レストランで料理を注文すると、先ず、一人分の量の多さに圧倒されてしまう。盛り付けに趣向が凝らされているせいか、見ているだけで楽しくて、また美味しそうでもある。
だが、味付けの方はというと、塩と胡椒とケチャップを自分の好みに応じて振りかけるだけである。そしてステーキには既製のA‐1ソースがサーブされる.
味よりも、量の多さと見てくれだけで驚かすのがアメリカン・フードだ。
平均的なアメリカ人の昼食はファースト・フードで済ませてしまう。夕食には缶詰を開けるか、冷凍食品を電子レンジで温めるだけである。仰々しい言い方になるが、オーブンを使うのは、感謝祭の折にターキーを焼く時ぐらいだ。
このような食卓事情の下で、アメリカにある中華料理のレストランは、世界的にもレベルが高い。中国四千年の歴史には、彼らの食文化が色濃く根差していると共に、華僑の人々が、安価で芳味な伝統の味をしっかりと継承している。
コンビニは、今や日本人の生活の一部となっている。発祥の地はアメリカであるが、アメリカのコンビニエンス・ストアーで販売されているサンドイッチの味には辟易する。
比して、欧州を旅していて、ラテン系のデリカテッセンや、駅の売店、コンビニなどで売られている軽食の滋味に驚き入ることがある。日本とて同じであろうかと思う。
アメリカの国力については、学ぶべきことが数多とあるが、こと食習慣に関しては、過剰なまでに健康志向の者がいるかと思えば、ジョッキのようなカップで清涼飲料水を飲み、バケツ大の容器を抱えて、バターのたっぷりかかったポップ・コーンを頬張る大食漢の姿をよく見かける。
フライド・チキンにフレンチ・フライ、ポテト・チップにピザ、そしてケーキにアイスクリーム。体内に油と砂糖をふんだんに流し込んでいる飽食の群像に、大国アメリカの深憂が鮮明に描かれている。
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