今週に入ってから久し振りに、知り合いの高齢者を順番に訪ねてみた。元気にしておられる方もいれば、入院や敬老ホームに移られた人もいた。
83歳のAさんはアルツハイマー病であるが、夫人と二人で暮らしておられる。自家製のおでんを持参すると、たいそう喜んで召し上がってくださった。
このところ気鬱ぎみであったAさんは、思い出したようにおでんがうまかったと、時折、夫人に話をされるらしい。アルツハイマーでも印象深いことがあると、いつまでも心に残るものなのだろうか。
春は人の心を快活にさせるが、反面、その反動で気が沈むことがある。「春愁」という熟語には、はかなくて物憂いけだるさが満ちている。
79歳のBさんは一人暮らし。趣味は詩歌を綴ることである。近ごろ、突然と不安感に襲われるという。最近Bさんは、部屋の壁にアポリネールの詩『ざりがに』を貼り付けたと言った。
不安よ、おお、私のよろこび/お前と私は一緒に行く/ざりがにが進むように、/後へ、後へと。
72歳のCさんは、昨年の暮れにご主人を亡くされたばかりである。おでんを味わう横顔に、憂愁の色が隠せない。
におい袋をかくしているような春の憂鬱よ
うすむらさきのヒヤシンスのなかにひそむ憂鬱よ
たんぽぽの穂のようにみだれてくる春の憂鬱よ
象牙のような手でしなをつくるやわらかな春の憂鬱よ
つめたい春の憂鬱よ
詩人、大手拓次は、春の憂鬱をこのように表現した。
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