2012年5月15日火曜日

日本語

外山滋比古さんの著書、『わが子に伝える/絶対語感』の目次に、「おとぎ話は夜、暗がりのなかで」という項目がある。
暗いと本を読んであげられない、などと思ってはならない。

僕はジョイが幼い頃、毎夜ベッドの傍らで、昔話や童話を即興で仕立て上げて、語り聞かせるのが好きでした。

暗闇の中で、集中力を高めつつ想像力を膨らませてみると、自分でも一驚するような物語が完成していることがある。

『金太郎』、『赤頭巾ちゃん』、『白雪姫』など、子供から前以てリクエストされることがあっても、夜の語り聞かせだけは筋書きどおりに噺は進行しない。

時折、空覚えしているグリムやイソップの会心のフレーズを挿入することがある。「木々の木の葉が一枚のこらず舌であるとしても、わたしのこのおもいを語りつくすことはできまい」、即興の童話をこのように結んだら、子供は眠ってしまっていて、江美子が大層感動してくれたことがある。実はグリムの受け売りなのだ。

先般、ショッピング・センターのフードコートで、小学生の子供が二人いるらしい母親の話し声を耳に挟んだ。「子供たちは国際人なので、英語がしっかりと身につけば、日本語は解らなくてもいいわ」

なるほど、このような考え方もあるのだ。その点、中国系、フランス系の人々は、母国語に誇りを持っている。また、自国の言葉を愛していることにおいては、メキシコ人でもロシア人でもブラジル人でも同じである。

外山滋比古さんは同著の中で、「英語の早期教育より、きちんとした母国語」を身につけるように警鐘を鳴らしている。

英語の能力が発展途上にある日本人には、どうも英語に対するコンプレックスがつきまとう。従って「英会話」の三文字が日本全国に氾濫してしまった。
美しい日本語で子供と語り合えることは、何と至福なことか。いつか朗読会のようなものを、定期的に開催できたならばと、思いを募らせている。



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