2016年9月3日土曜日

真のリーダーシップ

バブル経済が華やかし頃、日本の国はかつてない好景気に浮き足立っていた。事業が思うように捗り、巨額の利益を手中に収めると、大企業のみならず日本の中小企業までもが、こぞって海外へと進出し始めた。
 
だが、順風満帆に事が運んで過信し始めるようになると、札束で相手の横っ面を引っ叩く卑陋(ひろう)な行為を国際舞台で演じてしまった。
 
バブルが破綻してしまえば、巨額の債務を抱えて会社更生法を申請する企業が続出。終身雇用制度崩壊後の政策は血税の乱用と増税によって、国民の一人びとりに大きな負担が強いられた。以来、平成不況は未だに明確な打開策が協議されないままになっている。
 
かつて国際社会で、日本人は実直な民族であると言われた所以は、日本人は慎ましくて協調性があり、平和主義者であるからだった。ところが、日本人遊学生が海外に多く出没するようになってから、自分の主義主張をはっきりと述べられない不才な国民性であることが分かり始めた。
 
戦後のハングリー精神は目覚しい発展を遂げる原動力となったが、経済第一主義がもたらした莫大な誤算が足かせとなって、今や日本の未来は暗礁に乗り上げたままの状態となっている。
 
日本経済が飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し続けていた80年代半ばから、ぼくは小さな旅行会社を経営していた。一見のビジネスマンから予約が入る事が度々あったが、彼らは皆威風堂々としていて、自信に溢れた声で○○銀行の××だが、○○商事の××だ、と名乗って予約を入れてくる。当方としては宿泊先のホテル名と部屋番号、そしてフルネームと参加者の人数だけで用は足りるのであるが、こちらから伺ってもいないのに必ず会社名を名乗るのである。
 
ツアーに参加してくる日本では一流といわれている企業戦士の大半は、こちらの方から挨拶をしても最後まで一言も喋らないタイプの人と、終始不遜な態度で接してくるタイプの二つに分けられた。
 
同じ時期に、米国に進出しようとしている地方の中堅企業の取締役が、ぼくとコンサルタント契約を結ぶ前の折衝の席で、事業の詳細は後回しにして、次から次へとぼくに名刺をくれるのである。それらの名刺には○○会社の社長、顧問、相談役などの肩書きが添えられてあり、いかに自分は信用があり地位の高い者であるかを、いち早くぼくに知らせるためであった。
 
先ず、自分よりも社会的地位が下であろうと思わしき人間には、最初に威圧しておいて自分に従わせようとするのである。天下の副将軍、水戸光圀よろしく「このご紋が目に入らぬか」とでも言いたいのである。
 
ぼくも名刺の肩書きでは失敗をした苦い経験を持っている。以来、名刺はできるだけシンプルなデザインを愛用することにした。肩書きの羅列やプロファイルをひけらかすことは、むしろ自信の無さを証明しているようなものである。要はその任務に於ける真のエキスパートである事と、謙譲で誠直な人間性である。

聖書にはこのように記されている。
「あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕(しもべ)とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えたのである」(マタイ104445

 あなたも聖書を読んで、真のリーダーシップのあり方を学んでみませんか。

 

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