2014年3月31日月曜日

ビバリーヒルズ            



新鮮な海の幸と鮨は、日本の方が廉価で美味い。バブル期の円安のころは、珍しさも手伝って、西海岸の鮨は安価で美味しいと評判を呼んだ。

 バブルが弾けてから、円高が進み次第に魚介類も高騰した。ビバリーヒルズあたりの高級スシバーに赴くと、それなりに飲み食いして、二人で一一五〇ドルも支払ったという知人がいた。飲食店に限らず、ビバリーヒルズ界隈にはセレブ御用達の店が多い。

一九八〇年代初頭、僕はビバリーヒルズのお屋敷に居候していた。昼間は華僑の御曹司と組んで、ダウンタウンLAのカリフォルニア・マートで、婦人衣料と雑貨の輸入卸販売に携わっていた。

 ビバリーヒルズの屋敷には、午後五時までには帰宅しなければならない。毎晩、夕餉の支度の助手を務めていたからだ。また、月に二度か三度の割合で、週末にはパーティーで大忙しとなる。

 ミセスから「今度の昼食会には、天ぷらを作ってもらいたいわ」と、僕に要望があった。

 土曜日の午後、プールサイドで昼食会は始まった。来賓は、元最高裁判事のチーャチ夫妻、女優エリザベス・テーラーと彼女のボーイフレンド、映画プロデューサーのペン夫妻。

 屋敷のオーナーであるフィリップ・オニールは、元ハリウッド映画の制作に従事していた。

 僕はエビとカキ揚げの天ぷらをメインに、幾つかの野菜も順番に揚げていった。天つゆの他に、味塩と塩に抹茶を混ぜた物を用意した。意外にも抹茶塩が好評であった。また、椎茸(しいたけ)の天ぷらも好評を博した。

 僕は学生時代に、大衆食堂の調理場でアルバイトの経験があるので、天ぷらを中心に揚げ物が得意であった。

 ある昼下がりに、一人で屋敷にいるとき、誤ってアラームを鳴らしてしまった。どうにかならないのかと慌てている際に、一分も経たないうちに警官が現れた。ドアを開けるとパトロールカーが四台も集結していた。その速さに、僕は舌を巻いたのである。

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