2014年4月15日火曜日

ぼくの仕事部屋の壁にあるものをいくつか紹介する。

1940年代スペインの地方都市の終着駅で、蒸気機関車が車止めを押しのけて、さらに正面の大きな窓を突き破って暴走脱線。プラットホームが階上にあるので蒸気機関車は階下の石畳の路面に真正面から突き落ちた。見るも無残な黒い勇姿のモノクロ写真が、スチール製の黒い額縁に収まっている。その下に堀口大学が訳したギィヨーム・アポリネールの「毛虫」という詩が貼り付けられてある。

働くことは金持ちをつくる/貧乏な詩人よ、働こう!/毛虫は休みなく苦労して/豊麗な蝶(てふ)になる

働き者の蒸気機関車は殉職したのだ。果たして詩人に殉職はあるのか。ぼくはこの写真と詩のコントラストが非常に気に入っている。

ピカソの「窓辺の女」の絵のコピーは、98年の暮れにロサンゼルス群立美術館で開催されていたパブロ・ピカソ展で購入した。LA在住のレオ・イナヤマの力作である白黒の抽象画と、モンマルトルで活躍している住田昭の描いた「セーヌ」の油彩は共にオリジナル。ぼくはこの両方の絵に対して詩を書いた。絵を見ながら詩を読んでもらうことが理想であるが、「セーヌ」の詩の方は一般的で分りやすいのでここに紹介したい。

セーヌの河はたゆたうと流れて/どこまで沈みゆくのか
 
ぼくが見たセーヌは/真冬の明るいパリの街を/清涼な大気の眼で幾重にも描かれていた/春のようにまめやかしく/夏のように颯爽として外(おもて)に飛び出したくなるような/秋の静寂がジュルリー 愁いがプシュリー/星屑を降らしている

セーヌはパリを愛した/パリの街もセーヌを愛した/パリに住む人々も/パリの街を訪れた男も女も/そして/ぼくのような異邦人でさえ/パリに魅せられて/セーヌにたゆたうと流れて沈んで心を奪われる

モンマルトルの丘の絵描きたちも また/たゆたうとセーヌに流れて沈んでゆく/きょうもパリの空の下で/異邦人の夢を描いて うたを歌いながら

96年の秋、日本詩壇の長老小野十三郎さんが永眠した。享年93。生前、詩人が長きに渡って住んでおられた、大阪の下町にある通称松虫通りの三軒長屋に、詩人の竹島昌威知さんと一緒に訪ねた際に、わざわざぼくのために小野さんは毛筆で自作の詩の抜粋を色紙に書いてくださった。小野さんとぼくは師弟関係にある。竹島さんには3年間付きっきりで師事したので、孫弟子と言った方が正しいのかも知れない。

小野十三郎さんの色紙を掲示している向かい側の壁には、パリのモンパルナス墓地でぼくが写したボードレールのお墓の写真が掲げてある。ひと頃、パリへ赴く度にボードレールが眠っている墓へ詣でることが習慣になっていた。モンパルナス墓地の入り口を入って直ぐ右の方へ進むと、短編小説「壁」を書いたサルトルの墓にぴったりと寄り添うようにして、ボーヴォワールのお墓が並んでいる。パリの墓地には多くの芸術家たちが眠っている。

時折、ぼくは壁の中に入り込んで独り彷徨うことがある。仕事部屋の左の壁の中は南国情緒が漂うビーチが広がっていて、終始暖かい陽光に満ちている。右側の壁の中は星の降る深い森になっていて静寂だ。後ろの壁の中は亜熱帯の密林で早瀬のある川が流れている。前の壁は美しい季節の花々が咲き乱れる山の麓の大平原。天井は空気の澄み切った大空で、床の下は珊瑚礁の大海原。

目を閉じて空想すれば、色々な壁にぶち当たる。いや、目を瞑らなくとも人生には困難な壁がつき物だ。分厚い壁、軟弱な壁、随分背の高い壁、どうすることも出来ない巨大な絶望の壁。そしてヘミングウェイの短編小説「The Killers」(殺し屋)に登場する「壁」は、茫然自失を象徴している。

以前、ヘビー級のボクサーであった体の大きなアンドルソンは、殺し屋に追われていた。アンドルソンは下宿屋のベッドの上で、ただ壁を見つめたまま黙って横になっている。「もう、どうにもならないんだ」と一言呟いて、壁を見つめている。この人生の逆境こそ、梃(ルビ・てこ)でも動かない絶対絶命の暗黒の壁である。


人間というものは人生の大きな壁にぶち当たって、逆境に陥ると徹底して苦悶する。そのくせ順風満帆にことが進んでいたとしても、けっこう退屈するものである。ぼくはイタリアの哲人ポエティウスの警句を思い出した。「あらゆる壁(試練)のうちで最も哀れで惨めな不運は、今までが幸福であったということだ」。

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