2014年12月9日火曜日

ノリちゃんのこと

昔、隣に住んでいたノリちゃんのことを思い出した。彼女はぼくよりも二つ年上であった。性格が非常におっとりとしていたせいか、ぼくとよく気が合った。幼稚園から帰ると、いつも二人で遊んでいた。
 
小学校三年生になる前に、ノリちゃんは遠くへ引っ越して行くことをぼくに打ち明けた。桜の花が咲きはじめて、いつしかノリちゃんの姿が見えなくなってしまった。空き家になっている隣の家を眺めながら、祖母が呟いた。
「かわいそうに、ノリちゃんは貰われていったんだよ・・・ 」
 ノリちゃんのお母さんは、彼女を出産してから、しばらくして亡くなった。ノリちゃんは三人姉妹の末っ子で、お父さんと四人家族で暮らしていた。

 祖母と一緒に庭にいると、祖母は隣の空き家を見ては、
「かわいそうに、ノリちゃんは貰われていったんだよ・・・ 」
 と、呟くので、ぼくは祖母を厭うた。それから、子供心にノリちゃんのことを不便(ふびん)に思うようになった。ぼくはいつとなく庭の塀の近くにそばだつ、大きな泰山木の木陰に佇み一人で泣いた。

 ある晩、夜になると、隣の空き家に幽霊が出るといって姉たちが騒ぎ出した。二階の窓に、人影のようなものが映ったといって引かない。目を凝らして見ていると、その影が映ってはまた消える、のだそうだ。ぼくは姉たちの幽霊騒動を、しばらく傍観する夜が続いた。

 先日、ぼくはノリちゃんと42年ぶりに邂逅した。本物のノリちゃんではない。もしも、今、ノリちゃんと出会ったら、多分この女性のような顔と体形をしているのではないだろうかと思わせる人物を、パサデナのノートンサイモン美術館で見かけた。

 その女性は、モディリアーニの『首の長い女』の絵の前で立ち止まったまま、動こうとはしない。ぼくもその絵を鑑賞したかったのであるが、その絵を鑑賞している肉づきのよい、首の短い丸顔の女性の後ろ姿を、少し離れた場所から眺めていた。

 その女性は、特に目許がノリちゃんとよく似ている。通路ですれ違った折に、ぼくはそう思った。

帰り際に、ブック・ストアーに立ち寄って絵葉書を購入している時であった。
「あなたはひょっとして、かつてお隣に住んでいたマーちゃんではないでしょうか」
 背後から声をかけられた。ぼくは振り返って女の顔を見て狼狽した。
(まさか、このおばさん、本物のノリちゃん? )
 本物であったノリちゃんは話を続けた。
「帰る前にもう一度、モディリアーニの絵を見ようと思って引き返した際に、あなたが絵の前に立っていたのです。あなたの姿を見て、わたしはとっさに閃いたのです。肉づきがよくて、首が短い丸顔の・・・ 子供の頃に隣に住んでいたマーちゃんに間違いがないと。あなたと通路ですれ違った折に、確信いたしましたわ」
 ぼくは心の中で、
(子供の頃は痩せていたんだけど! )
と叫んでいた。

 わずかな窓の隙間から、忍び込んできた南カリフォルニアの朔風が、ぼくの頬を撫でたので目が覚めた。美術館の駐車場に停めた自動車の中で、ぼくはすっかり、眠りこけてしまっていたのだ。

 子供の頃から、ぼくはノリちゃんのことを案じてばかりいたが、存外、大金持ちの養父母にかわいがられて育ち、結婚をして幸せな家庭を築いているのかもしれない。それから幾日かが経って、ぼくは夢のつづきを見た。

 聖日の礼拝堂で、ぼくとノリちゃんは幼い頃の姿のままで一緒に座っている。牧師が説教を始めた。
「まず神の国と神の義とを追い求めなさい。あすのことを思いわずらうな」

 ノリちゃんの顔が、嬉々として光っている。今度は、ノリちゃんの表情が美術館で会った中年太りのおばさんの顔になった。その丸い顔は底抜けに明るく輝いていた。


0 件のコメント:

コメントを投稿