2016年5月2日月曜日

大病

クリスチャンの信仰がありながら、大病をするのが解らないと、或る知人から言われた。僕も信仰を持ちながら、大病をするまでは解らなかった。

判ったのは最近のことである。それは主なる神様、イエス・キリストに近づくためにある。感謝の思いがあふれるために、長く生きながなえることは問題じゃない。信仰を持ってさえすれば、何も恐れることは無い。永遠の命を神様が保障してくださる。

「このよに、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終わることはない。なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」(ローマ515



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