2015年11月9日月曜日

羅府新報社 南加キリスト教会連合  神の摂理

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(ローマ人への手紙八:二十八)

この御言葉は、トルストイ作の『イワンのバカ』のモティーフとなった。「神は万事を益となるようにして下さる」。この聖句を信じたイワンは、この世の賢さが次々に敗退していく中で、イワンだけは運命論や宿命論をくつがえす勢いで、決して屈しなかった。

軍人の長男と商人の次男、それから末弟のイワンを撃滅させようとたばかったサタンは、長男と次男は成功するのだが、バカのイワンには全く歯が立たず、逆にサタン一族が根絶してしまう。

神の摂理に忠実に従って生きていくことは、あきらめや妥協ではなく、希望に満ちあふれた人生の歩み方である。

余談になるがロシア語のイワンは英語ではジョン、ヘブライ語になおすとヨハネ、『ヨハネのバカ』になる。

神の摂理は愛が基になっていることは言うまでもない。その神の愛は十字架のイエスによって実証されている。御子イエスが来たのは、人々を罪から救うためであり、身代わりに死ぬことによって、人々がキリストの自己犠牲の愛を信じるためであった。

イエスはご自分の死によって人々の罪をあがなえば、神から赦されることをご存じだったので、自ら進んで尋問をお受けになり十字架の上で処刑された。

やがてイエスは前もって弟子たちに仰せられたとおりに蘇られて、弟子たちにイエスを救い主として信じる福音を述べ伝えるように命じた。

神の摂理に生きるということは、神を愛し隣人を愛して互いに仕え合うことである。「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」(ヨハネ十四:十五) 
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「人は赦すことを知らなければならない。まず、自分自身を赦し、つづいて広くみんなを赦すことを」

筆者はソール・ベローの小説『Seize The Day』(この日をつかめ)の中で、主人公のトミー・ウィルヘルムが神への悔い改めの祈りをささげる直前に呟いた、自己の魂を解放させた独白に神の摂理を憶える。この言葉はウィルヘルムの危機的な毎日の中で、極限状態に陥ったときに生まれた。


広くみんなを赦すことと、神と和解することによって自分に負わされた十字架が、誉ある高貴な光となって悠久に輝き続けるのである。

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