2013年10月21日月曜日

謙遜を身につけなさい



ある日本の大学事務局長から、元駐日大使の○○○氏にお会いしたいので、何とか連絡を取っていただけないだろうかと相談を受けたことがある。当時はコンサルタントの仕事も引き受けていたので、ありとあらゆる内々の相談が持ち込まれていた。

僕は知り合いの外務省の人間を通して、元駐日大使の自宅の電話番号を入手した。依頼人の大学事務局長は、元駐日大使とは一面識もない。大学の将来のことについて、話を聞いていただきたいというのである。本当は何か核心に触れる話があるだろうに、どうやら依頼人は僕には話したくないらしい。

僕は一体、どのようにアプローチすべきかと、しばし考え込んだ。とにかく懇(ねんご)ろな言葉使いで、元駐日大使の自宅に電話をかけた。そして話しをした。僕はまず身分を明かしてから、依頼人の趣意について説明をした。元駐日大使は十分ほど、ぼくの話を聞いてくださった。それから、穏やかな口調で二、三の質問を僕に投げられた。

結局、元駐日大使は、マンハッタンのエセックス・ホテルのロビーで、お会いしてくれることを承諾してくださった。

それから四、五日経過して、元駐日大使から電話がかかってきた。約束した日が、都合が悪くなったというのである。変更は可能かというので、ぼくは勿論ですと答えた。それで話しは終わるものと思っていた。

ところが、元駐日大使は少し暗い重たい声で、「じつは」と、改まった。

「娘が離婚することになったので、会ってやらなければならないのです」
 元駐日大使はそう言ってから、一気に身の上話をし始めた。僕は話を伺いながらも、あまりプライベートなことには、首を突っ込みたくなかった。けれども元駐日大使は、そんなことはお構いなしにどんどん話しを続けられる。

まだ面識のない僕にどうして? 日本の高級官僚はもとより、日本人ではこういうことは考えられないことである。いや、一般のアメリカ人であっても同じだ。

元駐日大使は、夕べは一睡もしていないと、僕に打ち明けた。そして幽かなため息が受話器の向こうから聞こえてきた。お嬢さんの傷心を癒すのに、ずいぶん苦慮している様子であった。

電話で三十分も話しをしたであろうか、元駐日大使の、たおやいだ声を聞いていると、いつの間にか緊張していたぼくの気持ちが和んでいた。このような方が、日米の架け橋となってくださっていたのかと思うと、ぼくは非常に欣幸であった。

まったく別件になるが、やはりコンサルタント関係の仕事で、クライアントを連れて、ホノルルのホテルで、日本人の外交官とミーティングのセットアップをしたことがある。こちらが外交官にお願いをする立場であった。

外交官はじつに気位の高い方であった。おまけに腰も高い。口調は終始一貫して歯に衣着せぬものの言い方で、最初から交渉の風向きが悪かった。

外交官の冷たい表情は、お世辞にもフレンドリーとは言いがたい。外交官の顔には、私は日本の最高学府を卒業した超エリートだぞ、と大きく書いてある。話を真剣に聞いてもらいたかったら、それなりの接待をしろよと言わんばかりに、胸を張って座っている。何を言っても外交官に反論されてしまうので、二人のクライアントは、たじたじの態(てい)であった。

何も比べるわけにはいかないが、僕は外交官の人柄が対照的であると思った。「実るほど頭の下がる稲穂かな」とは、元駐日大使のことである。

みなお互いに謙遜を身につけなさい。神は高ぶるものをしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである(ペテロ1:5・5)

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