2011年9月5日月曜日

言葉について


近来、言葉の「乱れ」を指摘する声をよく聞くが、言語学の見解によると言葉の「変化」であると明言している。言葉はいつの時代においても、その時代に応じて変じていくものだ。その魁となるのが若者言葉であろう。
 
メディア・ミックスは日進月歩だが、ブロードバンドの時代を迎えて更に加速は早まり、言葉の「変化」にも益々影響を及ぼすこと必至である。
 
例えば、スポーツ競技の番組で、実況担当のアナウンサーが「この試合は〇〇選手の独壇場(どくだんじょう)です」と、解説することがある。
 
正しくは独擅場(どくせんじょう)と言うべきである。「擅」(せん)を「壇」(だん)と思い込んだまま、アナウンサーは「独壇場」を連呼してしまったので、たちまちその表現は日本全国に広まってしまった。
 
このことがきっかけとなって、現在では間違った「独壇場」の方を、新聞や各放送局が採用している。これこそが言葉の「変化」ではなく、言葉の「乱れ」というものではないのか。
 
今後も、大量伝達可能な大衆媒体が、言葉に大きな影響を及ぼし続けるだろう。そして、影響を与えるのは言葉だけではない。
 
先般、リトル東京にある二宮金次郎の銅像の前で、日本人観光客らしき若者数名が写真を撮っていた。カメラに向かって皆がブイサインをしているのかと思い、目を凝らして彼らの手許を見ると、全員が中指を立てて笑っていた。日本のナンセンス娯楽番組の反応である。
 
古来より言葉は変化し続けてきた。昨今の言葉が乱れていると言われる所以は、新しく生まれる若者言葉が、年々粗暴になってきているからであろう。それほど現代の若者の心は混乱しているのだ。

言葉が変化していくことは、止むを得ない。けれども言葉は自分自身の心の表現である。思いやりのある言葉遣いは、豊潤な心の中に芽生える。
 
果たして日本の国は、本当に豊かになったのであろうか。(20046月)

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