錆びて行く
小さい実がまだ熟さないまま枝から落ちたがっている
球根はますます埋没したがっている

晩年の高見 順は食道癌と闘い、五十八歳の生涯を閉じている。詩集『死の淵より』には、死と対峙する高見の絶叫が幾多にも刻まれているが、その中から、わずか五行の「車輪」を選んだのには事情がある。

この短い一篇の詩を読んでみた所で、全てが把握できるものではないが、散文的な高見の詩を読んでいくうちに、いつしか「車輪」に心が惹かれたのである。即ち、詩集『死の淵から』を味読後、「車輪」は非常に完成度の高い口語詩であり、自由詩であるとの結論に達したからである。

まず、無駄な語句が一切ないこと、そして文体には行間が存在しないにもかかわらず、この詩には「間」が宿っている。かつ、散文調の流れの中に、定型詩の色香が凛々と漂っている。

「車輪」は、死へのあこがれであるとか、死に追いつめられた者の心象であると、故意に決めつけてはならない。なおさら万物すべてが死に直面しているという、死への憧憬を示唆する死の淵にあって、高見は、「車輪」を巧みに超越させた詩へと完成させている。

この「車輪」の手法をして、詩人の着眼点に浸りながらも、死の淵で流浪する高見 順の心痛の唸り声を、読者は鋭敏な感性をもって、海よりも深く味わわなければならない。

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