26歳で自殺したみすゞの詩は、小学校の道徳や国語の教科書に掲載されている。みすゞの詩は弱いものに目を見据えて、温かな思いやりで包み込むような言葉を吟味している。そんなみすゞの純粋さだけで、世の中全体を見ていても大丈夫なのか。「心の教育」と言われて久しいが、自ら命を絶った繊細な感性をみんなに与えても弊害はないのか。みすゞの『大漁』という詩をめぐって、このような投書が或る新聞に載っていた。
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯の
大漁だ
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう
みすゞは浜辺で大漁を祝う漁師たちを見詰めながら、魚たちの胸中を察する。詩人の想像力は益々膨らみ、「海のなかでは 何万の 鰯のとむらい するだろう」と、祭りよりもとむらいの場面が大きく強調される。
このようにみすゞには弱者への思いやりがあったのだが、その純粋な優しさは人間の弱さなどではなかった。先ず何と言ってもこの詩にはユーモアが隠されている。そして、漁師(人間)たちの価値観に対して、忍び寄るような痛烈なアイロニーを投げかけている。
一見、他者を思いやる哀れみ深い心を表現しているみたいだが、みすゞの真綿のように白い柔らかい情を支えているのは、何を隠そう、人生をまっしぐらに貫こうとしている詩人の信念と、強固な意志にあったのだ。
明るい方へ、明るい方へと歩みながら夢を追い求めたみすゞは、慈悲深くて芯の強い、まめやかな才媛であった。
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