「私は陰鬱の中でこの世を愛した。なぜならば、私はわが内に潜む陰鬱を愛していたから」。
これは不安と絶望の哲人、キェルケゴールの日記につづられている一文だ。
日本のある哲学者が、キェルケゴールの「陰鬱」の心境を察して、病的な傾向にあると論じていましたが、果たしてそうなのでしょうか。
僕は神経症やうつ病に40年以上も苦しまされていますが、近ごろは「安心して不安になれる」のだ。苦悩と絶望の日々を体験し続けていると、ふと、悟りの様な声が聞こえてくる。
晩年のキェルケゴールは、人間が人間らしく生きていくためには、絶望の境地に立たされることが、必要であると述べている。そのために人間は一度、死の問題と真剣に取り組むべきであるとも語っている。
今、人生に絶望して、死を考えている人は、すでに人生の苦悶を実践されているのだ。真の幸せは、安らぎのなかに存在していません。むしろ絶望の境地に芽生えてくるものなのだ。
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