2012年1月31日火曜日

名 前

先日、来米したばかりの知己から、同行の女性を紹介された。名前はミキミキ。
「愛称ですか」と、尋ねると、山村美樹さんが三木さんと結婚して、フルネームがミキミキになったと説明してくれた。

元阪神タイガースの監督は真弓だが、真由美さんが真弓さんと結婚したらマユミマユミ。美和さんが三輪さんと結婚したらミワミワ、真紀さんが牧さんと結婚したらマキマキだ。

アメリカで珍しい性の日本人女性と知り合ったことがある。
「で、あなたのお名前は」
「材木屋です」
「お父さんの職業ではなく」
「ですから、材木屋です」
なんと、彼女のラストネームは材木屋だった。

イタリア人の男性の名前にヨシコというのがある。ビバリー・ヒルズのロデオ・ドライブに、少しばかりくだけた貴金属店がある。ここの店長の名前がイタリア出身のヨシコさん。日本人観光客が店の中へ入っていくと、「わたしの名前はヨシコです」と、日本語で話しかけてくる。

観光客が笑い出したところで、店長は透かさず名刺を差し出して、自分の名前がヨシコであることを証明する。そこでまた観光客は笑い出す。てなぐあいである。

では、ここで大変珍しい日本人の性の一部を紹介する。

一番合戦(いちまかせ)、百目鬼(どめき)、仙人(せんにん)
音琴(ねごと)、目次(めつぎ)、花子(はなこ)
人首(ひとかべ)、宇宙(うちゅう)、九(いちじく)

2012年1月30日月曜日

ジョイ

ジョイが礼拝の時、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を朗読して、みんなから褒められたという。
サンデースクールの松本じゅん先生から、メールを頂いてその詳細が分った。泣いている人もいたという。

じゅん先生曰く「この年齢で間の取り方もうまく、大人の心を捉えるなんて、さすが詩人の娘ね」

ジョイは首が据わったころから、僕の机の傍らでブランコに乗りながら、何時間も僕が執筆している姿を見てきた。脱稿するとその作品を何度も声を出して読み返した。

ジョイが眠る間際に、童話、絵本、作り話等、毎晩読み聞かせをした。三つ子の魂百までだ!

聖愛幼稚園に通うようになってから、英才クラスに入れた。ここで芭蕉、一茶などの俳句を150句暗記した。おまけに百人一首も半分暗記。園長先生が驚いた。

ジョイが英才クラスの広告塔になって、園長先生が講演に行くとき、ジョイも一緒に行く羽目となった。

卒園してから、僕の文学道場『虎の穴』に入門させた。ジョイの成長ぶりを見ていると、病なんか吹っ飛んでしまいそう~!!! ハレルヤ!

確信

僕が生まれて初めて教会に行った日
聖歌隊の皆さんが「疲れたる者よ、我に来たれ」と 賛美していた
日本の生活に疲れ果てていた僕は アメリカに来て心の安らぎを覚えた
そこには、僕の心を動かす何かがあった

やがて聖日礼拝に出席するようになった そして受洗した
あれから31年 紆余曲折を経て神様に祈った
信仰を持ちクリスチャンになったことに感謝します
イエス様の救いを確信しています
ただ信じなさい 聖書は神の言葉を伝えている
愛されて赦されて 僕の病は癒されたことを確信しました

2012年1月28日土曜日

鶏(ニワトリ)

ジョイが幼い頃、童話『桃太郎』を読み聞かせている時、つと考えてしまった。いつか娘から、犬、猿、キジが桃太郎のお供をした意図を訊ねられたら、何と説明しようかと思った。

定かではないが、案ずるに犬は門を守り、猿は人に近く、鶏は時を知らせるという謂れが真相のような気がする。

鶏がキジに替わった理由は、鶏はキジ科であることと、室町時代まで、鳥類の中でキジが最も高貴なものとされていたからである。

往時の料理に関する古文書を閲覧していると、美味しい食べ物のことを『美物』(びぶつ)という言葉で表現されている。『枕草子』や『徒然草』、そして日本最古の料理書『厨事類記』には、キジの肉を称揚している箇所が幾つかある。

アメリカ産のブロイラーが日本に輸入されたのは、1960年以降のことだが、その頃から国内でもブロイラー養鶏が始まり、一般家庭で鶏を食用とする習慣が広まった。

速成肥育のブロイラーは肉に締りがなく、旨味のつくひまがないから不味である。当然ながら、舌が肥えている日本人には飽きられてしまう。当地の日系マーケットでも、地鶏や地卵がよく売れているようだ。

雄鶏の擬声は「コケコッコー」であるが、当地では「コックアドゥードゥルドゥー」、チャイナタウンへ行くと「ウォーウォー」と鳴いている。ついでにフランスでは「コクリコ」、ドイツは「キケリキ」と鳴く。

国によって、こんなにも音韻観念が違う。子供に物語を朗読して聞かせる折にも、真心から伝えようとしないと心に響かない。今夜は久方振りにプーシキン原作の絵本、『金のニワトリ』を江美子に朗読してもらう。そして夕食は親子丼だ。毎月28日はニワトリの日。

2012年1月27日金曜日

牛と豚

神戸の北野町で、異人館の油彩ばかりを描き続けてこられた小松益喜画伯がまだ壮健であった時分に、三宮にあるロシア料理のレストラン『バラライカ』へご一緒したことがある。

画伯は先ずボルシチを注文してから、すかさず「ロシアの豚漫」二人分を給仕に告げた。直ぐにピロシキの事であることが分かったが、具の挽肉は牛肉のはずだ。

豚バラ・ミンチが詰まっている中華饅頭のことを関東では「肉」まんと呼び、関西では「豚」まんと呼んでいる。関西人には奇妙に思えてくる一つである。

東京では「肉じゃが」も豚肉が主流となっている聞く。大阪あたりでは牛肉が常識だ。

東京に住んでいる畏友から教えてもらった。豚肉の入っている肉じゃがは、地域によっては「じゃがブー」と呼ぶ。

近畿地方には世界に名高い神戸牛を始め、松阪肉、近江肉、そして余り知られてはいないが、和牛の誉れとして高名な羽曳野牛(大阪)等の原産地が点在していたので、誰もが牛肉に親しむことが出来た。

一方、関東周辺には豚の名産地があったことから供給が安定していたことと、厳冬を迎える東日本では脂肪分の多い豚肉が好まれた。従って東日本では「肉」といえば「豚」のことをさした。

東のポークの生姜焼きと西のビーフ・カツは、何れも懐かしい味である。ロシアの文豪トルストイとゴーゴリはカツレツが大好物であつた。トルストイは来る日も来る日もカツレツを食べていたが、勤労意欲のない自分の姿を省みて、自給自足の生活に切り替えた。

物事には自制が肝要であると説き、『光あるうち光の中を歩め』を後に上梓する。屋敷を捨てて放浪の旅に出たトルストイは、1910年11月7日、アスターポポ駅(現トルストイ駅)で死去した。享年82。

ハワイ

母の卒寿のお祝いと、父の召天25周年記念を兼ねて、ハワイでお祝いしたいと思う。1986年の春、LAに両親が訪ねて来た帰りに、ハワイまで三人で旅行した思い出の地。

その前に、日本の姉たちに伺わなければならない。僕がこんな気持ちになっているのは、体の調子がよい証拠。イタイのイタイの飛んで行け~~

ちなみに兄69歳は、40代前半の女性と再婚したとか。親子ほど年が離れている。やるじゃんか~

2012年1月26日木曜日

羽田と伊丹

僕が27~8年前に帰国した際、羽田の日本航空のカウンターでチェクインをした。
係の女性が、
「お座席は後ろになさいますか、前がよろしいですか?」
「前の方が早く着くから、前にするわ」
係の女性は憮然として、
「どちらでも同じでございます」

同じことを伊丹(大阪国際空港)で試してみた。
「前の方が早く着くから、前にするわ」
係の女性は笑顔で、
「私もそうだと思います」