2013年6月10日月曜日

桂冠詩人




二〇〇〇代の初め、ロサンゼルス・タイムス読んでいたら、日本の新興宗教団体の会長が、ロサンゼルス市議会から、名誉桂冠詩人の称号を贈られたと、大きく報じられていた。僕は大きな活字で組まれた名誉桂冠詩人の見出しを見て、関係者には申し訳ないが苦笑してしまったのである。

元来、桂冠詩人というのは、古代ギリシアで名誉ある詩人の頭に月桂樹の冠を授与したことが起源である。従って「名誉桂冠詩人」となれば名誉が重複してしまう。

現代ではイギリス王室に慶弔の儀式に際して、詩作する桂冠詩人がひとり任命される。本来は第一人者が登用されるべきであるが、どういう訳か二流の詩人たちが歴代の名を連ねている。また、トマス・グレイのように卓越した詩人は桂冠詩人になることを拒んでいる。

言うまでもなく名誉や権力に心が奪われるようでは、本物の詩人には成り得ないということである。贈る方も授与された側も、またそれを報道する機関も、詩というものに対しての純粋さが欠落してしまうと、とんだ茶番劇に終わってしまう。

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