仮面のいただきをこえて
そのうねうねしたからだをのばしてはふ
みどり色のふとい蛇よ、
その腹には春の情感のうろこが
らんらんと金にもえている。
みどり色の蛇よ、
ねんばりしたその執着を路ばたにうえながら、
ひとあし ひとあし
春の肌にはひつていく。
うれひに満ちた春の肌は
あらゆる芬香にゆたゆたと波をうつている。
みどり色の蛇よ、
白い柩のゆめをすてて、
かなしみにあふれた春のまぶたへ
つよい恋をおくれ、
そのみどりのからだがやぶれるまで。
みどり色の蛇よ、
いんいんとなる恋のうづまく瞳は
かぎりなく美の生立(おひたち)をときしめす。
その歯で咬め、
その舌で刺せ、
その光ある尾で打て、
その腹で紅金の焰を焚け、
春のまるまるした肌へ
永遠を産む毒液をそそぎこめ。
みどり色の蛇よ、
そしてお前も
春とともに死の前にひざまづけ。
◆
大手拓次は、大正期に活躍した詩人であるが、四十六歳(昭和九年)で歿するまで、一冊も詩集を上梓しなかった。
翌年、処女詩集『藍色の墓』を自費出版。編集を逸見 亨が担当。序文に北原白秋。跋文に萩原朔太郎が寄稿した。
大正期の詩人は、定職には就かないで、自由無頼な起臥(きが)を過ごしていたが、拓次は東京ライオン歯磨本舗の広告部に勤める忠実なサラリーマンであった。
原 子朗は、拓次の口語象徴詩の手法はボードレール『悪の華』へのフランス語による惑溺(わくでき)であった。と述べている。
『みどり色の蛇』を閲読してみると、ボードレールからの影響を色濃く受けていることが理解できる。従って病弱であった拓次は、生と死の交錯する妖しくて幻想的な世界に、自らのイマジネーションを昇華させる以前に、ボードレールの『悪の華』を徹底的に瞠目(どうもく)していたのである。
やがて拓次は今まで培ってきた抒情的妄想を劫火の中へと葬り、フランス象徴詩を道標として開花させた。
その代表作品の一つである『みどり色の蛇』は、真にみごとな詩であると思う。
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