ロブスターにしろ、車エビにしろ、あまり大きいのは大味で物足りないと思ったが、一口食べたとたんに目からうろこが落ちた。新鮮なエビの身はプリコリプリコリとしていて、サックリ揚げた食感が、ほど良い風味を感じさせてくれる。そして、タルタルソースが巨大エビによく馴染む。エビにみそが入っていて、たまらなく美味い!
2013年9月30日月曜日
2013年9月27日金曜日
2013年9月26日木曜日
2013年9月25日水曜日
詩 人
12年前、日本から来たクリスチャンの女性三人を連れて、ロサンゼルスの街を案内している途中で、
「新井さんは詩をかくから、ポエマーですね」
と年少の女性が突然言い出したので、ぼくは少し笑ってしまった。
「泳ぐ訳じゃあるまいし、こういう場合はポエニストっていうのよ」
すかさずもう一方の女性が口を挟んだ。と思ったら、
「アーティストって言うじゃない。ポエティストじゃないの」
年長の女性が真顔で切り出してきた。車の中はああでもない、こうでもないとかしましいこと。
「詩人はPoetです」(女流詩人はPoetess)
僕がそう言うと三人は黙った。
詩を書けば誰もが詩人になれる。詩人になることは非常に容易い。弁護士になるためには司法試験に合格しなければならない。医師の資格を得るためには国家試験がある。仮に詩人になる為の試験や面接テストが義務づけられていたら、僕は直ちに不合格になっていたであろう。
僕は試験やら勉強、塾に学校と名がつく類(たぐい)は大の苦手である。詩を書いたり、ものを書くことは遊びである、いわゆる言葉遊びだ。無学なぼくが唯一表現することの出来る知的遊戯なのである。
二足のわらじを履いていると、二兎を追う者は一兎をも得ずなどと、周囲から批判の声が聞こえて来そうである。ぼくは詩を書く輩(やから)でありながら、いっぱしにビジネスや商売にも興味を覚えた。当然である。詩で生活は出来ないので、何なりと仕事を見つけて生活の糧を得なければならない。
だが、詩はある程度まで追究していくと、定型詩とは違い、趣味として続けていくことは不可能である。と僕は考える。しかれども詩では食っていけない。生活を省みないで「詩こそわが人生だ」と言って突っ走ると配偶者が苦労する。
娘さんが山男に惚れると若後家さんになる確率が高い。だが、山男が逝ってしまうと多額の生命保険金が入ってくる。比して詩人は危険な環境に居ないので、一生貧乏で過ごすことになる。従って娘さんによく聞いてもらいたいのは、間違っても山男よりも詩人には惚れるなということだ。
日本では「詩を作るな田を作れ」と言われて来た。イギリスでは「彼は詩人か、どうせ金が無いのだろう。ジャニターの仕事でも世話してやれ」という。
15年ほど前に93歳で永眠した詩人の小野十三郎さんは、日本詩壇の重鎮と言われていたにも拘わらず、生涯、大阪の下町にある通称まつ虫通り、三軒長屋の一番奥から引っ越そうとはしなかった。
定住詩人の精神を貫いたというよりも、貧乏というか、気取らない下町の長屋暮らしの方が、詩人には気楽で安住出来たのだろう。その点、東京の詩人は金持ちなのかどうか知らないが、いや貧乏であってもカッコのいい詩人が大勢いる。だが、これは別段、詩人だけに限ったことではなさそうだ。
旧約聖書には5つの詩書(ヨブ記、詩篇、箴言、伝道者の書、雅歌)が含まれている。これらの書物は、神の素晴らしさと被造物の美しさを表現している。『雅歌』の著者はソロモンだが、第一章、一節は、ソロモンの雅歌(へブル語の原文でソロモンの歌の中の歌)という一句で始まる。
詩人の魂が奏でる美しい詩書は、きっとあなたの心を捉えて離さないことでしょう。
ソロモンの雅歌
どうか、あなたの口づけの口づけをもって、
わたしに口づけしてください。
あなたの愛はぶどう酒にまさり、
あなたのにおい油はかんばしく
あなたの名は注がれたにおい油のようです。
それゆえ、おとめたちはあなたを愛するのです。
・・・・・・・・・
【日本聖書協会 口語訳より】
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