2015年8月31日月曜日

七月三十一日の手術 -証に代えて-   

ラディエーション加療後、転移した右胸の骨癌腫がむき出しになり出血が止まらないので、この度手術を施した。

執刀医からは、三十分から一時間ていどで終わる簡単な手術だと事前に説明を受けていた。ところがメスを入れてみると、肺に穴が開いていて止めどもなく出血しているので大手術となった。

術後から二日目。肺には、まだチューブが差し込まれているので、肉体に激痛がみなぎる。身体中に絡みつく各種医療機器のコードのために、右半身麻痺で身動きがとれない。つらくてうめいて、諸々のストレスがない交ぜになっていた。そのとき、突として意識を失ってしまった。

 モニターの数値は下がる一方で、傍らにいた家人は直ぐにナースに知らせてから、彼女自身も廊下に出て「エマージェンシー!」と叫んだ。直ぐに館内放送が流れて、二十人くらいのドクターとナースが集まったという。

ドクターたちの賢明な処置により、約三十分後に、徐々に意識が戻り始めた。吾輩は黄泉(さんず)の川を渡りかけていたのだ。

 退院後の翌日に、また出血が止まらなくなり病院のエマージェンシーへ駆け込んだ。再び入院する羽目になる。

 リカバリールームでは、ドクターの粗療法が始まった。麻酔をかけないで傷口のところから、ドロドロした黒ずんだ血液を絞りだした。その痛さときたら筆舌に尽くしがたい、絶叫と悲鳴を伴っていた。

 一般病棟に移ってからは、毎日種類の違う抗生物質の点滴をしてもらった。どうやら手術中に院内感染に罹り、インフェクションを起こしたらしい。

 退院後も、しばらくは体調不良と食欲不振が続いていた。大きな手術を何度も受けてきたが、この度の手術は、ほとほと憔悴(しょうすい)しきってしまった。もう一度手術があれば、生き抜いていく自信がない。吾輩は柔弱に陥ってしまったのである。

しばらくして、静寂の彼方で祈っていると心づかされた。聖霊が吾がうちに宿っている。吾輩は三位一体の神の慈愛の下に、生かされていたのだ。


闘病は神の恵みであろうかと想う昨今です。健常で経済的にも余裕がある生活を続けていたら、やりたい放題で罪を犯して高慢になります。

長期に亘り悪疾が続けば信仰は深まり、謙虚な気持ちに導かれて、罪は最小限に抑えることができます。

この世で生きていられるのも、せいぜい百年余り。地上で健康で楽しく暮らせるよりも、天に宝を積み上げておいて、永遠の命を得る方が主の喜びは増すと想うのです。

僕も人間ですから、健康で人生を謳歌している者を見るとうらやましく映るのです。これも人間の性なのでしょう。

僕は三位一体の神様の愛と恵みひたり、この上なく幸福です。

六年前に詠んだ句をもう一度記します。「癌病みて 神の計画に 喝采」

最近の一行詩。「末期癌になっても、恋女房がいてくれる幸せ」

まさしく主は愛なりなのです。


0 件のコメント:

コメントを投稿