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2012年9月29日土曜日
2012年9月28日金曜日
いちみ庵
マイブームになりそうな味覚。しかもリーズナブル。今度オールド・トーレンスの本店に出向いて、カレー南蛮を賞味しょうと!
数日後、オールド・トーレンスの、いちみ庵を訪れた。念願のカレー南蛮を賞味した。あ~~おいちかった!
2012年9月27日木曜日
奇跡ハレルヤ!
江美子がいない、ジョイもいない。森閑とした吾が家で、
真夜中に独りで悔い改めの祈りと、懺悔をしました。
心を込めて真剣に祈りました。
皆様の執り成しのお祈りに、心から感謝申し上げます。
腰に近い背骨にあった腫れと痛みが、朝、目覚めると消えて無くなっていました。
イエス様が、大いに癒してくださいました。
僕にとっては奇跡です。二重まるハレルヤです。
◎ハレルヤ!
2012年9月26日水曜日
一喜一憂
昨日、グッド・ニュースをアップしましたが、腰より少し上のあたりの背骨が、ほんの少し痛くて、触るとやや腫れている。目で見ただけでは分かりません。ごくわずか。
嫌な予感がする。胸の脇骨から転移したのかも分かりません。一瞬落ち込む。傍らにいた江美子が、励ましてくれる。
超最新の治療を施しているのに、ああ、ショック! 毎日が戦いだ。こんな生活はもう疲れた!
元来、精神力は弱い方だ。信仰をもって乗り越えなければならないのに、いつになく恐怖感が押し寄せる。
祈りのリクエストを再び!!! お願いします。イエス様助けてください!
2012年9月25日火曜日
グッド・ニュース
近頃、身体の調子が良い。ひと月前の検診の時は、癌細胞が10%縮小しているとドクターが語っていた。4、5日前の検診では、更に縮小したと報告を受けた。
抗癌剤とフコイダンの効果だろうか? それもあるが、なんといっても信仰とイエス様。それと、皆様のとりなしの祈り。これに尽きる!
検査の結果が良くなると、ストレスが軽減する。病気にはストレスが最もいけない。相乗効果である。バンザイ!!!
♪ われらは常に勝利、勝利!
2012年9月24日月曜日
戦い
生きるってことは大変なことだ
病気を患ってから 日々戦いである
毎日 微妙にちがう身体の調子
しんどい なんぎ ふべん いたい ふあん
いくら信仰があっても
イエス様を心から信頼していても
みんなから祈られていても
毎日が戦い 戦い 戦い
いつまで続くこの戦い ああ
2012年9月22日土曜日
2012年9月20日木曜日
逸 題 井伏鱒二
今宵は仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ
春さん蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿
ああ 蛸のぶつ切りは臍(へそ)みたいだ
われら先ず腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ
今宵は仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ
(新橋よしの屋にて)
井伏鱒二は作家として著名であるが、「逸題」は井伏の二番目の詩集『厄よけ詩集』に収められている。
『日本の詩歌・27/現代詩集』(中公文庫)の中で、村上四郎は井伏の「逸題」を、以下のように解説している。「この詩は、人生の哀歓をなめつくした仲間同士の月見交歓の図である。人生多忙の連中が、一夜若返ろうと集まってきた酒もりの宴である」
村上は「逸題」を鑑賞するにあたって、重大な過ちを犯している。その鍵は一連目と四連目の最後二行にある。
先ず、「われら万障くりあはせ」の一行から、村上は、月見交歓を口実にした仲間同士の酒盛りの図であると想像を膨らます。だが、次の四行目には「よしの屋で、独り酒をのむ」とある。村上は解説の中で、この「独り酒をのむ」ことには一切触れていない。
われら万障繰り合わせ、と来れば、それぞれが、あらゆる支障をどうにか都合をつけて、集まるということであるが、ここでの「われら」は男性が使う丁寧な言い方で、一人称であるということだ。
従って井伏は、今晩の仲秋の明月に、どうにか都合をつけて、行きつけの「よしの屋」で、初恋を偲びながら独りで酒を呑んだのである。
三連目の「われら先ず腰かけに坐りなほし」の「われら」も、言うまでもなく一人称である。井伏の静かに酒をつぐ姿が目に浮かんでくる。
また、二連目と三連目に触れて村上は、「所望するタコも味つけではなく、塩で食うなまのままのやつ、といったところである」と結んでいるが、タコの足の切り口がヘソのように見えるのは、茹でたタコのことであり、決して煮込んで味つけしたタコや生のタコである筈がない。塩と一等相性が合うのも、湯がいたタコである。また、タコのぶつ切りとくれば、茹でたタコのことを指す。
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